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ナルシスト公爵と引きこもり令嬢の不本意なロマンス  作者: はるさんた


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第十二話:嫉妬の炎と公爵の防壁

北方の旧城塞での生活がひと月を過ぎた頃、アメリアは研究に必要な特定の古書を王都の専門図書館で探すため、ユリウスの手配で数週間ぶりに王都へ向かうことになった。カエサルは「私という美貌がなければ、君はすぐに退屈するだろう!」と騒いだが、アメリアは「本の虫干しと同じです」と冷静に一蹴した。


王都ヴェルサイユ公爵邸に到着したアメリアは、その日、図書館へ向かう前にユリウスへ研究費の申請書を届けに行った。ユリウスの執務室の近くにある、人通りの少ない廊下を歩いていると、奥から激しい口論の声が聞こえてきた。


「どうしてです、ユリウス様! なぜ、カエサル様の隣に私がいるべきなのに、あんな壁のシミのような女が公爵妃なのですか!」


廊下の曲がり角で、アメリアは立ち止まった。声の主は、かつて夜会でカエサルを取り囲んでいた、派手なドレスの令嬢の一人だった。彼女は、ユリウスに強く詰め寄っていた。


ユリウスは、常に冷静沈着だが、今は明らかに疲労困憊の様子で、彼女の憤怒に耐えていた。


「ロザリンド嬢。これはカエサル様ご自身がお決めになったことです。公爵妃アメリア様は、公爵様の寵愛を受けておられる。貴女が何を言おうと、事実は変わりません」


「寵愛ですって? あの瓶底眼鏡の地味な女が? ユリウス様、貴方だって知っているでしょう。公爵様が愛しているのはご自身だけ。あんな女を選んだのは、裏で侯爵家の隠し財産に手を出したか、あるいは政治的な陰謀に巻き込まれたかでしょう!」


「ロザリンド嬢。その憶測は公爵家への名誉毀損にあたります。お引き取りください」ユリウスは声を低くしたが、ロザリンド嬢の怒りは収まらない。


アメリアは、柱の影に身を潜めたまま、黙ってその光景を見ていた。自分の地味さが、こうして彼らにとっての不合理な謎となり、それがユリウスを追い詰めている。しかし、彼女の心に動揺はなかった。彼女にとって、「壁のシミ」という表現は事実を述べているに過ぎないからだ。


ロザリンド嬢が、ふと視線を廊下に向けた。そして、柱の陰に立つアメリアの姿を見つけた。


ロザリンド嬢の顔に、軽蔑と勝利の笑みが広がった。「あら、噂をすれば。壁のシミ様、ご本人がお立ちですわ」


彼女は、大げさに鼻で笑った。「聞いていらっしゃいましたの? 公爵様は、貴女のことなど愛していない。貴女はただの偽りの盾よ。貴女の存在こそが、公爵様の愛の証明を、いかに偽物であるか示しているわ!」


アメリアは、瓶底眼鏡の奥の瞳で、ロザリンド嬢の顔を見つめた。彼女のヘーゼル色の瞳は、感情を読み取らせない。アメリアは、何も答えなかった。言葉は不要だった。


ロザリンド嬢は、アメリアの無反応に、さらに苛立ちを覚えた。「何とか言いなさいよ! 貴女は、公爵様の隣に立つ資格など――」


その時、廊下の奥から、地鳴りのような怒声が響いた。


「何を言っている、愚か者が!」


カエサル・オーギュスト・ド・ヴェルサイユ公爵が、いつにも増して激しい剣幕で廊下に現れた。彼は、アメリアが王都に来たことを察し、急いで彼女に会いに来たところだった。


カエサルの瞳は、夜明けの空の色ではなく、氷結した湖のように冷たく鋭利だった。


「私の妃に向かって、その薄汚い口で何を戯言を吐いている。ロザリンド、貴様のその存在こそが、この世で最も凡庸で不愉快な雑音だ」


ロザリンド嬢は、カエサルの怒りに、恐怖で顔面を蒼白にした。


カエサルは、ロザリンド嬢には目もくれず、アメリアへと歩み寄った。彼はアメリアの肩を抱き寄せ、ロザリンド嬢に向けて高らかに宣言した。


「よく聞け。アメリアは、私が選んだ唯一の女性だ。彼女が壁のシミに見えるのは、貴様たちの視点が凡庸すぎるからだ。彼女の孤高の精神は、貴様たちのような取るに足らない宝石の輝きを、全て無意味なものにする。彼女こそ、私という美の極致に唯一ふさわしい知性の光だ!」


カエサルはそう断言すると、ユリウスに鋭い視線を送った。


「ユリウス! ロザリンド嬢とその一族の社交界への出入りを、今後一年間、公爵家の権限で全て差し止めろ。私の妃に無礼を働いたことへの、最低限の罰だ」


ユリウスは、疲労を押し殺し、深々と頭を下げた。「承知いたしました、カエサル様」


カエサルは、ロザリンド嬢の顔をもう一度も見ることなく、アメリアの肩を抱いたまま、その場を立ち去った。


廊下を歩きながら、アメリアはカエサルの腕の中で、静かに言った。


「公爵様。私のことを壁のシミだと罵倒されても、私は何も感じませんでした。それは、事実ですから。貴方が、あそこまで怒る必要はなかったかと」


カエサルは、立ち止まり、アメリアをじっと見つめた。


「怒った? 私が、彼女の言葉に怒ったとでも思っているのか?」カエサルの瞳は、熱を帯びていた。


「違う。私が怒ったのは、私のコレクションに、価値の判断という不純なものを持ち込んだことだ。そして、君は私の逃亡計画の最高の共犯者であり、私の孤独な哲学の唯一の理解者だ。私が選んだものを、他人が凡庸だと貶めること、それが、私の美学に対する最大の侮辱だ!」


カエサルは、アメリアの瓶底眼鏡を外した。アメリアは、視界が一気にぼやける中で、彼の完璧な顔が近づくのを感じた。


カエサルは、アメリアの額に、軽く口付けを落とした。


「よく聞け、アメリア。私が君を守る防壁となる。君は、王都の薄汚い雑音など気にせず、君の静寂の要塞で、心ゆくまで私の資金を使って引きこもるがいい」


そしてカエサルは、アメリアに眼鏡をそっと戻した。


「さあ、行こう。図書館へ。君の逃避の邪魔をさせはしない。ただし、図書館でも昇降機が使えたら便利だろうな」


アメリアは、カエサルの唐突な口付けと、その後のナルシスト的な宣言、そして最後の冗談めいた昇降機発言に、心の中で大きな動揺を感じていた。


(彼は、私を守っている。私の引きこもりという、世間から見れば奇妙な野望を、彼の美学という名の防壁で守ってくれている……)


アメリアは、彼の「孤独の哲学」の裏に隠された、支配欲と保護欲の複雑な入り混じった感情を理解した。そして、その感情が、彼女の頑なな無関心を、さらに微かに溶かしていくのを自覚したのだった。



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