涓埃之功
「私が彼女に魔力を譲渡して、そこの悪魔がもう一人の少女に譲渡すればいいんじゃないか」
ムリエルはそう言い、悪魔を見た。
「それはダメだよ。公平性に欠けるし」
悪魔は、きっぱりそう言って首を振った。
ムリエルがくすりと笑う。
「私は無理なのに、この悪魔はありなのかい?」
「うん」
悪魔はあっさりと頷く。その様子を見て、ムリエルはさらに笑みを深めた。
「このことを上役に報告したら……きっと問題になるね」
余裕のある声音だった。
悪魔の表情がわずかに引きつる。
「……分かったよ」
悪魔は小さく舌打ちした。
「じゃあ、そこの人間の嬢ちゃん二人でいい?」
「あぁ」
ネブラが短く答えた。
次の瞬間、空中に淡く光る塊が現れた。それはふわりと揺れながら、ゆっくりと私とモラの体へ溶け込んでいった。
魔力が増えたことが、はっきりと分かった。
「ちゃんと見える!」
モラは周囲にいる魔を見回しながら、そう言った。
「じゃ、ネブラは借りてくね」
悪魔はそう言って、ネブラの腕に絡みつく。ネブラは露骨に顔をしかめた。
「……触るな」
ネブラは悪魔に引きずられ、二人は奥へ消えていった。
モラがこちらを向く。
「どうしようか?」
「……スパティアの棲家のことなんだけど」
「ああ……前に行ったところ?」
「そう。もう一度、見に行かない?」
「何で?」
モラの問いに、私は、ほんの少しだけ視線を逸らした。
「少し……気になることがあってね」
「……分かった」
モラは短く頷いた。私達は、シニステル領の最南端へと向かって歩き出した。
「着いたよ」
軋む音を立てながら、私達は慎重に扉を押し開けた。中へ一歩踏み込んだ瞬間、カビと古紙が混ざった匂いが鼻を突いた。
「何度来ても、嫌な感じ」
モラは眉をひそめ、小さく呟いた。
「それで、何が気になったの?」
私は答えず、ゆっくりと部屋を見渡した。
机の上、散乱した書類、床、窓枠、すべてに埃が積もっている。
でも――
「……あそこ」
私は右奥の壁際の本棚を指差した。
「本棚? それがどうしたの?」
モラが首をかしげる。
「前に来た時、あの棚を少し触ったんだ」
私は棚板を指でなぞる。指先に、ほとんど埃がつかなかった。試しに、すぐ横の本棚を撫でると、白い粉がふわりと舞い上がった。
「……ここだけ、埃が積もってない」
モラの表情が変わる。
「本当だ」
部屋の他の場所は、完全に放置されている。なのに、この本棚だけが――妙に“最近触られた”痕跡を残している。
「誰かが来ている」
私は低く呟いた。
「スパティア?」
「かもしれないね」
私は本棚に並ぶ本を一冊ずつ目で追う。その中で、一冊だけ異様に目を引く本があった。
他の本よりも、さらに古びている。表紙には何も記されていない。ただ、擦り切れた革の質感だけがそこにあった。
私はそっと手を伸ばし、その本を抜き取る。静まり返った部屋に、紙が擦れる音だけが響いた。
私はゆっくりと、ページを開いた。




