第三話 利害
「……少し、話をしよう」
悪魔が玉座から一歩降りた。
「我が話すのは、500年ほど前のことだ」
「500年?」
私は眉をひそめる。
「その頃、我はまだ100歳そこそこだった。魔が暮らす世界――魔界にいたのだ」
「……魔界?待て。お前は“1000年以上前から人間界にいる悪魔”じゃなかったのか?」
悪魔は、わずかに口角を上げた。
「そう語られているのは、スパティアだ。我を育てた悪魔の名だ」
胸の奥がざわつく。
――悪魔は、一体だけじゃなかった。
「スパティアは、1000年前に人間界へ現れた存在だ。だがある日、姿を消した」
「死んだの?」
「違う」
悪魔の声が、低く沈む。
「天啓に叛いたのだ」
「天啓……?」
「超自然的存在から与えられる命令のようなものだ。逆らえば、罰を受ける」
「……神、みたいなもの?」
「説明できるものではない。我々にとっても、理解の外にある」
一瞬、悪魔が遠くを見る。
「スパティアに与えられていた天啓は――
“人間界に存在し続けること”」
「存在、し続ける……?」
「だが、役割を放棄した。きっと魔界へ戻ったのだ」
「そして、その役目は子である我へと降りてきた」
「……だから、お前がここにいる」
「そうだ」
悪魔は、わずかに視線を伏せる。
「500年間、人間界に留まり続けた。だが――その日からだ」
空気が、冷える。
「空間の裂け目から、悍ましい黒い影が現れ始めた」
「……影?」
「意思を‥形を持たない存在だ。我はそれをアニムスと呼んでいる」
背筋が、凍る。
「今までは対処できていた。だが最近の個体は、明らかに違う」
悪魔は遠くを見る。
「この前は、倒すだけで相当な消耗を強いられた」
「……それが、その悪魔の仕業だと?」
「ああ。スパティアは空間と魂を操る能力を持っている」
嫌な予感が、胸に広がる。
「奴は、我を――いや、人間界そのものを滅ぼそうとしている」
悪魔は玉座に腰を下ろし、深く息を吐いた。
「スパティアの居場所へ繋がる手掛かりが、魔界にある」
「なら、お前が行けばいいだろ」
「行った」
即答だった。
「だが、その場所の店主は悪魔が嫌いでな。門前払いだ。だが、人間は好きらしい。だから――」
赤い瞳が、まっすぐに私を捉える。
「お前に協力を仰いでいるのだ」
「この前行った、と言ったな」
私は、言葉を選びながら問い返す。
「天啓で、人間界にいなきゃならないんじゃないのか?」
「違う」
悪魔は首を振った。
「存在し続けることだ。忘れられ、居ないものとして認識されれば――それは“消滅”と同義になる」
「…‥つまり、私も行けと?」
「そうだ、それに、道中は危険だ。人間嫌いの魔は多い」
悪魔は、私を見る。
「お前の力なら、多少目を離しても生き残れる」
「つまり」
私は冷たく言い放つ。
「お前のために、命を張れと」
「我が死ねば、アニムスは止まらん」
悪魔は立ち上がり、ゆっくりと近づいてくる。
「人間界は、アニムスが暴れればすぐ滅ぶだろうな」
悪魔は窓の外を見てながら言い放った。
「……協力しないなら、ここから出ていけ」
悪魔はまた一歩近づいた。
「それとも――ここで殺してほしいか?」
嘘ではないんだろう。
「……分かった」
私は手を下ろした。
「けど、これは協力じゃない」
悪魔を睨む。
「利害の一致だ。勘違いするなよ」
悪魔は、低く笑った。
「いいだろう。ついてこい」
そう言って、近くの鏡を指差す。
「……冗談でしょ」
「いや」
「鏡に入るの?」
「あぁ」
「……そういえば」
一歩踏み出す直前、悪魔が言った。
「お前の名は?」
「…ルイーナ」
「そうかルイーナか…我はネブラだ。」
次の瞬間。鏡の表面が波打ち、ゆっくりと吸い込まれるように二人の姿が消えた。




