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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

Vに中の人なんていない

作者: 狼付クロ
掲載日:2026/04/19

「私、Vtuberになるんだ」

 あいつがそう言ったのは、駅前のファミレスだった。中学の頃から行きつけだった店で、学校帰りにドリアとメロンソーダで粘るのが俺たちの定番だった。高校は別々になったけど、月に何回か、こうして会っていた。

 夕方の光が窓から斜めに入っていて、テーブルの上のメロンソーダが明るい緑に光っていた。

「へえ」

 俺は適当に返事をしながら、ドリアをつついた。

「『へえ』って」

「いや、マジかって思ってるよ」

「思ってるって顔じゃないけど」

「思ってる、思ってる」

 あいつは笑った。それからストローをくわえたまま、少しだけ声を低くした。

「中の人なんていないから、私がVtuberってことは、内緒にしてね」

「中の人なんていないって、それ業界のやつ?」

「そう。それ」

 店内はそれなりに混んでいて、子連れの家族が騒いでいて、誰も俺たちの話なんか聞いていなかった。

「だから、これからは『そら』って呼んでほしい」

「そら?」

「星宮そら。それが私、今から」

「……呼び方、変える必要あるのか?」

「あるの。だって、配信中にうっかり名前間違えて身バレしたら終わりだもん。普段から『そら』って呼んでもらってたら、私も間違えないでしょ」

「お前、間違えそうだもんな」

「うるさい。間違えないように訓練するの」

「……うん」

 あいつは、スマホを取り出して画面を俺に向けた。

「これ、デビュー配信の予告」

 サムネイルには、銀髪の女の子のキャラクターが映っていた。名前は「星宮そら」。登録者数は三桁だった。

「まだ待機すらいないよ」と、そらは笑った。

「俺は見るよ」

「うん、ありがと」

 ファミレスを出る時、もう一度画面を覗いた。登録者数は、三桁のままだった。



 それから三年が経った。

 そらの登録者は、百万人を超えた。切り抜きチャンネルがいくつもできて、歌ってみたの公式MVはどれも再生数が数百万あって、コラボ相手は業界の有名人ばかりになった。テレビで名前を聞いたこともある。

 俺はアーカイブを追っている。ライブ配信はだいたい寝ている時間帯にあるから、朝起きてから少しずつ見る。歌ってみたはリピートで流す。コメントは打たない、というか、打ったとしても読まれない。別に読まれなくていい。

 最初の歌ってみたは、デビューから半年くらいの頃に上がった。何でもない既存曲のカバーで、再生数も三万くらい。俺はそれを百回以上聴いた。ヘッドホンを付けて、目を閉じて、声の端っこの震えみたいなものを追いかける。三年前、ファミレスで「これからそらって呼んで」と言った時の、少しだけ低くなったトーンと、同じ震え方だった。

 コラボ配信で先輩に絡みに行って空回りしていたのも、あの頃だった。「星宮です、よろしくおねがいしまーす!」とテンション高めに挨拶して、先輩に「かわいいね」と言われて「ありがとうございまーす!!」と食い気味に返して、コメントに「噛むな」「落ち着け」と流れていた。俺は配信を見ながら、画面の向こうに「お前、落ち着け」と呟いたりしていた。

 半年経つと、喋りが上手くなった。一年が経つと、歌ってみたが定期的にトレンド入りするようになる。二年目の終わりには、3Dモデルのお披露目配信。画面の中でそらが手を振って、飛び跳ねて、コメントが「感動」「泣いた」で埋まっていた。俺はその日、仕事を早退して部屋でアーカイブを見た。

 三年目に入る頃には、そらは一人の人気Vtuberとして完成していた。配信のトークの回し方、歌ってみたの選曲の幅、ファンとの距離の取り方、全部が安定していた。

 それでも、あいつの声は三年前のままだ。最後に会ってたあの頃、ファミレスで向かい合って喋ってた時の声。笑い方、噛む癖、語尾の抜け方。全部そのまま。それを数百万人が聴いている。

 時々、配信中にそらが「中の人なんていないので〜」と業界スラング的に言うことがある。ファンは「わかってるよ〜」とコメントで流す。俺もコメントで「わかってる」と打つ。でも、俺の「わかってる」は、他のファンの「わかってる」とは、意味が違った。

 俺はその数百万分の一で、ただのファンだ。でも、この声の由来を知っているのは、たぶん、俺だけだ。そういう意味の優越感のようなものが、たぶん、ある。

「次のライブ、アーカイブ残るんだっけ」

 そらにDiscordで聞いたら、「残るよ、一か月だけ」と返ってきた。当日見られない理由は言わなかったし、向こうも聞いてこなかった。そういうふうに、三年間やってきた。



 深夜一時、Discordの通話が繋がった。

「ごめーん、今日ちょっと遅くなった」

 そらの声がヘッドホンから聞こえてくる。配信の時よりも低くて、素に近い声。何かキーボードを打っている音がかすかに混じっていた。

「いや、全然」

「今日もお疲れ。……あー、疲れたー!」

 椅子がきしむ音。伸びをしている。

「何やる?」

「ローグライクのやつ、続き」

「あー、昨日の続きね。ボス前だっけ」

「ボス前、だったかな。中ボス前だったかも」

「違うよ、ボス前、ボス前。そらちゃんはちゃんと覚えています〜」

 そらが一人称で「そらちゃん」って言う時は、だいたい眠い時だ。三年前からそうだった。

 画面の中では、ゲームのキャラクターが崖際を走っていた。協力プレイで、俺が前衛、そらが後衛。

「あっ、そっち行かないで!」

「どっち、どっち?」

「右!」

 俺のキャラが右に跳ぶ。崖から落ちる。画面に「GAME OVER」と出る。

「あー!! まじか!!」

「いや、お前が『右』って言ったんだろ」

「違うよ、私は『右に行かないで』って意味で言ったもん」

「省略すんなよ、そこ」

「省略しないと間に合わないじゃん!」

 そらが笑う。そらは一人称がときどき揺れる。配信中はずっと「そら」で統一しているけど、俺と通話している時は、半分くらい「私」が混ざる。最初の頃は、通話中もずっと「そら」だった。最近は半分だ。

「あ、でも、『右』って言ったのは私のミスかも」

「かもじゃなくて、完全にお前のミスだろ」

「半分。半々ね。五分五分」

「じゃあ俺も次は指示無視するわ」

「えっ、それは困る。そらのこと見捨てないで」

「急に一人称戻すなよ」

 そらが声を出して笑う。何かを飲む音がする。氷がグラスに当たる音。ファミレスの時から、こいつのストローの使い方は変わらない。

 リトライの読み込みが始まる。暇な時間に、そらが言った。

「そういえばさ、あの他の箱のV、前世バレで活動休止だって」

「あー、見た」

「一か月休むらしい。あと、解雇された新人もいるじゃん、問題行動で一週間で」

「あったな」

「なんか、怖いよね」

「まあ、そうだな」

「配信中に電話掛かってきて、男いる疑いかけられて炎上したやつ、いたよな」

 読み込みのゲージが半分くらいまで進んだ。そらが考えるように息を吐くのが、マイク越しに聞こえた。

「あれは地獄だったよ」

 珍しく、そらが真面目な声で返した。

「だから私、配信中はスマホの電源切ってる」

「徹底してんな」

「徹底するでしょ、そりゃ」

 少し間があった。そらのマイクから、もう一度、何かを飲む音がする。

 俺は笑いながら言った。

「お前は前世とかないだろ?」

 冗談のつもりだった。

「え?」

「え、って」

「うん、そうだよ。前世とかないよ」

「だろ?」

「でも、怖いものは怖いじゃん?」

 その一瞬だけ、そらの声のトーンが、普段より低かった。

 ゲームの読み込みが終わる。キャラクターが動き出す。

「そらのこと、誰にも言わないでね」

「当たり前だろ」

「ほんとだよ?」

「ほんとだって」

「……ありがと」

 珍しく、そらが静かに返した。

 リトライが始まる。また同じ崖。今度はそらが「あっ、右、右、じゃなくて左に逃げて!」と叫んで、俺のキャラは無事に逃げ切った。

「やったー」

「省略しなかったな」

「学習するし」

「それ、学習って言うのか?」

「言うよ、そらは賢いんだから」

「はいはい」

 ボス戦の手前で、そらが「ごめん、ちょっと席外す」と言って、通話がミュートになった。俺はコントローラーを置いて、インスタントラーメンのお湯を沸かしに行った。



 会う約束が流れた、というのは、最近になって気がついた。

 去年の夏、三年ぶりにそらと会おうという話になって、日程まで決めたのに、直前で「ごめん、仕事入った」とキャンセルになった。秋に組み直した日程は「体調崩した」だった。冬は俺の方が忙しくて流れた。春にまた組もうとして、そのまま、話が進まなくなった。

 春に誕生日プレゼントが届いた。大きめの段ボールで、差出人は知らない住所だった。引越したのかと思って、LINEで聞いた。

「あー、うん、最近ね」

 それだけ返ってきた。中にはメッセージカードが入っていて、文字は印字されていた。昔のそらは、誕プレに必ず手書きのカードを入れてきた。

「手書き、やめたのか?」

「あー、最近忙しくて」

 そうか、と俺は返した。それ以上は聞かなかった。



 日曜の昼過ぎだった。

 俺は自分の部屋で、モニターにそらの配信を流しながら、溜まっていた洗濯物を畳んでいた。ゲーム配信の回で、そらは相変わらず「あっ」「うわっ」とリアクションしながら、キャラを操作している。

 インターホンが鳴る。

 覗き穴の向こうに、男が二人立っていた。制服を着ている。警察だった。

 玄関を開けると、年配の方が頭を下げた。

「突然申し訳ありません。木村葵さんのお知り合いで、お間違いないでしょうか」

 木村葵。

 三年ぶりに、その名前を、他人の口から聞いた。

「……はい」

「実は、ご家族から、失踪届が出ておりまして」

 失踪届。

 その単語が耳に入った瞬間、俺の右手がポケットの中でスマホを握って、画面を開いて、通話履歴の一番上を押していた。自分で押したのか、手が勝手に動いたのか、わからなかった。

 スマホを耳に当てる。発信音が鳴った。

 一回。二回。三回。

「おかけになった電話は、電源が切られているか、電波の届かない場所に——」

 部屋の奥のモニターから、そらの声が聞こえていた。「うわっ、死んだ死んだ死んだ!」と笑っている、いつもの配信の声。

 アナウンスと、そらの声が、俺の部屋の中で重なっていた。

 警察は、俺の手元を見なかった。モニターも見なかった。廊下の先に聞こえている配信の音声にも、反応しなかった。

「最後にお会いになったのは、いつ頃でしょうか」

 若い方の警察が、メモ帳を開いた。

 三年前、と言いかけて、喉の奥で止まった。

 三年前にファミレスで会った。それ以降は通話とメッセージだけだ。でも、通話はしている。昨日もゲームした。一週間前もライブのアーカイブの感想を送り合った。それを言えばいいはずだったのに、なぜか言葉が出なかった。

 モニターからは、そらの声が続いていた。新しい配信の展開に、視聴者のコメントに、笑い声に、全部反応していた。警察の声と、そらの声と、電話のアナウンスが、部屋の中で別々のタイミングで流れていた。

 スマホの画面は、まだ発信中だった。俺はそれを切れずにいた。

「いつ頃でも構いません」

 年配の警察がもう一度言った。俺は首を振った。

 モニターの中で、ストローの音がした。

 そらが配信でドリンクを飲む時の、氷を吸い込む音。ファミレスでメロンソーダを飲んでいた時と、同じ癖だった。三年経っても変わらない。その音を、俺は三年間、配信のアーカイブで何十回も聞いてきた。

 警察はモニターを見なかった。

「ご連絡先をお預かりしてもよろしいですか」

 俺は頷いた。年配の警察が、俺の電話番号をメモに書き取って、名刺を差し出した。

「なにか思い出したことなどあれば、ご連絡ください」

「……あ、えっと、はい。わかり、ました」

 三年ぶりに、俺は木村葵の件で、声を出した。

 警察は頭を下げて、帰っていった。

 玄関を閉める。ドアのロックがカチッと鳴る。

 スマホを耳から外した。アナウンスはまだ続いていた。俺は発信を切った。

 モニターの中のそらは、ゲームを続けていた。



 LINEを開いた。

 トーク一覧の一番上に、「あおぞら」と表示されていた。

 いつから、こうだったんだろう。

 最初は「葵」だった。Vtuberになってから、そらが「『そら』に変えて」と言って、俺は「葵」を「そら」に書き換えた。その後のどこかで、「あおぞら」になっていた。自分で変えたのか、何かの流れで変わったのか、覚えていない。

 電話帳を開いた。そらの番号はある。通話履歴の一番古いのは、二年以上前だった。Discordはほぼ毎日繋いでいるけど、電話は、そういえば、しばらくしていない。

 Discordを開く。アカウント名は、「あおぞら」。

 繋がらなくて、当然だ。

 そらは配信中はスマホの電源を切っている。前にそう言っていた。他の箱のVが配信中に電話が来て炎上したから、そらも電源を切るようにする、って。だから、今も電源が切られていて、それで繋がらない。それだけだ。

 LINEのトーク画面を開いて、打ち込んだ。

「葵、今度、会えないか?」

 送信した後で、画面に「葵」と出ているのを見た。三年間、俺はあいつを「そら」と呼んでいた。「葵」と打ったのは、三年ぶりだった。

 俺から会おうと言ったのも、ファミレスの告白以来だった。

 既読は、つかなかった。

 モニターの中では、そらがまだ配信を続けていた。配信中は電源を切っている。だから、既読がつかない。それだけだ。

 俺はモニターに目を移した。配信は、ちょうど終わりに近い時間帯だった。そらはエンディングで雑談をしていて、コメント欄には「おつそら」が流れていた。

「じゃあ、そらは今日はこのへんで! みんな来てくれてありがとね!」

 そらがそう言って、手を振るモーションが画面に映った。配信の終了画面に切り替わって、画面が暗くなる。

 しばらくして、ポケットの中でスマホが震えた。

 LINEの通知。既読がついていた。

「なにかあった?」

「警察が来た」

 既読はすぐについた。でも、返信は来なかった。

 十分くらい経ってから、通知が鳴った。

「葵が死亡/失踪したって」

 返信がきた。

「あー。うん。そっか」

 それだけだった。



 次の返信は、すぐに来た。

「いいよ。会おっか」

「え?」

 俺は打った。

「会えるのか?」

 この三年で、俺がそらに何かを問うたのは、初めてだった。

「うん。今度、住所(アドレス)送るからそこで会おう」

 住所(アドレス)。その文字を、俺は何度か読み返した。

 少しの間、返信が止まった。それから、

「あ、でも、このことは内緒だよ?」

 と、続いた。

 三年前と、同じ言葉だった。

「なんでか、聞いてもいいか?」

「え? ファンのうちのたった一人にだけ会うってバレたら炎上しちゃうからだよ。まあ、私たちにとっては友人と遊ぶってだけだけどさ。それでも、炎上とか怖いものは怖いじゃん? だから、内緒にしてね」

 俺はスマホを見ていた。

 部屋の奥のモニターは、もう暗かった。

「わかった」

 俺は、そう打った。

 三年前、ファミレスで頷いた時と、同じ気分だった。



 三日後、玄関のチャイムが鳴った。

 宅配便だった。大きめの段ボールで、差出人は知らない住所。春の誕プレと同じ住所だ。

 部屋に持ち込んで、開ける。

 中には、VRヘッドセットが入っていた。

 一番上に、メッセージカードが一枚。文字は印字されている。

『これ被って起動すると、そらんちに飛べるから。ゲームの続きやろーね!』

 俺はカードを、しばらく見ていた。

 ヘッドセットを手に取る。思ったより軽い。

 そらんち、か。

 考えてみたら、あいつの家に行くのは初めてだな。

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