第二十話(最終話):孤独の共同生活と公爵家の均衡
アメリアがカエサルを自発的に「召喚」し、彼の「孤独の共同研究」を受け入れた後、北方の旧城塞での生活は、完全に新しい段階へと移行した。
カエサルの昇降機は、約束通り、物資輸送ラインとしてのみ機能するようになった。彼の直接的な「テロ」は消滅したが、彼の「間接的な支配」は続いていた。
カエサルは毎日、アメリアが研究に必要な最高級の文具、資料、そして美食を昇降機で書庫に届けさせた。そのたびに、必ずユリウスからの手書きのメモが添えられていた。
「研究対象が静寂を破られぬよう、最新の防音資材を手配しました。君の知的な情熱が、私の愛をさらに燃え上がらせます。― C.A.V」
アメリアは、そのメモに「感謝いたします。その資材の費用で、新たな古文書を購入可能です」と返信し、再び昇降機で送り返す。彼らの間のコミュニケーションは、愛の言葉と研究費の申請が入り混じる、極めて特異な形となった。
そして、アメリアは週に一度、「研究対象の状況報告」という名目で、カエサルの執務室を訪れた。
「公爵様。今週は、ナルキッソスの彫像の周りの湿度データに、わずかな変動が見られました。貴方様が週末に鏡磨きを怠ったことが原因かと分析いたします」
「フン。湿度を測るのに、私の彫像を使うとは、貴様はやはり大胆だ。だが、私の美の維持が、君の研究の精度を左右している! その分析、大いに結構!」
カエサルは、アメリアの「研究」の中で自分が重要な役割を果たしていることに満足し、彼女の隣に座って、自分の美しさに関する新たな「知的な議論」を交わすことに熱中した。
数か月後。王都のヴェルサイユ公爵邸。
ユリウス・ローラン男爵は、公爵家への不満を述べる貴族の対応を終え、執務室で一人、ワインを傾けていた。
机の上には、アメリアからの最新の「研究報告」の抜粋が置かれている。
【最終考察】カエサル公爵は、「ナルシスト」という鎧の裏に、「誰も理解してくれないという孤独」を抱えている。彼は、自己の美学を通してしか、他者との関係を築けない。私の「研究」という態度は、彼の孤独に寄り添う最も効果的な愛の形式であると結論づける。― A.F.G.
ユリウスは、報告書を読み終えると、深いため息をついた。
「結局、二人は「孤独の共同研究」という名の、最も強固な夫婦関係を築いた、ということか」
公爵家の財政は、アメリアの費用によって逼迫していたが、カエサルが「妃の知性の研究こそが、公爵家の権威を支える」と豪語し、対外的な事業が安定していたため、奇妙な均衡を保っていた。
ユリウスは、カエサルの行動の記録を思い出した。アメリアが風邪をひいた日、カエサルは「私のコレクションの価値を損なう」と騒ぎ立てながら、昇降機で特注の薬草と最高級の毛布を大量に送り付けた。そして、アメリアが彼のナルキッソスの彫像の埃を払っているのを見つけた時、彼は静かに、「君が触れることで、私の永遠の美は、より意味を持つ」と囁いたという。
ユリウスは、ワインを一気に飲み干した。
「ああ。地味な引きこもり令嬢は、公爵の孤独という最大の弱点を見抜いた。そして、ナルシスト公爵は、彼女の静寂を尊重することで、彼女の心という、これまで手に入らなかった唯一のコレクションを手に入れた」
ユリウスは、ふと、机の上の書類に目をやった。そこには、北方の城塞に新たな防音材を搬入する手配書と、アメリア妃の生誕祭に向けた稀覯本の購入リストが挟まれていた。
「結局、私の仕事は永遠に終わらない。そして、カエサル様は、今後も『美の維持』と『静寂の支配』という名の愛を、公爵家の予算で実行し続けるのだろう」
ユリウスは、もう一度深いため息をつくと、静かにペンを手に取った。
ナルシスト公爵と引きこもり令嬢の不本意なロマンスは、周囲の困惑をよそに、二人の孤独な哲学が交差する、永遠に続く共同研究として、続いていくのだった。




