第十五話:研究対象と共犯者の観察
北方の旧城塞での新婚生活は、カエサルの干渉とアメリアの冷静な分析という、奇妙な均衡の中で安定期に入った。アメリアはカエサルを**「研究対象」とすることで、彼の行動を逆手に取る術を身につけ、「承認欲求」という対価で「無制限の資金」**を引き出し続けていた。
中央書庫。アメリアは作業台で、**「公爵の反応に関する実験記録」**のノートにペンを走らせていた。
【追記:王都での口付けと彫像への言及が、対象の満足度を非合理的に高めた原因を、引き続き分析する必要がある。】
アメリアの理性は研究を続けているが、頬には、心の中で起こる小さな動揺からくる、かすかな赤みが差していた。
その時、王都から戻ったユリウス・ローラン男爵が、疲労困憊の顔で書庫に入ってきた。
ユリウスは静かにアメリアの隣に歩み寄り、小声で囁いた。「アメリア様。この城塞の暖房費と昇降機の維持費は、王都の貴族の邸宅の十年分を超えそうです。加えて、公爵は公務を全く見ておりません」
アメリアは、顔色を変えず、ユリウスにだけ聞こえる声で答えた。「ユリウス様。ご心配なく。私の最新の理論では、彼の**『承認欲求』を満たすことで、『出費の許可』**という対価を、無制限に引き出すことが可能です。彼の自己愛は、最も効率の良い資金源へと進化しました」
ユリウスは、アメリアの冷徹な合理性に戦慄した。
「恐ろしい合理性でございます……。ですが、アメリア様。貴方のその恐ろしい合理性こそが、今、公爵家を支えている唯一の防波堤です」ユリウスは、そう言ってカエサルへと視線を送った。
カエサルが顔を上げた。「ユリウス。なぜそこでヒソヒソ話をしている。アメリアの知的な探求の邪魔をするな」
ユリウスは、深々と頭を下げ、皮肉と真実を混ぜた言葉で応じた。
「カエサル様。公爵妃の知性が、公爵家の財政の評判を支えているという、不変の事実を、ただ確認していただけでございます」
カエサルは、椅子の上で得意満面に笑った。「その通りだ、ユリウス! 君は賢い!」
カエサルは、ユリウスの言葉をこう解釈した。「アメリアの高度な知性が、彼女を妃に選んだ私の美学を証明している。その美学への信頼こそが、ヴェルサイユ公爵家の財政を揺るぎないものにしている」
ユリウスは、内心で吐き気を催しながら、カエサルの自己解釈を否定しなかった。
(真実は、アメリア様が湯水の如く資金を使っていること。しかし、公爵の美学が批判されることで、公爵家全体の権威が揺らぎ、信用不安に陥る方が、財政的に遥かに大きな打撃となる。アメリア様の知性が、公爵の不合理な寵愛を**『高尚な愛の哲学』**へと無理やり昇華させているからこそ、公爵家の権威は保たれているのだ……)
ユリウスは、二人の狂気の均衡を再確認し、深いため息とともに執務室へと向かった。
アメリアは、ユリウスが去った後、再びノートにペンを走らせた。
【追加考察】 対象は、自分の行動が他者の利益に繋がっていることを*『支配』と錯覚する傾向がある。この傾向は、孤独感の代償行為として、自己愛を補完している可能性が高い。 *追記:王都での口付けと彫像への言及が、対象の満足度を非合理的に高めた*原因を、引き続き分析する必要がある。*
アメリアは、自分の研究が、カエサルの行動をコントロールするだけでなく、彼の孤独な人間性を暴き出していることに気づいていた。そして、その研究対象への微かな恋という名のノイズが、彼女の冷静な分析を妨害し始めているのだった。




