第八話・二人の弟子
魔王の居城は、リム王国の中心部にあった。リム城の出城で、魔王自ら陣取って勇者たちを蹴散らしてきた。出城には小さいながら鋼鉄の門がそびえ立つ。赤錆で門の上から下まで覆われている。よく見ればわかるが、その赤錆は、人外問わず体内から噴き出た血。戦いは常に門前で行われていた。
私たちは門前にたどり着いた。目立った敵襲もなかった。
「ここまですんなりだったね」
「そりゃ、魔王はもう滅ぼしたあとだし」
そもそも出城周辺は禁忌エリアとしてリム・ウェル王は近づくことを禁じている。勇者たちに倒された魔物、魔王に倒された勇者たち、双方の怨念めいた呪いが幾層にも積み重なっている。人が近づこうにも近づけない。うす紫色の瘴気が辺り一帯を取り囲んでいた。
じゃぁいまのうちにと、私は巻き戻しの魔法を詠唱した。決心が変わると困る。私じゃなくて、ジャンヌの方の。
「スードスード・ヌンヴィ。ハーメルの手よ、具現したまえ」
印を組む、東方で培われた術式とエルフたちが崇める王ハーメル。それらを複合的に召喚し、歪んだ次元を仮に作り出す。この魔法はいわばフェイクを基調としている。つまり、その歪んだ次元を補正するかたちで、ハーメルが東方の物の怪スードスード・ヌンヴィと盟約を結ぶのだ。そこで具現する現象が、時戻しだ。
時間が戻る、詠唱者の私は現在のままだ。私以外のすべては時間を戻される。あの屈強そうな男、あれがゴード・スー。蘇生後裏切ると言っていたな。
すぐそばで倒れているのが、あぁ、ジャンヌか。どちらも出血がひどい。
眼前では、バルス・テイトが魔王ゾルグ・リグレットと戦って? いる? のか。なんだコレは。
逆さ盾を構える魔王ゾルグ、バルスは剣を構えることなく、その場に置いている。二人は私の存在に気づいたようだ。というよりも、ここに私が来ることを予見いや期待していたかのような安堵の表情を浮かべる。
魔王ゾルグといっても、勇者の転生組ゆえに、その立ち姿は人間にも似ている。人外というには難しいが、躯体が人間よりも大振り、オークほどあるように見える。性別はないと思うが、男性のようにも見える。
バルスは美しい金髪を束ねた女性だ。兜は装備せず、鎧と小手、レガース、どちらかというと軽装に見える。剣は足もとに置いている。二人は私の名を呼んだ。
「やっと、来ましたか。オワツ」
聞き覚えのある声だ。声質ではなく、トーン。バルスから発せられた私の名は、何度も聞いたことのある音域だった。重ねるように、
「お久しぶりですオワツ。私はゾルグ・リグレット。人間時代の名は、リヒト・スタインウェイ」
状況が呑み込めない私と、後ろで息絶えたゴードとジャンヌ。あたり一帯は、魔物たちの骸が土くれのように転がり、鋼鉄の門が返り血を浴びきって滴っている。
「忘れたんですかぁ。リヒト、泣き虫リヒトです」
思い出した、泣き虫リヒト。私が拾った唯一の人間の弟子。短命種の人間は別れが辛い、それを思い知らせてくれたリヒト。泣いたのは私の方だ。
「リヒト、魔王になっていたってこと?」
「はい、勇者から魔王転生しました」
清々しい魔王というのは、長く生きてきて初めて見た。かつての弟子か。
金髪をなびかせ、バルスが割って入る。
「オワツ、私を覚えてませんか?」
泣き虫リヒトが勇者になっていたとは、と言う驚きで、脳内言語野が起動停止しているのにそこにこのバルスがかき乱す。
なんとなく知っている、いや、とてもよく知っている。だとすると? そんなはずはない。そんなはずは。その名を口に出して、違ったときを想像すると辛い。
「セイレンです」
バルスはそう言った。セイレンの転生が勇者バルス、リヒトの転生が魔王ゾルグとは。セイレンはエルフだったが、エルフが転生するとしてもエルフにしかなれないはず。エルフから勇者が産まれるというのは聞いたことがない。
「エルフが勇者だって?」
私の問いに、バルスは
「女神ですよ、私、あれから何度もエルフに転生したんです。ちょうど、オワツは私の言いつけ通り、女神の元へ行ったでしょ。それが気分よかったみたいで」
私が女神に祝福を賜ったこと、それは女神に下るということを意味していた。
「それが狙いだった?」
「もしかしたら、オワツを女神の元に行かせたことが評価されれば、いつかエルフから勇者へのルートができるかもと思ってはいました」
セイレンはじっと私を見つめながら言った。碧い瞳はその中に私をいつも閉じ込めて、溺れさせる。師弟愛、たしかに、いや私はセイレンを愛していたのだと思う。さて、どうしたものか。
「ややこしいから、バルスはセイレンと、魔王ゾルグはリヒトと呼ばせてもらうよ」
セイレンとリヒトは静かに頷いた。
「この状況は?」
私はどちらともなく二人に問うた。
「この忌々しき転生を閉じるための策略です」
忌々しき転生、そう言われるだけでわかる。女神が作った勇者から魔王、魔王から勇者への転生システム。善と悪を程よく配置する世界が手に入れられるのは、神への祝祭。捧げるもの、供犠、つまりあれだ、生贄か。
「すべての元凶ね」
二人は頭がいい。たとえエルフであっても、生は有限だ。その限りある生を弄ぶ女神を敵とみなしたのだ、いや元凶か。私と違う。私は死への恐れがない、死なないからだ。だから、弄ばれる生という憤りを感じられなかったのだ。二人との違い、私は人に非ずなのだ。
声を上げたのはセイレンだった。
「さぁ、はじめましょ。女神殺しを」
出城の鋼鉄の門がギギと音を立てる。地の底に響くような尖った音だ。土くれとなった魔物たちと一緒に伏せる、ゴードとジャンヌ。
「ジャンヌだけ蘇生させましょう」
そう言うと、セイレンは蘇生魔法を唱えた。エルフが確かに勇者となっていたのだ、私は歓喜の声をあげた。セイレンに私を人間にしてもらえる。そして私はやっと死ねるのだ。




