後塵
「疲れた……」
私とモラは同時に地面へ腰を下ろした。
「お前らは、いつもそうだな」
ネブラが呆れたように見下ろす。
「だってさ。また一日くらい、どこかに泊まれると思うじゃん? まさか野外とは思わないよ。食料も水もあるけどさ……」
モラはぶつぶつ言いながら、そのまま仰向けに倒れ込んだ。
「はぁ……とにかく少し休憩だ。その後は歩いて封印の地へ向かう。魔力は温存しておきたいからな」
ネブラは淡々と告げる。私は空を見上げながら、ふと思った。
「ねぇ、どうして天使はスパティアが書物を狙っていることが分かったんだろう?」
ネブラは少し間を置く。
「封印の石碑に何度も攻撃を加えている悪魔がいる、と報告書に記録されていた。目撃情報と特徴もな。それを見て、天使が確信したんだろう」
「なるほど。封印の石碑って……」
「ハデスの腹心が建てた魔石だ。封印の地の中心に立っている。石碑の下には書物の本体が封じられている」
「でもスパティアは、それを壊せなかった」
ネブラは頷いた。
「腹心の特殊能力だろうな。あの石碑は、その力で強化されている」
短い沈黙のあと、ネブラが立ち上がる。
「もう行くぞ」
「早いよ……」
モラが情けない声を漏らす。
「一刻も早く辿り着かなければならない」
そう言って、ネブラは歩き出した。私はモラに手を差し出す。
「モラ、大丈夫?」
「せっかちだな、ネブラは……まあいいや。行こ」
モラは私の手を取り、立ち上がった。私達は、封印の地に向かって再び歩き出した。
「ここだ」
ネブラの声は低かった。
殺風景な景色の中、ぽつりと立つ黒い石碑。周囲は風さえ止まったように静まり返っている。石碑に刻まれた文字は、私には判読できないものだった。
「これ、分かる?」
私は問いかける。ネブラは首を振った。
「解くぞ」
彼は鍵を取り出し、石碑へ近づけた。鍵は、吸い寄せられるように石碑へ溶け込む。次の瞬間、目の前で眩い光が弾けた。思わず腕で顔を覆う。
やがて光が収まり、恐る恐る目を開けた。だが、石碑は何事もなかったかのように、そこに佇んだままだった。
「えっ、どうすんの?」
モラの声が不安げに上ずった。だが、ネブラは動じず、私を見つめた。
「言っただろう。お前の力が鍵になると」
「…破壊能力のこと?」
「あぁ。お前は概念も壊せると言っていたな。封印状態そのものも壊せるはずだ」
「そんなの……出来るわけないでしょ」
「そのままならな。だが今は違う。封印は極限まで緩んでいる。今のお前なら可能だと思うぞ」
「ルイーナ、頑張って」
モラは小さい声でそう言った。私は息を吸う。
「……分かった」
石碑に触れると、冷たい感覚が手に伝わる。――壊す。能力を発動させた瞬間、地面が震えた。耳を裂くような轟音が響き、光が辺りを包み込む。
目を開けると、石碑は――完全に崩れ落ちていた。しかし、そこには、何もない。
「え……本は?」
モラが崩れた石の間を必死に探る。――何もない。ネブラがゆっくりと下を向いた。
「……先を越されたな」
「えっ」
私とモラの声が重なる。冷たい風が、遅れて吹いた。
「スパティアが、もう奪い去った」
「でも、どうやって?」
「奴は空間を操る能力を持つ。封印そのものを解かなくとも、解析さえ済めば空間を直接、封印場所に繋げることも可能だろう」
「じゃあ、どうすればいい?」
ネブラの目が鋭くなる。
「決まっているだろ」
私は息を飲む。
「「スパティアから書物を奪い返す」」
私がそう言うと、ネブラの口角がわずかに上がった。
「天使の報告によれば、奪われたのはここ数日。まだ力を得ていないはずだ」
「でも、どうして今なの?」
モラが眉をひそめる。ネブラは答えに詰まったように視線を泳がせた。
「……さぁな。だが今は情報が足りない」
「魔本屋へ行く」
私達は顔を見合わせた。そして、魔本屋へ向かって飛び出した。
私たちが魔本屋に入ると、店主が帳簿から顔を上げ、怪訝そうに眉をひそめる。
「また、お前達か」
「翼のない悪魔を見なかったか?」
ネブラが単刀直入に尋ねる。店主は少し考えるように目を細めた。
「……見ていないな」
「そうか」
ネブラはそれ以上追及せず、本棚から一冊の本を抜き取る。表紙には『魂について』と書かれている。
「ここに記されている“飛躍的な力を得る方法”について、何か知らないか?」
店主の目が、ほんのわずかに細くなる。
「……確か、昔聞いた話だが。“コア”を得ることが、それに当たるらしい」
「コアって?」
モラが身を乗り出す。
「そこまでは知らん。ただ……神なら何か知っているかもしれんな」
「神……」
私は小さく呟く。かつて会った、あの神たちの顔が脳裏をよぎった。彼女たちなら、何か知っているだろうか。
「用が済んだら帰れ」
店主はそれだけ言うと、奥の扉の向こうへ消えた。
「確か神って、人間界にしかいなかったよね」
モラが不安そうに言う。
「ああ。一度、人間界に戻るとしよう」
ネブラは迷いなく答え、懐から手鏡を取り出した。
「えっ、何それ?」
モラが困惑した声を上げる。ネブラは鏡を触ると、その表面が、水面のようにゆらりと波打った。次の瞬間、強い引力が身体を引き寄せる。
「ちょ、待っ――」
モラの声が途切れる。三人の姿は鏡の中へ吸い込まれるように消えた。




