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Frange ruinam   作者: S
スパティア編
33/39

色のない真実

気がつくと、目の前には殺風景な景色が広がっていた。空はどこまでも灰色に染まっている。足元に目を落とすと、浅い水が静かに流れていた。足は確かに水の中に入っているはずなのに、濡れる感覚がない。


ここが――冥界なのだろうか。


ふと視線を向けると、少し離れた場所に二つのものが落ちているのが見えた。水晶のネックレスと、赤鉄鉱石だ。神々が送ってくれた魔具だろう。


私はそれらを拾い上げ、水晶のネックレスを首に掛けた。その時、自分の手がわずかに透けていることに気づいた。


……肉体がない。指先を動かしてみる。感覚はある。触れることもできる。だが体は半透明で、まるで幽霊のようだった。


普通なら、幽霊は物に触れられないはずだ。だがここは冥界だ。魂のままでも、こうして干渉できるのかもしれない。


周囲を見渡す。すると、遠くから無数の人影がゆっくりと歩いてくるのが見えた。人も、魔も同じ方向へと歩き続けている。


誰もこちらを見ることはない。表情もなく、ただ真っ直ぐに歩き続けている。その視線の先を見ると――遠くに、淡く光を放つ場所があった。


あそこへ向かっているのだろう。ここにいる魂たちは、おそらくもう意識を持っていない。自我もなく、ただ導かれるままに進んでいるだけなのだろう。……私に意識があるのは、神々の力でそのまま送られたからかもしれない。


私はその光の方へと歩き出した。流れる魂の群れの間を抜けながら、静かに進んでいく。そして、光の近くまで来たとき――一人の男が立っているのが見えた。


灰色の世界の中で、ただ一人こちらを見ている。その姿を見た瞬間、胸の奥がわずかに冷たくなる。間違えるはずがない。スパティアだった。


「君、どうして意識があるんだい?」


スパティアは不思議そうに私を見つめた。


私はこいつに勝てない。それは分かっている。だが、今この光景は神々に見られている。少しでも情報を落とせれば、それでいい。それでも――恐怖はあった。


「……君、どこかで見たことがあるね」


スパティアはそう言って、しばらく上を向いて考え込んだ。やがて、ふっと目を見開く。


「思い出した。ネブラと一緒にいた子だろう。……それなら、どうして生きている?」


ネブラの名前を聞いた瞬間、あの戦いの記憶がよみがえる。胸の奥から怒りが湧き上がってきた。私が黙っていると、スパティアは口を開いた。


「まあ、どうでもいいか」


私は睨みつける。


「お前……一体いつから企んでいた?」


「何のこと?」


「惚けないで。魔の心を得るために、私達を利用していたんでしょ」


スパティアは少しだけ口角を開けた。一瞬の沈黙のあと、あっさりと言った。


「そうだね。最初からだよ」


「最初から……?」


「正確には、600年ほど前かな」


私は息を呑んだ。

スパティアは続ける。


「禁忌気魄書。その様子だと、君も見ただろう?我は最初から、あの本の内容を知っていた」


「そんなはずない……それなら、わざわざ持ち去る必要なんてないじゃないか!」


「君達に見せたくなかっただけさ。それに――」


スパティアはくすりと笑う。


「君達は、まんまと親交を深めてくれたじゃないか」


「……どういうこと?」


「我は目的の為、ハデスを殺してその力を得るつもりだった。だが力が及ばなかった。だから禁忌気魄書に書かれた術を使う必要があったんだ」


「その術に……魔の心が必要だった」


「そうだね。前に言った通り、魔の心は存在しないから、魔の心に似た物を作ることにした。条件は、もう知っているね?」


スパティアはそう私に問いかけた。


「神業を成すこと。そして、他者に対して悔恨を抱くことでしょ?」


「何度も実験したさ。だけど、問題があった。72回も神を殺すのは簡単じゃない。だから、魂の集合体を作った。最も弱い土地神にしてね。そうすれば、神を殺すのは簡単になる」


私は息を呑む。


「昔、一度だけ成功したんだよ。だけど、失敗だった」


「……どうして」


「悔恨を抱かなかったからさ。その魔は他者に対してそうした感情を抱かなかった」


スパティアは淡々と言った。


「そこから50年、実験を続けた。だが上手くいかなかった。強い魔ほど、感情がないんだよね」


「だから、自分で作ることにした」


私の背筋が冷えた。


「……まさか」


スパティアは微笑んだ。


「そう――ネブラだよ」


頭の中が真っ白になる。


「親のいない強い魔を育て、天啓に叛き、人間界に留まらせる。そうすれば我も魔界で活動ができる。そしてアニムスを送り込み、魔界に行かざるを得ない状況を作る」


スパティアの声は、どこまでも冷静だった。


「さらに、人間を巻き込ませるために細工もした。魂の集合体の情報を置いた店の店主を、悪魔嫌いで人間好きな魔にしておいたんだ」


私は呆然とした。


「……そんな」


「そして君達は情報を見つけ、戦い、力をつけ、親交を深める」


スパティアは満足そうに言った。


「上手くいくかは分からなかったけど、君達が仲良くなってくれて良かったよ。ネブラは君達を巻き込んでしまったことで、罪悪感を抱いた」


私は拳を握った。ネブラは――利用されていた。殺されたのも、全部こいつの計画だった。


「天啓に叛いてから500年間、何をしていたんだ?」


「この為の準備と、成功しなかった時の保険を掛けておいたのさ。……話はそれだけかな」


スパティアがそう言った。私は動けなかった。すべてが、こいつの計画だった。


「じゃあ――消えて」


その瞬間、スパティアの手に、先端が二つに分かれた槍が現れた。次の瞬間には、もう目の前にいた。だが、槍が私の首元で止まる。


――違う。止まったんじゃない。パキッと小さな音が響いた。私はポケットに手を入れる。赤鉄鉱石が、粉々に砕けていた。


その瞬間、私は魔力を込めて腕を振るう。槍が砕け散った。スパティアが、初めて驚いた顔をして口を開いた。


「……壊せるわけがない」


やはり魂でも、能力は使える。魔力も残っている。


「まだ力が馴染んでいないからか……」


スパティアは小さく呟いた。


神々がこの状況を見ているなら、ここに来るはずだ。神が攻め込めば、いくらスパティアでも――その時だった。


「さすがに、神が攻め込んでくると厳しいね」


スパティアがそう言った。


「だから、手を打たせてもらう」


「……何をする気?」


「知らないのかい?ハデスは、魔界と人間界の境界の管理権を持っている」


私は息を呑んだ。


「まさか……」


スパティアは静かに言った。


「境界を消すことができる」


背筋が凍る。


「すると、人間界は魔で溢れかえる。そうなれば、神々は我に構っていられない」


そして、ぽつりと呟いた。


「……それに、あの神も見つけやすくなる」


次の瞬間、光が私の腹を貫いた。私はその場に崩れ落ちる。腹部には、ぽっかりと穴が空いていた。

だが――痛みや出血はなかった。


視界がゆっくりと暗くなっていく。そして、意識は深い闇の底へと引き込まれていった。


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