第一話 Frange ruinam
「この世は残酷だ」
私は薄暗い夜道を、ふらふらと歩いていた。
血が止まらない左腕を押さえ、歯を食いしばって痛みに耐える。
「必ず、今度こそあいつを殺す」
そのためなら――時間だって、なんだって壊してやる。
私は、自身の時間を壊した。
それが、私の能力だった。
物心ついた頃から、私は悪対人隊という組織の研究室で生活していた。寝ること、食べること。それだけを許された最低限の暮らし。疑問はいくつもあったが、あの人たちは私を空気のように扱った。必要なときだけ使われ、そうでなければ存在しないものとして。
十五歳の誕生日。
その日に、私はすべてを知らされた。
私の家系には、稀に「能力」を持って生まれる者がいる。母も、その一人だったらしい。だが母は、悪魔によって帰らぬ人となったと知らされた。
この国――ヴァルグレイア王国には「悪魔」が存在する。悪魔が住む城の周囲には、赤い霧が立ちこめ、近づく者を拒むように一帯を覆っている。
その悪魔を討つために作られた、国公認の組織。それが悪対人隊だった。
能力を持つ者は、例外なくそこへ入れられる。そして十分に強くなれば、悪魔討伐へと送られる。
城へ向かった者は、これまで何人もいた。
だが――帰ってきた者はいない。
そして、次は私の番だった。
城は、目が焼けるほど赤い霧に包まれていた。一歩踏み込むたび、空気が重くなっていく。
慎重に城の中へ入った、そのとき。
そこにいたのは――赤い瞳を持ち、大きな翼を背に生やした、一人の男の姿だった。
悪魔はちらりとこちらを冷ややかな目で一瞥すると、すぐに興味を失ったように視線を逸らした。
――あいつだ。
私の人生を壊した、元凶。
あの悪魔は、1000年以上生きていると伝えられている存在。母が死んだことも、私が……皆んなが普通の生活を送れなかったことも、すべてはあいつのせいだ。
そう思った瞬間、胸の奥から抑えきれない殺意が湧き上がった。
私の能力は破壊。
人間離れした握力を持ち、触れたものを力ずくで壊すことができる。
だが攻撃方法は打撃のみ。
それが致命的な欠点だった。
地面を強く蹴り、私は悪魔へ飛びかかる。
全力で拳を振り下ろした――が、
悪魔は体をわずかに横へずらしただけで、私の攻撃を受け流した。
次の瞬間、悪魔はすでに私の背後にいた。
「キロプテラ」
低く呟かれたその言葉と同時に、視界が暗闇に閉ざされる。途端チチチチチと耳障りな音が、四方八方から迫ってきた。
音が止み、視界が戻った瞬間、激痛が全身を貫いた。
体の至る所が抉れ、血が溢れている。
周囲の床には、無数のコウモリの死骸が転がっていた。
――これが、あの悪魔の能力。
理解した途端、体温が急激に奪われていく。
力が抜け、私は床に倒れ込んだ。
悪魔は、こちらを振り返ることすらなく、静かにその場を去っていった。
「……まだ、死ねない」
時は戻り、私は城の外でフラフラと歩いていた。辺りは薄暗く、空気は冷たい。
左腕を見ると、出血は止まらず、傷は完全に貫通していた。足に力が入らず、そのまま地面に崩れ落ちた。
薄れゆく意識の中で能力について考えた。
もし、氷を操る能力だったら。
固めることも、壊すこともできただろう。
私の能力だって、本当に殴ることしかできないのか?
破壊する対象を――物ではなく、もっと別のものにできないのか。
概念そのものを、壊すことは……。
迷っている時間はない。
このままでは、考える前に死ぬ。
私は、自身の時間を壊した。
――そこで意識は遠のいていった。




