第四十四話 愛情
600年前――人間界は、陰陽師が全盛期を迎えていた。陰陽師とは、生まれつき魔力の代わりに呪力を持ち、呪術を用いて災いを祓う人間のことだ。
我は、いつも通り敵対する陰陽師を皆殺しにしていた。だがある日、一人の女の姿が窓越しに見えた。
目撃者は、いずれ厄介なことになる。そう思い、手にかけようとした。だが――
「悪魔さんですか?」
女は、目を輝かせてそう言った。我が言えたことではないが、変な女だと思ったよ。その女は、どうやら病床に伏しているようだった。
今まで、我を見て恐れ、憎み、あるいは悲しむ者はいた。だが、あの女は違った。理解できない感情を我に向けていた。それが不思議だった。
また、あの家の前で殺しをしていると、女と目が合った。女はこちらを手招いていた。我は気まぐれに、家に入った。
家の中には生活最低限のものしかなく、埃が立ち、カビが生えた、最悪な環境だった。
その女は、家族や村の人々に見捨てられ、一人でここに住んでいるらしい。貨幣も尽きかけ、不治の病に侵され、人生を諦めていたそうだ。
何度か、その女と会話をした。悪魔や魔、神についての質問に答えた。
「妾はアモーレです。貴方は?」
「……スパティア」
「そう。素敵な名前ですね」
会うごとにアモーレは衰弱していった。食事もまともに取れていないのだろう。治すこともできた。だが――何故か我は、その女と契約を交わすことにした。
本来、代償など要らなかった。だが契約である以上、望みに見合う代償が必要だった。契約内容は――望みは病の完治。代償は、人との繋がりの断絶。
アモーレは嬉々としてそれを受け入れた。
そこから、アモーレはみるみる元気になり、喜怒哀楽もはっきりと表れるようになった。……不思議と、安堵を覚えた。
それから我は、毎日アモーレと話すようになった。
「日記、書きません?」
「……何で?」
「思い出になります。書きましょうよ!」
我はアモーレに押され、日記を書くことにした。
「部屋、汚くない?」
「……そうでしょうか?」
「掃除するよ」
「妾がやります。……って、スパティアさん、聞いてますか?」
「代償は、妾にとってはあまり変わりませんでしたが……以前より甚だ楽しいです」
「……そうか」
「あっ、嬉しそうですね」
「……別に」
「殺し、やめませんか?」
「……何で?」
「その人にも、愛する人がいるからです」
「……分かった」
それから十年――ある夜、アモーレの家へ向かう途中、陰陽師と遭遇した。
「人間ごっこは終わりだ。良い夢は見れたか、外道」
アモーレとの約束がある。……人を殺すわけにはいかない。
「……がはっ」
「呪いをかけた。何処へ逃げようとも、この呪いは消えない」
「……お前を殺せば消えるのか?」
その日は、やけに雨が強かった。
「こんな日に何してたんですか?……傷を負っています」
「平気……返り血だから」
「……」
「済まない……約束、守れなかった」
「座りません?」
アモーレは我の手を引き、床に座らせた。
「今日は雨が酷いですね」
「……我は人殺しだ。変わったつもりでも、昔日は消えない」
「……」
「……我を愛する者などいない」
「昔日は消えません。確固に。でも――償うことはできます。……妾と共に」
「……」
「それに、妾はスパティアさんのことを愛しています」
「……アモーレ」
「あっ、もう眠いので寝ますね」
「待って」
「何ですか?」
「……我も、愛している」
アモーレは目を輝かせた。
「スパティアさん……一緒に寝ますか?」
「……御休み」
「もう、意地が悪い人ですね」
我が契約を持ちかけたのは、アモーレと共に生きていたいという想いからだったのかもしれない。――これからも、二人で生きていこう。
だが……幸福な日々は、長くは続かなかった。
ある日――家は静まり返っていた。
「アモーレ……?」
机の上には、一通の書簡。
『汝の情人を拐かした。駝荊毀壊城跡にて待つ。女の首が飛ぶ前に来い』
そこには、かつての繁栄を思わせる石垣があった。だが、異様なほど静かだった。
「アモーレ!」
「喧しい」
そこにいたのは――あの忌々しい神だった。
「初めましてか?俗世に堕ちた悪魔よ」
「……」
「お前は、こうでもしないと現れないからな」
「……アモーレをどうした?」
「そう焦躁るな。ここにいる」
その神の背後には、アモーレが意識を失ったまま横たわっていた。
「安堵しろ。存命だ」
「何故、こんな事をした?」
「さあ――いざ、闘おうではないか」
それからのことは、あまり覚えていない。だが、状況が良くなかったことだけは確かだ。
「……がはっ」
「尫弱たり、下らない」
「お前は……何故、こんなことをする」
「先日、神討ちを抑制する天啓を受けてな」
「……だから、代わりに我を狙ったのか」
「俺には能力がある。俺が所有権を持つ存在を、莫大な魔力で“削除し”、その状態の世界を再構築できる。この手段で、如何しても敵対したい神を屠ってきた」
「……」
「冗長が過ぎたな」
そこから我は、一心不乱に逃げ出した。――それは、醜く愚劣な選択だった。
「アモーレ……待っててくれ」
そう逃げ出した時だった。周りの風景が全て歪んだ。まるで、世界が破壊されるような。そして、遠くからあの神の声が聞こえた。
「我から遁れた事を後悔させてやる」
その言葉が聞こえた時、我は生まれた時から戻っていた。その時には、何の疑問も抱かなかったが――だが、アモーレと初めて会った日、あの日に疑問を抱いた。何か忘れてしまっていると。
空間を使い移動していた時、あの家が何とはなく目に入った。そんな疑問を心に持ちながら、空間を繋げた。
古びた家だった。埃が立ち、カビが生えた、最悪な環境だったよ。だが、人がいなかった。いるべき人が。その時に思い出したんだ。今までの出来事を、全て。
世界が再構築されようとも、きっと魂だけは変わっていなかった。だから、思い出せたのかもしれない。
「ああ、あ……アモーレ」
アモーレは消されたのだ。あの神によって存在ごと。我は助けることが出来なかった。その場を去り、見捨ててしまった。あの時、逃げてしまったからあの神は腹を立て、この行動を起こしたのだ。
あの時、我が死んでいれば――この世界は、アモーレがいない世界にはならなかったかもしれない。
昔日は消えない。アモーレの思い出も記憶も存在も消えたわけではない。だとしたら、あの神を殺すことができれば、アモーレを取り戻すことができるかもしれない。
あの神に勝つにはまず、ハデスを殺し力を得ることから始めるべきだ。
「アモーレがいた世界を取り戻す」
我はそう心に決め、歩き出した。




