出会い
ホールに入ると、そこには私より一回り小さい少女が一人いた。――確か、名前はモラ。
「よろしくお願いします」
彼女は小さい声でそう言った。
合図と同時に、私は一気に距離を詰める。見た目が子供でも、決勝まで勝ち上がってきた相手だ。手加減はしない。
拳を振るおうとした、その瞬間――
「ひぇ……!」
モラの周囲に、淡く光る魔力の壁が展開された。拳を叩き込むが、びくともしない。衝撃が腕に返ってくる。
――魔力放出の応用のシールド。
「っ……」
彼女は怯えたように後退しながら、魔力をこちらへ撃ってくる。今までとは比べものにならない大きさ。圧縮された塊が、歪んだ軌道で迫ってくる。
正面突破は無理だ。私は魔力を脚に回し、弾道を読みながら左右へと回避する。距離を取り、一気に後ろへ回り込む。
――もらった。
そう思った瞬間。
ドーム状の魔力シールドが、モラを包み込んだ。
「……っ」
思わず息を呑んだ。こんな制御が可能なのか。それとも――能力か。だが、シールドの内側で――モラの表情が、苦しそうなものになっていた。
今にも泣き出しそうな顔。唇が震え、呼吸が荒くなっている。
「……大丈夫ですか?」
思わず、そう声をかけていた。
彼女は苦しそうにこちらを見て、掠れた声で、ゆっくりと呟いた。
「……早く……出せ……」
次の瞬間。モラの体から、力が抜けたように崩れ落ちた。
《勝者――ルイーナ》
淡々としたアナウンスと、拍手がホールに響く。
私はすぐにモラへ駆け寄ろうとした。その瞬間――視界が反転し、体が宙を舞う。背後の壁に叩きつけられ、石が砕け散った。鈍い音が響く。
「……何……?」
顔を上げる。
そこには、床に倒れたモラと――そのすぐ隣に、異形の存在が立っていた。
大きな角、裂けたような口元、そして、黒い翼。――悪魔。
「はは……ははははは!」
耳障りな笑い声が、ホール全体に反響する。
「数百年ぶりの世だ……!魔も、人も――すべて根絶やしにしてくれよう!」
悪魔は、愉快そうにそう叫び、こちらを見た。
「まずは人間。……お前からだ」
次の瞬間。無数の魔力が、形を変えて放たれた。
塊だけではない。槍のように鋭く、鎖のようにしなる魔力。
――魔力放出の精密制御能力
避けきれない。私は身体強化で衝撃を殺しながら、拳で弾き、床を蹴って距離を詰める。
悪魔は嗤いながら、魔力をさらに展開する。空間が、魔力で満たされていく。私は歯を食いしばり、魔力を拳に集中させた。魔力を砕き、無理やり道を作る。
だが、次の瞬間、悪魔が、両腕を広げた。
「――消し飛べ」
ホール全体の魔力が、一点に収束する。……まずい。このままだと、ホールにいる者全てが死ぬ。
逃げ場はない。受ければ――終わる。その瞬間。
「――そこまでです」
澄んだ声が、空気を切り裂いた。次の瞬間、周囲に雷が落ちた。轟音とともに、悪魔の頭上から雷撃が叩き込まれる。悪魔は即座にシールドを展開するが――
「な……っ!?」
いとも簡単に破れた。雷はそのまま悪魔を貫き、床へと突き刺さる。光が収束し、焼け焦げた魔力だけが残る。
「……っ、ばかな……!」
悪魔の体が、崩れ始める。形を保てず、黒い霧となって霧散していく。そこに立っていたのは――ハデス直属の使い魔、天使だった。
「ここはハデス様の管理する《魔界ホテル》です」
静かな声で、しかしはっきりと告げる。
「戦闘は、外で行いなさい。多くの宿泊客を巻き込む行為は、規約違反です」
そう言い捨て、天使は去っていった。
私は、荒く息を吐きながら、倒れたモラを見る。
そのまま彼女を抱き上げ、救護室に向かった。
「命に別状はありません」
そう淡々と天使は言った。
「なぜ、あそこに悪魔が?」
「分かりません。悪魔との契約でしょうか」
天使は、こちらを見ることなく書類を書いていた。
仕事の邪魔をするのも悪いと思い、救護室を去ろうとした時、誰かの声がした。
「あの……ありがとうございました」
モラは、ベッドの上からこちらをゆっくりと見ていた。
「あの……もしよければ、話を聞いてくれませんか?」
彼女はベッドから立ち上がり、こちらへ近づいてくる。
「えっと……大丈夫ですけど」
「お話なら、お部屋の方でお願いします」
天使が、言葉を遮るように言った。
部屋に着くと、モラは話し始めた。
「子供の頃、事故に遭ったんです。子供ながらに、これはもう助からないって思いました。そこで、悪魔に会ったんです。回復してくれるって」
――確か、魔にはある程度の回復能力を使える者もいるとネブラ言っていた。
「その時は、生きることに必死で、代償も聞かずに受け入れてしまいました。でも……代償は、体だったんです」
「体……?」
「はい。あの後、悪魔は私の中に入ったんです。それで、頭の中にあの悪魔の声が聞こえるようになりました。そこで、契約について聞いたんです。命を助け、能力を与えた代わりに、90年後に体を貰うって」
「それって……悪魔側にメリットはあるんですか?」
「はい。その時、その悪魔は魔同士の戦争をしていたらしいんです。そこで大きなダメージを受けて逃げてきたみたいで……安全に回復するためだったんと思います。それか、ただの気まぐれでしょう」
そう言う彼女は、悲しそうな顔をしていた。
「私は、あの日から悪魔に踊らされてきました。今日ここに来たのも、悪魔に指示されて、脅されて……」
そう言うと、モラは黙り込んだ。
――選ぶ権利を奪われる痛みが、どれほどキツいものか。
「私たち、友達になりません?」
「えっ……」
「ごめんなさい。困らせたかったわけじゃなくて……自分で決めていいんですよ。何者にも縛られない、そんな人生のほうが楽しいです。モラさんには、幸せになってほしいですから」
「……ありがとうございます」
そう言って、モラは近づいてきた。
「友達ですね!」
そう言って、彼女は笑った。
そこから、私はモラと他愛もない世間話をしていた。
「そういえば……契約って、どうなったんだろ」
モラは少し考えるように首を傾げた。
「もう破棄されてると思うよ。それより、魔力ってどうなった?」
契約が消えた場合、魔力は失われるのだろうか。そんな疑問が頭をよぎる。
「えっと……魔が、前より見えにくくなったかな。半透明に見える」
「じゃあ、少しは魔力が残ってるんだね」
私は少し安心して、続けた。
「ねえ、私って……人間界に帰れるかな。もう、あの悪魔はいないし」
「ネブラとか、天使とかに頼めば大丈夫だと思うよ」
そう答えた、その時だった。
「ルイーナ、いるか?」
扉の向こうから、聞き慣れた男の声がした。鍵を開けると、そこに立っていたのはネブラだった。
「魔力の授与だ。天使が呼んでいたぞ」
メインホールの受付に行くと、天使が立っていた。
「お渡しいたします」
淡々とした声と同時に、空中に淡く光る塊が現れる。
魔力が、ゆっくりと私の体へと溶け込んでいった。魔力が増えた。はっきりと、そう分かる。
周囲を見ると、これまで半透明でしか見えなかった魔の姿が、くっきりと輪郭を持って映っていた。
ネブラの部屋に戻ると、彼はすでに椅子に腰掛けて待っていた。
「受け取ったか?」
「うん。お前は?」
「あぁ、もう受け取ったぞ」
そう言ってから、少しだけ間を置く。
「とりあえず……合格ってとこだな」
軽い口調に、思わず睨みつける。
「舐めてんの?」
「そんで、行かないの?」
ネブラは小さく息を吐いた。
「はぁ……お前、だいぶ魔力を消費してるだろ。今日は休め」
そう言うと、ネブラは有無を言わさず私を部屋の外へ押し出した。
扉が閉まり、直後にカチャリと鍵のかかる音が響く。
「……追い出されたんだけど」
返事はない。
「とりあえず……今日は、ゆっくりするか」
私はそう呟いて、自分の部屋へと戻った。




