第一話崩壊そしてちぎれた絆
初投稿です!
良かったら2話、3話と出していくつもりなのでよろしくお願いします!
「――取引をしましょう。あなたが血を流さずに、歴史上最高の大統領になるための、完璧なビジネスです」
ホワイトハウス、大統領執務室。
星条旗が飾られたその部屋の空気は、痛いほどに張り詰めていた。
鋭い眼光を放ち、机の前に堂々と立っているのは、弱冠17歳の少年――アジャン。チベット亡命政府の命運を背負う、若きカリスマだった。
対面に座るアメリカ合衆国大統領、ドナルド・トランプは、不機嫌そうに顎を突き出した。
「おい、若きビジネスマン。私はディールのプロだ。チベットの亡命者がどうなろうと知ったことじゃない。アメリカに『最高のリターン』をもたらさない投資に、なぜ私が乗る必要がある?」
トランプの冷徹な言葉にも、アジャンは微塵も動じない。不敵な笑みを浮かべ、1枚の巨大な地図を机の上に広げた。
それは、巨大独裁国家の解体シミュレーションと、その後の莫大な権益分配をミリ単位で計算し尽くした、未来の設計図だった。アジャンの背後にある「天才の頭脳」が弾き出した、悪魔の計画書だ。
そのとき、執務室の重厚な扉が素早く弾け飛んだ。血相を変えた大統領補佐官が、滑り込んでくる。
「大統領! 大変です! モスクワと北京の電力が同時に完全喪失! さらに、平壌のトップが何者かに暗殺されました……!」
パニックに陥る部屋の中で、アジャンだけが静かに微笑んでいた。その佇まいは、数多の修羅場をくぐり抜けてきた本物のリーダーのそれだった。
「大統領、決断の時です。私と組み、世界を買い叩きましょう」
ここから、世界の激動の針は、7年前のウイグルの小さな集落へと巻き戻る――。
すべては、ウイグルの小さな村から始まった。
「天の山」の名にふさわしく、雲を突き抜けるようにそびえる天山山脈。一年中白銀の雪と氷河を戴くその麓には、鏡のように澄み切ったエメラルドグリーンの湖「天池」が広がり、深い針葉樹林を美しく映している。
そして南からは、世界の屋根を支えるように崑崙山脈が迫る。二つの巨大な山脈が激しく衝突し、地球の骨組みが剥き出しになったかのような国境地帯は、標高五千メートルを超える極限の荒野だった。
その厳峻な自然に守られるようにして、新疆ウイグル自治区の村はあった。
見渡す限りの青空と、どこまでも波打つ大草原。
10歳になったばかりのアジャンは、天性の腕っぷしの強さとガキ大将としてのカリスマ性で、村の子供たちの中心にいた。
「アジャン! 今日も秘密基地の続きやろうぜ!」
「いいね、エムニン。アルズも呼んで、今日は泥の砦を作ろう!」
毎日、学校が終われば日が暮れるまで荒野を駆け回った。
アジャンはいつも先頭を走り、お調子者のエムニンがそれを追いかける。そして誰よりも勝気な女の子・アルズは、二人に遅れをとるまいと、いつも男勝りに泥だらけになって並んで走った。口を開けばアジャンやエムニンに一歩も引かない、この3人組の「もう一人の特攻隊長」がアルズだった。
ある日、秘密基地の砦作りの最中、アジャンが崩れてきた大きな岩の下敷きになりかけたことがあった。その時、エムニンが「危ねえ!」と叫んでアジャンを突き飛ばし、代わりに泥だらけになった。
「わりぃエムニン、助かった!」と笑うアジャンに、エムニンは鼻をこすりながら自慢げに言った。
「へへん! 俺はアジャンの相棒だからな。お前が大将で、俺がお前の盾だ。お前が世界を驚かせる大物になるまで、俺が絶対守ってやるよ!」
すると、横から大きな木の枝を抱えたアルズが、不敵に笑って割り込んできた。
「ちょっとエムニン、カッコつけんじゃないわよ! アジャンの盾なら私だって負けないんだから! あんたがサボったら、私がアジャンを守って世界一にしてやるんだからね!」
「なんだとアルズ! お前女のくせに生意気だぞ!」
「女だからってなめんな! 腕相撲ならあんたにだって勝てるんだから!」
そう言ってガハハと笑い合う3人の絆は、誰よりも強かった。
「おーいお前ら、また宿題サボったな? まあひとまず、これでも食え!」
声をかけてきたのは、村で料理屋を営むカシムおっちゃんだった。昔、外国の高級レストランで腕を振るっていたという噂通り、彼の焼く羊肉は絶品だった。
「やっぱおっちゃんの肉は世界一だ!」
アジャンが肉を頬張ると、エムニンとアルズも「美味い美味い!」と顔を泥だらけにして笑った。カシムはそんな子供たちの頭を愛おしそうに撫で、豪快に笑う。
「お前たちが大人になったら、俺が世界一のレストランを建ててやる。アジャン、お前はそこの一番の常連だ」
夕暮れ時、茜色に染まる草原に座り込み、3人はシシカバブ(羊肉の焼き物)を食べながら将来の夢を語り合った。
「俺はさ、大きくなったらこの村を出て、おっちゃんみたいに世界中を旅するビジネスマンになりたい。で、世界一の金を稼ぐんだ」
アジャンが遠い地平線を見つめて言うと、エムニンが身を乗り出した。
「じゃあ、俺はそのアジャンの会社の副社長だな! どんな危険な場所でも、俺がアジャンの前に立って交渉相手を睨みつけてやる!」
「だったら私は、あんたたち二人が泣きついてきてもいいように、もっと強くなって世界一の用心棒になってあげるわよ!」
アルズが夕日に向かって拳を突き出し、3人は力強く指切りを交わした。
「ああ、約束だ。俺たち3人は、大人になっても、どこにいたって世界最強のチームだ!」
絶対に途切れないと信じていた、3人の不敵な笑顔。それらは永遠に続くと思われた。
――だが、地獄は突如として訪れる。
ある日の深夜。アジャンは、肌にべっとりとまとわりつくような、不気味な熱気で目を覚ました。
静寂。いつも鳴いている虫や鳥の声が、完全に消えている。見上げる星空は分厚い黒雲に覆われ、一筋の光も届かない。本能的な悪寒が、アジャンの背筋を駆け抜けた。
地平線の彼方から、大地を激しく震わせる重低音が響いてくる。村をすり潰しにやってくる、軍靴と装甲車の地鳴り。
直後、鼓膜を破らんばかりの爆音とともに、真っ赤な炎と黒煙が村を覆い尽くした。
「中国軍だ……!」
アジャンは飛び起きた。外へ出ると、視界のすべてが炎に包まれていた。
「アジャン! こっちよ!!」
悲鳴ではなく、鋭い怒声が聞こえた。振り向くと、親友のアルズが中国兵に囲まれながらも、落ちていた鉄パイプを振り回して猛烈に抵抗していた。
「ふざけんじゃないわよ! 私たちの村から出ていきなさいッ!!」
「アルズ――ッ!!」
アジャンは地を蹴った。大人顔負けの瞬発力で、泥を跳ね上げて突進する。「用心棒になってやる」と笑った、あの強くて大切な幼馴染を死なせるわけにはいかない。
「そいつから離れろ!!」
必死に腕を伸ばした。あと少し、あと数歩でアルズの細い手を掴める、その距離まで迫った。アジャンの指先が、アルズの服の袖にかすかに触れた――。
パァン、と冷徹な乾いた音が夜空に響いた。
「がはっ……!」
銃弾に胸を撃ち抜かれながらも、アルズは中国兵の顔面にツバを吐き捨て、最後まで敵を睨みつけたまま倒れ込んだ。
アジャンが伸ばした手は、空を斬った。あと数センチ、届かなかった。
アルズの体は、アジャンの目の前で崩れ落ちていく。最後まで勝ち気だったその瞳から、急速に光が失われていくのを、アジャンはスローモーションのように見つめるしかなかった。
「アルズ!!! 嘘だろ、アルズ!!!」
叫びながら抱き起こしようとするアジャンの体を、背後から別の強い力が猛烈に引っ張った。エムニンだった。
「だめだアジャン! もう間に合わない! 来るな、あっちに逃げろ!」
アルズの亡骸を置き去りにしたまま、アジャンはエムニンに引きずられるように走った。脳裏には、自分の手が届かなかった瞬間の光景が、消えない焼き印のようにこびりついて離れなかった。
(俺のせいで……俺が、あと一歩早く届いていれば……!)
ゆく先々に敵兵が待ち伏せしている。逃げ場を失った二人は、広場の片隅にある小屋へと滑り込んだ。
暗闇のなか、二人は固く抱き合い、ガタガタと震えた。外からは村人たちの悲鳴と、冷徹な中国語の号令、そして容赦のない銃声が響き続けている。カシムおっちゃんの店のほうからも、激しい爆発音が聞こえた。
絶望が押し寄せる中、気配を察知した中国兵の一隊が、またたく間に小屋を包囲した。
ガシャリ、と扉が開き、銃口が向けられる。終わりを悟ったその瞬間。
「だめだアジャン、お前はここで死んじゃいけない!」
エムニンが涙をボロボロとこぼしながら、狂ったように叫んだ。彼はアジャンの前に立ち塞がると、先頭の兵士に向かって猛烈な頭突きを喰らわせた。
「ぐあ!? なんだこのガキは!」
「アジャン、走れぇ!! アルズの分まで、お前は絶対に生き残れ!!」
かつて秘密基地で言った言葉――『俺はお前の盾だ。お前が大物になるまで絶対守ってやる』。エムニンはその約束を、命を賭して果たそうとしていた。
激昂した複数の兵士が、エムニンを取り囲み、銃床で、軍靴で、容赦ない暴行を加え始める。親友の骨が折れる鈍い音が響く。
アジャンは歯が折れるほど噛み締め、背を向けた。ここで立ち止まれば、アルズの死も、エムニンの覚悟も、すべてが水の泡になる。
振り向かず、ただ前だけを見て走った。
背後で響く、乾いた銃声。それが、世界で一番の相棒だったエムニンの、最期の声の代わりだった。
涙が溢れて視界がにじむ。喉の奥から叫びがせり上がってきたが、声にならない。限界など、とうに超えていた。
「山を越えれば、外の世界に出られる」
かつてカシムおっちゃんが言っていた言葉だけを頼りに、アジャンは垂直にそびえ立つ天山山脈の岩壁へと取り付いた。
山は下から見上げていた時の10倍も巨大だった。しかしアジャンに迷う暇はない。背後には、銃弾を切らしたしつこい中国兵の追手が迫っている。
深い森林へ逃げ込んでも、追手は諦めない。1月の天山山脈は容赦のない極寒で、お互いの体力は限界だった。
アジャンは一気にスパートをかけ、急カーブの先にある茂みへ身を伏せた。追ってきた兵士はアジャンを見失い、悔しさのあまり地面の岩を激しく殴りつけた。その衝撃で、わずかに草木が揺れる。
「そこかァ!」
兵士の目が狂気に光った。
空気が薄い。肺が焼けつくように熱い。
アジャンは振り返りざまに体を反らせた。直後、兵士の振るった重い銃床が、ゴウと風を切って頬をかすめる。わずかに遅れていれば、頭蓋骨を叩き割られていた。
「この、ガキが……!」
圧倒的な体格差。ねじ伏せられ、凍てついた岩肌に背中を猛烈に打ち付けられる。衝撃で視界がチカチカと明滅した。
首に太い腕が回り、ぎちぎちと締め上げられる。酸素が来ない。
(ここで、死ぬわけにはいかない。アルズもエムニンも死んで、俺だけが……!)
アジャンの目から、子供の光が消え、修羅の炎が宿った。
狂ったように腕を伸ばし、地面の泥混じりの雪を掴むと、兵士の顔面に向けて力任せに投げつけた。
「ぐあっ!?」
兵士の視界が奪われ、一瞬、首を絞める力が緩む。その隙をアジャンは見逃さなかった。全力で相手の股間を蹴り上げ、怯んだ兵士の喉元に、落ちていた尖った鋭い石を、渾身の力で突き立てた――。
ドサリ、と巨体が倒れ、静寂が戻る。
勝ったのだ。しかし、アジャンの身体はすでに限界を迎えていた。
激しい乱闘で防寒着は引き裂かれ、容赦ない極寒が体温を奪っていく。指先の感覚は消え、視界が白く濁っていく。
(寒い……、眠い……)
生きるための緊張の糸が切れた瞬間、アジャンは凍てついた雪の上に崩れ落ちた。ゆっくりと世界が闇に染まっていく。
(エムニン、アルズ、ごめん。もうすぐそっちに行くよ……)
意識が途切れる寸前。
ザク、ザク、と雪を踏み締めて近づいてくる、複数の足音を聞いた気がした。
有難うございました!




