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Frange ruinam   作者: S
悪魔編
6/38

「ここだ」


ネブラが足を止めた先には、

【魔本屋】と書かれた看板を掲げた店があった。


「前から思ってたけど……人間文化って、魔界にも意外とあるものなんだね」


「まぁな。ハデスが魔界を管理しているから、その影響も大きい」


「それで、スパティアの手がかりって?」


「それは入ってから説明する」


そう言われ、店の中へ足を踏み入れた瞬間だった。風を切る音とともに、一本のナイフが視界を横切る。


ネブラは即座に反応し、飛んできたナイフを叩き落とした。


「ずいぶん物騒な挨拶じゃないか」

そう言って、彼は余裕のある笑みを浮かべる。


すると、店の奥から店主らしき魔が姿を現した。


「またお前か。立ち入り禁止だと、何度も言っているはずだ」


ネブラは一歩下がり、私の後ろに回った。


「……その子は人間か。ついに拉致でもしたか?」


その言葉と同時に、店主の周囲に無数のナイフが浮かび上がる。


「えっと、違います。私は自分の意思でここに来ました」


慌ててそう言い、私は小声でネブラに尋ねた。


「スパティアとアニムスのこと、店主に話した?」


「……話してないが?」


――どうやら、ネブラは何も説明していなかったようだ。私は小さく息を吸い、店主の方を見た。


「実は……」


事情を一通り説明すると、店主はしばらく黙り込んだ。


「なるほど……それで、商品を見たいと」


「お願いします」


そう頭を下げると、店主は一度だけため息をつき、手を振った。


「……いいだろう。ただし、勝手な真似はするなよ」


「助かる」


店内を見渡すと、並んでいるのはほとんどが古い本だった。


「本ばっかりだね……ここに、スパティアの手がかりがあるの?」


「あぁ。我が幼き頃、まだ店主が別の者であった時に、ここで見た本があってな」


「そこで見た本が、確か……」

ネブラは一冊の黒い本を手に取った。


表紙に記されていた題名は――【魂について】


ページをめくると、魂の性質や構成などについて書かれている。さらに読み進めた先で、私は息を呑んだ。


黒い影のような、不定形のイラスト。


「……やはりな」

ネブラが低く呟く。


「これは、アニムスに酷似している」

イラストの横には、こう記されていた。

――魂の集合体。


「アニムスと呼んでいたものの正体は、複数の魂を集めて形成されたものだ」


「じゃあ……」


「スパティアが作ったのは、これだろうな」

さらにページをめくる。


次に書かれていたのは、一時的に飛躍的な力を得る方法について。


「……でも、肝心の方法が書かれてない」


「あぁ。意図的に消されてるか、別の書物に書かれてるかだろう」


ネブラは本を閉じ、しばらく考え込んだ。


「スパティアは、この力を求めている可能性が高い」


「でも、どうして?」


「さぁな」


ネブラはそう言って、本を棚に戻した。店を出ると、外の空気がやけに冷たく感じた。


「とりあえず、ホテルに戻るぞ」


こうして私たちは、まだ全貌の見えない力について考えながら、一度、ホテルへ戻った。


ホテルに戻ると、やけに静かだった。人の気配がない。その代わりに、鼻を突く腐敗臭が漂っている。


嫌な予感を覚えながら廊下へ出ると、足元に赤黒い血溜まりが広がっていた。視線を上げた先には、多くの人が倒れている。……死体だ。


近づいて確認すると、その多くは体を切断され、無残な姿で絶命していた。


「我は天使を呼びに行く。お前は生存者を探せ」

そう言い残し、ネブラはその場を離れた。


私は部屋を一つずつ確認していく。どの部屋も鍵は開いており、中には例外なく死体があった。


そして、どの部屋にも魔の姿はない。魔は死ねば消える。つまり――ここにいた魔たちは、すでに全員殺されている。


廊下に戻り、倒れている人々の顔を改めて見た瞬間、胸が締めつけられた。見覚えがある。


サクスム。フランマ。イネプト。

皆、確かに生きていたはずの者たちだ。


しばらくして、ネブラが戻ってきた。


「天使はいなかった」

そして、静かに続ける。


「もう、死んでいる可能性が高い」


その時だった。


「ルイーナ!」


声に気づいて振り向くと、紙袋を抱えたモラがこちらへ駆け寄ってくる。生きていた。その事実に、思わず胸を撫で下ろす。


だが、彼女が私のそばまで来た瞬間、廊下の惨状に気づいたのだろう。顔色が一気に青ざめ、目に涙が浮かぶ。


「えっ……それって……」

彼女の手から紙袋が落ち、床に転がる。中から、割れたクッキーの入った小袋がこぼれ出た。


次の瞬間、周囲の光が歪む。世界が暗転し、視界が完全に閉ざされた――かと思った、その直後。ふっと、視界が晴れる。


そこにいたのは、金髪に赤い目をした――男だった。


「スパティア……」

ネブラが低く呟き、目の前の男を鋭く睨んだ。


「久しぶり、ネブラ」

――あれが、スパティア……。


「お前……何をするつもりだ」


ネブラが一歩、距離を詰めた瞬間だった。

二人の足元から闇が滲み出し、床を這うように広がっていく。


「――っ!」


次の瞬間――ネブラとスパティアの姿は、そこにはなかった。


「……っ!」


私は思わず声を上げ、周囲を見渡した。そこに残っていたのは、私とモラ、そして――静まり返った《魔界ホテル》だけだった。


「ネブラは……どこに……?」


私は慌てて入口へ向かい、扉を押す。だが、びくともしない。


「開かない……?」


嫌な予感が胸をよぎる。周囲を改めて見回すと、違和感はすぐに確信へと変わった。


先ほどまであったはずの死体も、血の跡も、破壊の痕跡も――何一つ残っていない。


「……おかしい」


作られた空間のように、整いすぎている。まるで、最初から“そういう状態”だったかのように。


「空間操作……?」


もしそうなら――


「ここは、異空間……」


「えっと……何がどうなってるの……?」


モラが不安そうにこちらを見る。私は短く息を吸い、分かっていることを整理して伝えた。スパティアの存在、アニムスのこと、そしてネブラとの関係について。


「……スパティアに、アニムス……」


モラは眉をひそめる。


「なんだか、すごく大変なことになってるね」


「うん。でも、ここに閉じ込められてる以上、出口を探すしかない」


こういう異空間には、必ず脱出のための条件がある。私たちは警戒しながら、ホテルの中を探索し始めた。



視界が戻った瞬間、ネブラは息を整えながら周囲を見渡した。そこはホテルだった。


だが、先ほどまでいた場所とは決定的に違う。

血の匂い。壁に残る破壊の痕。


「……なるほど」


スパティアが周囲を見回し、静かに笑う。


「戻ってきたわけか」


ネブラは視線をスパティアへ戻した。悪魔の象徴であるはずの黒い翼は、スパティアの背には存在しなかった。――天啓の罰則、か。


「少し話がしたくてね」

スパティアは淡々と言った。



「あの二人は、一時的に閉じ込めさせてもらったよ」


「お前は、何を企んでいる?」


「ネブラならもう分かってるだろ?」

スパティアは肩をすくめる。


「力を手に入れるためだよ」


「力の入手方法は?―それは一体、何の力だ」


「それは教えられないな」


「目的は何だ」


一瞬の沈黙。


「奪われた世界を、取り戻すためさ」


スパティアは真顔でそう言った。


「……奪われた?」


――同じ頃。

探索して分かったことが二つある。メインホールからも、出口からも外へは出られないこと。ここは、本来のホテルではないこと。


「ルイーナ、これ机に入ってて……」


モラが差し出したのは、コンパスのような道具だった。針の示す先にあったのは、特別変わった様子のないホテルの壁だった。ただ一つ違ったのは、そこから微かに魔力が滲んでいたことだ。


「もしかしたら、ここから出られるかも」


「でも……壁だよ?」


私は壁にそっと手を伸ばす。次の瞬間、指先は抵抗なく壁をすり抜けた。


「えっ……私たち、幽霊だったりする?」


動揺した様子で、モラが言う。


「異空間だからね」

私は首を振る。

「私にも分からないことは多いけど……ここからなら、出られそう」


嫌そうな顔をするモラの手を引き、私達は真っ暗な道を歩き出した。


足音だけがやけに大きく響く。空気が重く、魔力の流れが不安定なのが分かった。その瞬間、視界が歪んだ。


「っ……!」


足元が消え、身体が強く引きずられる感覚。次の瞬間、私達は床に叩きつけられた。


「痛てててて……」


私達が顔を上げると、そこは見覚えのある光景だった。崩れた床、焦げた壁、血の匂いが残る空気。


そして――そこには、ネブラとスパティアがいた。スパティアは、にこやかに手を振った。


「そろそろ頃合いかな」


スパティアがそう言って、真上を見上げる。

次の瞬間――天井が砕ける轟音と共に、眩い光が落ちてきた。その直後――白い影、天使がスパティアを吹き飛ばした。


「この一連は、お前の凶行だな」


天使は血相を変え、スパティアを睨みつけた。その声には怒りと憎しみがはっきりと滲んでいる。


吹き飛ばされたはずのスパティアは、すでに身を起こしていた。服の埃を払うように立ち上がり、余裕のある笑みを浮かべる。


「…せいぜい足掻けよ」


軽い調子でそう言うと、スパティアは指先で空間を裂き、そのまま立ち去ろうとした。


「見逃すとでも思っているのか」


天使が静かに言うと同時に、スパティアに向かって雷が落ちる。眩い閃光がその場を貫いた。


だが、そこに、スパティアの姿はなかった。代わりに立っていたのは――あの本で見た挿絵と酷似した、悍ましい黒い影。


「……アニムス」


天使は怯まず、次々と雷を放つ。だが、どれもアニムスに触れた瞬間、霧散するように消えた。


――効いていない。


焦りを滲ませながら、天使は大きく息を吸った。その全身に、これまでとは比べものにならない神々しい光が集まっていく。


「ルーメン・スペイ」


低く、確かな声でそう告げると、圧倒的な輝きが一条の光となって放たれた。空間そのものを浄化するかのような、純白の光。それは確かに、アニムスを正面から捉えた――はずだった。


だが、アニムスは微動だにしない。光は闇に呑まれるように歪み、やがて霧散した。


次の瞬間、天使の身体は両断され、そのまま床へと崩れ落ちた。アニムスは、役目を終えたかのように空間を裂き、こちらを一瞥することもなく、静かに姿を消した。


私たちは同時に駆け寄った。大量の血液が床に滴っていた。天使の呼吸は浅く、今にでも止まりそうだ。


「だ、大丈夫ですか……?」

モラの声は震えている。天使はわずかに目を開き、私達を見た。


「……聞いてください……」

その視線が、私を捉える。


「……さっき悪魔は……きっとあの“書物”を……狙っています……」


息をするたびに、声が途切れる。私は思わず身を乗り出した。


「書物……?」


天使は、かすかに首を振った。


「飛躍的な力を得られる術が書かれた書物です。ハデス様の腹心が……はるか昔……その書物を……封印しました……誰にも……触れさせぬために……」


天使の指が、床を弱々しく掴む。

「あの悪魔が……気づく前に……破壊してください……ここから東へ……約1200km先にあります……」


「……封印を解くものは……」


天使の言葉はそこで途絶えた。やがて形を保てなくなり、音もなく消えていった。私達は言葉を失ったまま、その場に立ち尽くした。


「お前らは、人間界に帰れ」


ネブラはそう淡々と言い放った。

私は思わず眉をひそめた。


「……は?」


ネブラは表情一つ変えない。


「お前らは、足手まといだ」


「帰らない。それに言ったでしょ。これは利害の一致だって」


私はきっぱりと言い返した。


「……勝手にしろ」


ネブラは短く吐き捨てる。


「行くぞ」


そう言うと、私の方を一瞥し、そのまま歩き出した。


「あの……私も、ついていっていいんですか?」


モラが遠慮がちにネブラへ問いかける。


「お前は、我々に付き添う理由がないだろ」


「……でも」


「邪魔だと言っている」


「ちょっと言い過ぎじゃ――」


そう言いかけた瞬間、モラが静かに口を開いた。


「大丈夫。私は、自分で決めるから」


そしてネブラを真っ直ぐ見つめ、はっきりと言った。


「ついていきます。たとえ、あなたにとって邪魔だとしても」


ネブラは何も答えない。

ただ一言だけ言った。


「……封印についての情報を探すぞ」


そして私達は、ネブラの後を追うように歩き出した。


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