ダイアリー
本に書かれている文字は、私達には判読できないものだった。見たこともない文字が、どのページにも隙間なくびっしりと並んでいる。
「……アモーレ?」
モラがぽつりと呟き、指で文字の一箇所をなぞった。よく見ると、どのページにも同じ単語が繰り返し書かれている。
――“アモーレ”。
「アモーレって何?」
モラは首を傾げる。
「名前っぽいけど……」
私は小さく呟いた。
意味は分からない。けれど、その単語だけが妙に浮き上がって見えた。
ページを次々とめくる。
そして――最後のページに辿り着いた。
「……これは」
そこだけ、真っ黒に塗りつぶされていた。何度も墨を塗り重ねたような、痕跡があった。
モラが眉をひそめる。
「……なにこれ」
モラの言葉を背に、私は本を元の場所に戻した。
私達は部屋の中を一通り調べたが、新たな手がかりは見つからなかった。静まり返った空間だけが、私達を見つめ返しているようだった。
「……とりあえず帰ろうか」
私達は棲家を後にし、重い空気を引きずるように宿屋へと戻った。
「……」
ルイーナ達が去ったばかりの部屋に、空間の裂け目が静かに走った。歪んだ空間の奥から、スパティアが姿を現した。
足音ひとつ立てずに着地すると、静まり返った棲家をゆっくりと見渡した。やがて本棚へ歩み寄り、迷いなく一冊の本を引き抜いた。
――表紙に何も記されていない、古びた本。
スパティアは無言でページをめくった。淡々と視線を走らせ、やがて微かに息を吐いた。
次の瞬間、本をためらいなく引き裂いた。紙が裂ける鋭い音が静寂の中に響いた。
「……もうすぐだ」
スパティアは指先で空間を裂き、そのまま立ち去った。
ネブラは椅子に腰を下ろし、低く言った。
「お前のことだ。どうせくだらない事をするのかと思ったが……」
「残念だけど、今日は違うよ」
女の悪魔は軽く笑う。だが次の瞬間、表情を引き締めた。
「――土地神の魂が、根こそぎ奪われてるの」
ネブラの視線が鋭くなった。
土地神。特定の土地や地域、国を守護する大地の神々の総称。
「規模は?」
「辺境の土地から順に、魂が抜けている。残ってるのは、神体だけ」
「報告は?」
「したよ。有力な神々にはね」
ネブラは舌打ちした。
「……まずいな。土地神が消えれば、人間界の均衡が崩れる」
「ここ最近、問題が多すぎるんだよね」
悪魔は苛立ち混じりに息を吐く。
「神々の連絡断絶、それに今回の件」
ネブラの目が細くなる。
「それで、お前の主君が我に事情聴取を命じたわけか」
「そういうこと」
悪魔は頷いた。
「で、ネブラが言っていた悪魔について詳しく」
ネブラは短く息を吐き、スパティアとアニムスについて語った。話が終わると、悪魔は小さく息を呑んだ。
「……なるほどね。神々と連絡が取れない理由はそれか」
次の瞬間、彼女は眉をひそめる。
「ちょっと待って。それ、神々に報告してないの?」
「していないが?」
悪魔は目を見開き、溜息をついた。
「こういう重大案件は、即時報告。間に合わなくなってからじゃ遅いんだよ」
「分かっている」
ネブラは腕を組みながらそう言った。
「とりあえず、見つけたらまた報告して」
悪魔はそう言うと、ネブラを外まで見送り、手を振った。




