第四話:最愛の引きこもり別邸と共犯者の誕生
カエサル・オーギュスト・ド・ヴェルサイユ公爵と、グリム侯爵家令嬢アメリア・フォン・グリムの婚約は、発表された瞬間、社交界に巨大な熱風となって吹き荒れた。
王都の新聞の一面には、豪華絢爛なカエサルの肖像画と、小さく地味なアメリアのスケッチが並んだ。見出しは「美の公爵、選んだのは「壁のシミ」令嬢!?」など、扇情的なものばかりだ。誰もが、公爵が最高のコレクションとして選んだのが、瓶底眼鏡の地味な令嬢であるという事実に驚き、その裏にある陰謀や裏取引を囁き合った。
「これが、私の婚約期間の仕事か……」
ヴェルサイユ公爵邸の秘書室で、ユリウス・ローラン男爵は、山積みの問い合わせや批判の書簡に囲まれて、再び深くため息をついた。
「公爵に代わって、私はこの婚約が『純粋なる愛と運命の出会い』であることを三日三晩説明し続けている。公爵が『一目惚れ』などという凡庸な言葉を使ったせいで、誰もがその裏に『王家への政治的圧力』や『侯爵家の秘密兵器』があると考えている。ああ、全ては公爵の退屈しのぎに過ぎないというのに」
ユリウスは頭を抱えたが、すぐに気を取り直した。彼の使命は、カエサルの行動を「最も公爵家にとって有利になるよう」軌道修正することだ。彼はアメリアの「不干渉の確約」を、公爵の「独占的な寵愛」として世間に喧伝することで、この異常な婚約を無理やり「愛の物語」として押し通す作業に追われた。
一週間後、グリム侯爵邸。
アメリアは、侯爵夫妻の過剰な歓待と、世間の好奇の視線から解放され、公爵邸から届けられた一通の書簡に集中していた。
それは、カエサルが「君の静養のために」と命じた、公爵家所有の離宮リストだった。
「ふむ……どれも豪華すぎるわね」
リストには、海辺の別荘、温泉付きの山荘、王都から近い庭園付きの邸宅などが並んでいる。しかし、アメリアが求めるのは「静寂」と「書庫としての頑丈さ」だ。
「この『北方の旧城塞』……」
アメリアの指が、リストの隅に記載された、誰も見向きもしない物件に止まった。「二百年前に放棄され、修復が必要。最も近くの村まで馬車で三日。交通の便、最悪。冬は雪に閉ざされる。……完璧だわ!」
その夜、アメリアはユリウスに書簡を送った。内容は簡潔だった。
『離宮の選定について。リストにある「北方の旧城塞」を希望します。理由:書庫の増築に耐えうる石造りの頑丈さ、および静謐な環境。改修費用と稀覯本収集資金の試算をお願いします。— A.G』
翌日、ユリウスが馬車でグリム侯爵邸に現れた。応接室には、カエサルはいなかった。
「アメリア様」ユリウスは疲れた表情で深々と頭を下げた。「お選びになったのは『北方の旧城塞』、ですか。カエサル様は『君の趣味が渋い』とご満足されていましたが、あの物件は…正直、廃墟同然です」
「それが望ましいのです」アメリアは瓶底眼鏡を上げ、静かに言った。「人目につかず、誰にも邪魔されない。そして、あの頑丈な石造りの建物なら、私が望む『永久書庫』に改装できます。ユリウス様、公爵様は私に不干渉を約束されました。私の希望通りに進めていただけますね?」
ユリウスはアメリアのヘーゼル色の瞳を見て、悟った。この地味な令嬢の裏には、公爵に勝るとも劣らない、強固で異常な野望があることを。そして、その野望が、カエサルの「退屈を殺す」という欲望と奇妙に合致していることを。
「承知いたしました。私はカエサル様の秘書ですが、同時に、公爵家全体の制御装置でもあります」ユリウスは声を落とした。「公爵は、貴方が彼に与える刺激に飽きるまで、莫大な費用を注ぎ込むでしょう。私はその暴走の被害を最小限に抑えたい。貴方が城塞に引きこもることで、公爵の関心が王都から逸れるのなら、私にとってこれほど良いことはありません」
ユリウスは、カエサルに言った「勝手にしてください」という言葉を、今度はアメリアに捧げた。
「貴方の望む究極の引きこもり生活の実現を、私は資金面と手続き面から支援しましょう。ただし、全ては公爵の『寵愛』の名の下にです」
こうして、ナルシスト公爵の婚約者アメリアと、公爵に振り回される秘書ユリウスの間に、究極の引きこもり計画という名の共犯関係が生まれた。
数日後、ユリウスが改装計画の図面を持ってアメリアを訪ねた時、突然、部屋の扉がノックもなく開け放たれた。
「アメリア! 最高の計画だ。なぜ私を呼ばなかった?」
カエサルが、太陽のような輝きを放ちながら登場した。彼の後ろで、ユリウスは再び深くため息をついた。
「カエサル様! アメリア様は公爵様からの不干渉の確約を得ております!」
「うるさい、ユリウス」カエサルは秘書を一蹴した。「彼女は今、私とのゲームを設計しているのだ。この私を無視して、最高の逃亡要塞を築こうとしている。私がその設計図を見ずに、どうしてゲームを楽しめる?」
カエサルは、アメリアの前に置かれた、旧城塞の改装図面を覗き込んだ。
「ふむ……一階の居室を全て取り払い、床から天井まで四層分の高さを持つ中央書庫にする、と? そして、入り口は一つだけ。ああ、素晴らしい!」カエサルは目を輝かせた。「君は、私から身を隠すために、この世で最も堅固な要塞を築こうとしている。その健気さが、たまらない」
アメリアは瓶底眼鏡の奥で、カエサルを冷静に見つめた。「公爵様。これは要塞ではありません。私の書斎です。そして、私への干渉はお止めください」
「干渉ではない。愛だ」カエサルは得意満面に笑った。「君が最高の要塞を築くなら、私はそれを破るための鍵を造ろう」
彼は図面の上にペンを走らせた。「この南側の壁。書庫の外側に、秘密のバルコニーを設ける。書庫の最上階に直接つながるようにな。そして、そこへは私専用の昇降機を設置する。この昇降機を使うための鍵は、私が常に肌身離さず持っていよう」
「なっ……」アメリアは初めて声を失った。彼女の計画の盲点を、ナルシスト公爵は一瞬で見抜いたのだ。
「フフフ。完璧だ。君の要塞は、私という唯一の侵入者を常に警戒しなければならない。君の引きこもり生活は、永遠に**『私からの逃亡』**というスリルに満ちるだろう。最高だ!」
カエサルは、彼女の驚きの反応を見て、心底満足そうだった。そして、ユリウスに図面を押し付けた。
「ユリウス! これも計画に組み込め。昇降機は、ヴェルサイユ公爵家最高級の技術と装飾で造るように。私は、この『鍵』を使って、君の逃亡生活を破るのが今から楽しみでならない!」
ユリウスは、カエサルの無謀な思いつきと、増え続ける出費に、顔を青くしたまま、もう何度目かわからない深い、深い、ため息をついた。
「……勝手にしてください。ただし、その昇降機の安全管理責任は、全て私が負います」
こうして、アメリアの究極の引きこもり計画は、カエサルの究極の干渉計画によって、スリルと出費に満ちた、愛のない新婚生活へと変貌を遂げ始めたのだった。




