第四話・頬撫でる髪
バチバチと焚火が勢いよく燃えている。リズミカルでいて、不定、そんな揺らぎを感じる調子が私を眠りに押し込む。
バルスが見張っているなら、安心だ。いざとなったら、あの逆さ盾に即死魔法を唱えさせればいいのだから。
眠りに落ちそうになるのに、どうしても気になる。
《バルスはなぜ、勇者であることを黙っていてほしいのか。内緒と言った。もうひとつ、内緒なのにどうして、勇者であることを認めたのだろう》
全くもって、謎である。私も勇者には会ったことがない。幻獣たち討伐図鑑ですらコンプした私が、勇者は未見だ。そしてよりによって、おじいさんとは。私よりは若いだろうが。眠い目をこじ開け、私は聞いた。
「ねぇ、バルスはどうして勇者であることを内緒にして欲しいの? 勇者なら、どこに行ってもウェルカムでしょ。その名声だけで、生きていけるじゃん」
焚火の紅色が、バルスに映る。深く刻まれた皺とえぐれた右頬の傷に、陰影ができている。それは、深く物思いに沈む哲学者のようにも見えた。
「知らないのか」
なかなか声を出さなかったバルスが重い口を開けた。
「何を」
「勇者って、今お尋ね者なんだぞ。懸賞金も出てるし」
知らなかった、女神様のところに三千年、ある意味足止めを喰らったような無駄な時間を過ごしていたから。地上は久しぶりだったもの。
「つまりそれは、どこかの王が勅命を出して、討伐令が発布されたってことなのか?」
厄介だ、一万年近く人もエルフも他の種族も見てきたが、人外いわゆる魔物以外への討伐令はそう滅多にない。しかも、頻発するとはいえ魔王を倒したであろう勇者だ。まぁ、魔王のほとんどは私が三千年前に倒したが。
「魔王討伐でな、リム王国の半分を僕が滅ぼしてしまった。魔力暴走で」
魔力暴走、魔法を正しく学ばなかったものたちが起こす、いわゆる交通事故・なかでもスピード違反みたいなものだ。コイツ、新人なのか?
「魔力暴走する勇者ってなによ」
バルスはため息をついた。
「僕の魔法は、ほとんどが精霊系だ。精霊との対話が肝心なのだが、水の精霊が魔王を見た途端、暴走してね」
ウンディーネ、水の精霊。アイツはダメだ、感情的すぎるから私も使役をやめたことがある。どうせ、手柄をあげたかったんだろう。ウンディーネらしい。
「それで、リム王国ごと?」
「ああ、魔王はリム王国を支配していたからね。リム・ウェル王を乗っ取っていたし。といっても、国の半分ほどだよ、壊滅させたのは。そのあと、できるだけ蘇生もしたし」
そういえば、地上に戻る十年ほど前、女神様が駆り出されているのを覚えている。死人が溢れるほど、天界へ来るものだから、捌きの手伝いって言ってたな。アレか。
「それで、討伐令が出たってわけね」
「あぁ、まぁ、死刑判決だけども。逃げきって今ここにいる」
森がひとつの命のように、右に左に、揺れる。木々の間から抜ける風が、どこか生臭い。
バルスは私に目で合図を送った。左上、樹上から矢を構えている、アーチャーが二人。背後に三人、手練れの戦士。その奥に切り立つ岩場に身を潜ませている、魔法使い。人数はわからない。どうりで猿たちが、こぞって寝床を放棄したわけだ。奴らは鼻が効く。
私は簡易詠唱で凍結魔法を放つ。炎は危険だ。手っ取り早いが、森ごと焼き尽くしてしまう。アーチャーたちは、弓を構えたまま、枝にぶつかりながら回転して落下した。凍り付いた腕と足は砕け、頭と胴だけになってしまった。むごい。
バルスは何か召喚している、精霊魔法か。なんだ、え、なに、それ、イフリートじゃないの。炎の精霊、そんなもん呼んでどーすんのよ、と叫ぶ前に、炎の精霊たちは隊列を組み私たちの背後一直線に突き進んだ。その後ろには、空間に穴が開いたように、正円に近い空洞が森に現れた。焦げ臭い、チリチリと音を立てるも、延焼はしていない。
その業火は背後から狙いを定めていた魔法使いと手練れの戦士たち、ほぼすべてを焼き尽くした。だが、どこかから、たいまつの灯りがいくつも見える。
「追っ手がここまで来たのか。クソ」
バルスはそう言うと、自分の仮眠の番が来るのを待たずに、荷物を整理し始めた。
「ここを出るの? こんな時間に」
まだ日も出ていない、深夜だ。
「あぁ、追撃隊が位置取りしてくるだろうに」
バルスは続けた。
「頼む、僕と一緒に来てくれないか。無機物の魔法使い様よ」
無機物と言われるとカチンとくる。身体のいくつかは有機物で構成されているってセイレンも言っていたのだから。
「あのね、私はれっきとした、アンドロイドなのよ」
しまった。つい熱くなった。
「アンドロイド?それは、無機物装飾品の一種か?」
面倒だ。でもいつか言わないとだし。
「私は、人外。でも魔物じゃない。もちろん装飾品でもない。太古の悪趣味な魔法使いたちに創られた人工生命体とでもいうのかな」
バルスの理解が追い付かないようだ。一点を見つめている。
「つまり、それがアンドロイドってことなのか」
思ったよりも理解が速い、さすがおじいちゃん。
「だから、私はアンドロイドの魔法使い、オワツです。勇者を探していた。人間になるための魔法を唱えられるんじゃないかって。ほら、勇者専用魔法ってのがあるでしょ」
バルスは、荷造りをやめ、私の方を向いた。
「蘇生魔法、即死魔法、まぁこれは壽呪によるものだけど、勇者にだけ与えられる力だな。逆さ盾が習得しているし、それを使いこなせるのは勇者だけだからな」
「あとひとつあるでしょ」
私は詰め寄った。
私の長い髪が、バルスの頬を撫でる。
「ちょ、近すぎるって。もうひとつ、確かに勇者専用魔法はある。無機物を有機物に変えるってやつだろ。そもそも、食糧難の時代に女神様から勇者に与えられた魔法らしいが」
石を芋にでも変えるのか。
「それを私にかけて欲しい」
バルスは一瞬戸惑った表情を見せた。刻まれた皺と暗さで表情が読み取りにくいが、それほど私たちは近づいていた。
「ダメだ」
「どうして」
「その魔法は女神に教わったが、唱えられるのは人生で一回。そりゃそうだろ、食糧難用に作られた魔法だからな。そう簡単にメシ作られたら、自然の摂理も狂っちまう」
「どうか私に」
バルスは私の言葉を制するように言った。
「そもそも、その魔法は、壽呪系の強い奴でな。飢えて死んだ奴らの呪いとそれを解放してやるっていう喜びやらで、ごった煮でな。唱えると…」
「唱えると…?」
「死ぬ」
「誰が?」
「僕が」
無機物を有機物にする魔法改め、石を芋にする魔法改め、私を人間にしてくれるはずの魔法は、詠唱は人生一回きりで、唱えたら詠唱者は死ぬ。そりゃ人生一回きりだ。
バルスは続けた。
「でもな、その魔法をキミにかけるってことは、キミは人間になるってことじゃないのか?もしかしたら芋になるかもだが」
「そうよ、私は人間になりたい」
「どうして?」
ためらう、私の奥の底の深い角地の七丁目ぐらいにある、誰にもいいたくないことだからだ。だが言わねば、バルスに伝えねば。
「人間になって死にたいから」
バルスは大笑いした。森が揺れるかのようだった。追っ手に見つかるかもしれないのに。
「そりゃぁ、エライねじれた話だ。僕は生きたくて、キミに護衛をして欲しい。だけども、キミは死にたい。結果キミを人間にして死なせれば、僕も死ぬ」
確かに皮肉な話だ。私の髪がバルスの頬に再びさわっと撫でた。バルスは優しくその髪を私の耳に掛けてくれた。皺くちゃの手で。




