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Frange ruinam   作者: S
神様編
9/38

霽月池

「人に見つかっても大丈夫なの?」


移動しながら、私はモイラに問いかけた。


「ええ。神域の中でない限り、人の目には映らないはずよ」


「じゃあ、私はどうして見えているの?」


「貴方と私は今、“縁”が結ばれている状態だからよ」


それ以上問い返す前に、私たちは霽月池へと辿り着いた。


そこに広がっていたのは、神秘的としか言いようのない池だった。今まで見たどんな水よりも澄み切っていて、あまりの静謐さに思わず背筋が冷えた。



池のそばには、以前見たものと同じ、小さな祠がひとつ佇んでいた。……だが、いくら待ってもパルカの姿は現れない。


「神って、こんなに気まぐれなのか?」

そう言うと、モイラはくすりと笑った。


「――どいて」


短く告げられた直後、私は肩を押され、よろめいて地面に手をついた。顔を上げると、そこには両手に光を集めるモイラの姿があった。


彼女がその光を祠へ放とうとした、その瞬間だった。光が、ふっと消えた。


代わりに現れたのは、青い瞳、青い髪、そして背に大きな白い翼を持つ、一人の女だった。

――あれが、パルカ。


パルカは何も言わず、ただモイラを睨みつけていた。直後、眩い光が連続して放たれる。あれに当たれば、骨すら残らないだろう。……しかも、軌道は私を巻き込む位置だ。


死を覚悟した、その瞬間。私は突然、何者かに抱き上げられ、遠くへと投げ出された。


「痛っ……」


地面に転がった私を、パルカが静かに見下ろしていた。


「――しばらく、ここにいて」


そう言うと、周囲から光が溢れ、私を包み込む。温かい。まるで、守られているような感覚だった。


一方で、モイラは――完全に、私を巻き込んで攻撃している。


(どこが、陽動なんだ……)

 

そう思う暇もなく、次々と光が飛び交う。守られているとはいえ、私を包む光が、少しずつ弱まっていくのが分かった。


その向こうで、モイラは翼を大きく広げていた。

池一帯の空気が歪み、無数の光が生まれていく。数も、範囲も、さっきまでとは比べものにならない。


……全部、まとめて壊すつもりか。


モイラの視線は、一直線にパルカだけを捉えている。けれど、その光は、私のいる場所すら射程に収めていた。


次の瞬間、光が降り注いだ。爆発するような閃光が、池を中心に一斉に広がる。地面が抉れ、水が跳ね上がる。


――だが、一条の光が、真っ直ぐに走った。パルカの放ったそれは、無駄のない一直線。広がる光を切り裂くように貫き、モイラの攻撃を正面から相殺する。


衝突した光同士が弾け、眩い粒子となって霧散した。モイラの顔が歪む。それは、怒りに満ちた表情だった。


「守ってばかりじゃ、勝てないわよ」


モイラは高笑いする。再び、周囲に光が溢れ出す。さっきよりも荒く、制御を欠いたものだった。


次の瞬間、私の周りの光が消えた。同時に、モイラの放った光が肩を掠める。


「……っ!」


私は地面に倒れ込む。傷口は焼けただれ、強烈な痛みが走った。息を整える間もなく、次の光がこちらへ迫る。


その前に、パルカが立ちはだかった。光を正面から受け止める。


「……っ」


パルカの腹部から、大量の血が溢れた。モイラはゆっくりと近づき、笑みを浮かべる。


「お見事ね。連れて来て良かったわ」


モイラは光を手に集める。


「じゃあ、さようなら」


私は反射的に、パルカの前へ出た。


「何のつもりかしら」


モイラは、楽しそうに笑う。


きっと、パルカは危険な神なんかじゃない。むしろ――今まで人を破滅させてきたのは、モイラの方だったのではないか。


「今、引いたら命だけは助けてあげるわよ」


「パルカさん……大丈夫ですか?」


振り向いて声をかける。


「ええ……大丈夫よ」


パルカは、かろうじて声を絞り出した。


次の瞬間、光が目前まで迫る。衝撃で体が弾き飛ばされ、私は木に叩きつけられた。


頭に走る激痛。触れると、手のひらに大量の血が付く。……体が、動かない。


視界の向こうで、二人の姿が遠ざかって見えた。モイラの背後に、無数の光が集まり始める。


「アストルム・カウサーレ」

その言葉と同時に、光が解き放たれた。視界を覆い尽くすほどの光量。逃げ場のない、圧倒的な質量。


だが――パルカは、静かに口を開いた。


「……アストルム・カウサーレ」


同じ技名。けれど、その性質は、まるで違った。一点に収束した光が、モイラの広範囲の神術を正面から貫く。


「……っ、ありえないわ……!」


モイラの声が、初めて乱れる。


すべてを飲み込むように、パルカの光は進み続け――次の瞬間、モイラの身体が後方へ吹き飛び、池の縁へと崩れ落ちた。


集まっていた光は霧のように消え、神域に満ちていた圧力が、一気に抜けていく。モイラは倒れたまま、動かない。翼は地に伏し、虚ろな目で空を見つめていた。


私は、急いで倒れている二人へと近づいた。


「あの……大丈夫ですか?」


声をかけると、先にこちらを見たのは、パルカだった。


「ええ。少し時間が経てば、再生するわ」

穏やかな声だった。


「それより、貴方こそ大丈夫かしら」


彼女の腹部にあったはずの傷は、すでに半分ほど塞がっている。神の再生力とは、こんなにも凄まじいものなのか。


「私は……大丈夫です」

そう答えてから、私は一瞬、言葉に詰まった。


「えっと……あなたは?」


彼女は、少しだけ困ったように笑った。


「私の名は、モイラよ」


……モイラ?思考が、追いつかない。では、さっきまでモイラを名乗っていた存在は――。


「実は……」


私は迷いながら、先ほどの戦いの前後で聞かされた話を、できるだけ正確に伝えた。分霊のこと。未来視が衰えたという話。そして、陽動として戦いに利用されたこと。


話を聞き終えた彼女は、静かに頷いた。


「大筋は合っているわ」


そう前置きしてから、はっきりと言う。


「違うのは一点だけ。――分霊なのは、彼女。名はパルカよ」


胸の奥が、冷たくなる。


「人々を破滅に導いてきたのも、未来を神託と称して歪めていたのも……彼女ね」


モイラは目を伏せた。


「私は……分霊を盾にして、逃げたの」

静かな声だった。


「本来、分霊が本体の力を奪うなんて、不可能よ。……彼女は、私に恨みを持ってしまった」


「……罪悪感を、抱いているんですか?」


問いかけると、モイラは小さく笑った。


「ええ。そうね」


そして、淡々と続ける。


「この400年間、微弱ながら力を送り続けていたわ。……もっとも、ここ最近は、ほとんど送っていなかったけれど。――それが、彼女を“神”にしてしまったわね」


そのときだった。


「……ふざけないで」


低く、怒りを孕んだ声が響く。


倒れていたもう一人――パルカが、ゆっくりと身を起こしていた。その瞳には、抑えきれない怒りが宿っている。


「勝手に切り離して、勝手に逃げて……それで全部、私のせい?」


吐き捨てるように言う。


「貴方のせいで……!」


モイラは逃げなかった。ただ、真正面からその視線を受け止める。


「……ごめんなさい」


その一言に、言い訳はなかった。


「貴方は、私」

そう続ける。


「だから――責任は、私にある」


「今さら……」


パルカの声が震える。怒りと、悲鳴に近い感情が入り混じっていた。


「でもね」


モイラは一歩、近づく。


「もう、終わりにしましょう。分かたれたままでは……貴方も、辛いでしょう」


沈黙が落ちた。


やがて、パルカは唇を噛みしめ、目を伏せる。


「……大嫌いよ」


そう言いながらも、拒絶はしなかった。


モイラが、そっと手を伸ばす。二人の身体が淡い光に包まれ、神域に満ちていた緊張が、静かに溶けていった。


しばらくして、そこに立っていたのはモイラだった。だが、その輪郭は先ほどよりも、どこかはっきりしている。


「……ありがとうね」


モイラは、私に向かってそう言った。


「貴方がいたから、戻れたわ」


「私は……何もしてません」


そう答えると、彼女は微笑んだ。


「いいえ。貴方が、好機を作ってくれたもの」


少し間を置いて、私は尋ねた。


「モイラさんには、天啓ってあるんですか?」


「ええ。神にも、天啓はあるわ」

モイラは頷く。


「私の場合は、神託を授けること自体が天啓だったわ」


「それは……パルカさんも?」


「どうだったのかしら」

彼女は小さく笑う。


「分霊だったから、あったとは思うけれど……私とは、違う果たし方だったのでしょうね」


そして、こちらを見つめる。


「貴方は、どうしてパルカと対面したの?」


「悪魔を殺したくて……でも、力が足りなかったから」


私は正直に答えた。


「運命を、見てもらおうと思って」


その瞬間、モイラの表情が変わった。


「……そう」


彼女は一歩近づき、言った。


「じゃあ、見てあげるわ」


モイラは目を閉じる。しばらくして、目を開いた瞬間――その顔色が、明らかに青ざめていた。


「どうしたんですか?」


問いかけると、彼女は困惑したように呟く。


「見えないわ……何も聞こえない。何も感じられない」


震えた声で続けた。


「こんなこと、今まで一度も無かった」


私は、池の方を見た。水面には、淡い虹が映っている。


「……そうですか」

そう言ってから、微笑む。


「でも、この景色を見られて良かったです」


モイラは、少し意外そうに私を見た。


「貴方、名前は?」


「……ルイーナです」


「そう。ルイーナね。覚えておくわ」

彼女は柔らかく言う。


「困ったら、いつでも来なさい」


私は手を振り、別れを告げた。


「未来を見たとき……一瞬だけ、あの悍ましい神が見えた気がするの……貴方は、破滅に立ち向かう運命なのかもしれないわね」


モイラはそう呟き、祠の奥へと静かに姿を消した。


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