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〜終点世界の歩き方〜  作者: 漣 カコイ
第一章 大人になれない国
3/6

2、約束



タルト=タタン。彼はどこにでもいるような青年だった。

黒髪は特別に艶があるわけでもなく、整えていなければ人混みに紛れて見失ってしまうほど。


身長も平均、体つきも華奢すぎず逞しすぎず、まるで「普通」という言葉がそのまま歩いているような存在。


けれど、ひとつだけ胸の奥に静かに燃えるものがあるとすれば、それはたった一人の家族である妹への想い。


彼が帰宅すると最初にするのは荷を下ろすことではなく、「ただいま」と病弱で寝たきりの妹を安心させること。

帰りが遅くなった夜、食卓に置かれた小さな副菜に、妹が自分のために残してくれたのかと気づくと、彼は誰にも見せない優しい顔になる。


普通の外見の奥に、誰より強く家族を守りたいという静かな決意を抱いていた。


故に__


「お前は扱いやすいワンコだよ」


ストル伯爵は手元にある万能霊薬を撫でながら、片足をついて跪くタルトを見て嘲笑する。


「お前が万能霊薬を手に入れられるかもしれないと言った時は私を欺くための虚言だと思ったが__」


ストル伯爵は細くつり上がった目を常に半笑いの形を保ち、タルトを値踏みするように上下へと視線を滑らせる。


唇は薄く、わずかに片端だけが持ち上がっている。


「いや、想像以上。間違いなくこれは本物だ」


伯爵はクイッと顎で脇に立つ側近に指示すると黒い封筒を持って来させる。


「約束通り契約はこれでおしまいだ。これからは妹と好きに生きると良___」


「妹は………どこだ、、!」


万能霊薬と妹の交換。この場に連れてくるという約束のはずが広く豪勢な部屋に妹の姿は見えない。


分かっていた。この豚伯爵が人との約束を守らないことくらい。それでも、もしかしたらという淡い希望に縋りたかった。


タルトのわずかに震える声。

それは恐怖ではなく、長い抑圧の末に絞り出された焦りと怒りの混じった声音だった。


彼の黒髪は汗で額に貼りつき、握りしめた拳は白くなるほど強く閉じられている。


伯爵は椅子に寄りかかったまま、薄い笑みを崩さない。

青年の必死の問いさえも、退屈な余興の一つでしかないかのように。


「やれやれ……私の言葉を遮るか」


顎をわずかに上げ、伯爵は青年を見下す視線を向けた。タルトの攻撃的な視線とかち合う。


「そんな顔をするな。君が従順なら、彼女は今も“安全”だよ」


タルトは歯を噛みしめる。怒りが胸の奥で膨れ上がるが、飛びかかることができない。この男の命令ひとつが、妹の生死に繋がっている。


「……場所を、教えてくれ」


声は低く、苦しげで、掠れている。命令ではなく、懇願でもなく──ただ必死だった。


伯爵は指先を冷たい金の指輪で叩き、その様に目を細める。


「……よろしい。だが、最後に君がどこまで従う気があるのか、確かめさせてもらおう」


伯爵は椅子からゆっくりと立ち上がった。金の刺繍が施された外套が揺れ、その動きだけで部屋の空気がさらに重く感じられた。


「仕事だ」


伯爵は背を向け、窓の外を見下ろした。まるで、タルトに興味などないと言わんばかりの態度で。


「妹は、私の私兵によってある場所に運ばれている。君が到着できるかどうか……それも、彼女の運命を決める一要素だ」


タルトの心臓が強く跳ねる。だが声は出さない。静かに、ただ伯爵の言葉を待つ。


伯爵はわずかに笑い、タルトの方へ視線だけを戻した。その目は、獲物の反応を楽しむ捕食者のそれだった。


「これを持て」


机の上に、黒い封筒が置かれた。シンプルだが分厚い。何よりも、嫌な予感だけが手に取る前から伝わってきた。


タルトは一歩近づき、封筒をそっとつかむ。

伯爵の視線が、まるでどう反応する?と挑むように刺さっていた。


「それには、一枚の紙と妹の居場所へ続く地図が入っている。だが……」


伯爵はゆっくりと口角を上げた。


「開けられるのは、私が命じた後だ。それまでは絶対に封を切るな」


タルトの指先が、かすかに震えた。


「……理由は」


短く、低く問う。


伯爵は愉快そうに笑う。


「簡単なことだろ?」


タルトはじっと伯爵を見た。怒りも、憎しみも胸に渦巻いている。だがそれを押し殺すように、ゆっくりと頷いた。


「……わかった」


伯爵は満足そうに眼を細めた。


「よろしい。では、まずは王都へ向かえ。そこで私の使いが次の指示を与える。なに、これが本当に最後の仕事だ」


タルトは踵を返し、歩き始めた。扉へ向かう足取りは重くない。迷いもない。ただ一つの思いだけが、彼を前へ押していた。


妹を助ける──それだけだ。


扉が閉まる直前、伯爵の声が背中を撫でた。


「最後の仕事も期待しているよ、従順なタルト。今までご苦労だったな」


タルトは何も返さず、静かに扉を閉じた。























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