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【第四章】記憶を売る店

夜の街をさまよい続けて、どれだけの時が過ぎたのか。


足は無意識のまま路地裏へと向かっていた。


昼間なら誰も近づかないような細い路地。石畳はひび割れ、風に舞う埃が頬をなでる。


(ここは……)


不意に、何かの気配を感じて立ち止まった。


視線の先、古びた木の扉に、淡く光る文字が浮かび上がっている。


『記憶、買い取ります』。


その一文を、俺はじっと見つめた。


読み間違いじゃない。確かに、そう書いてある。


(記憶を……?)


悪質な冗談か、奇妙な風習か。


だが、何かに吸い寄せられるように、俺はその扉の前に立っていた。


金が必要だ。何が何でも、今すぐに。


他に手段がないのなら、選べる道はひとつしかない。


ギィ、と重たい音を立てて扉を押す。


カラン――と、小さな鈴の音が静かに響いた。


中は驚くほど静かだった。


灯りはほの暗く、空気はひんやりと冷たい。壁際には無数の小瓶が棚に並び、どれも淡い光をたたえている。


(これは……)


ひとつひとつの瓶の中に、小さな光がゆらめいていた。


それはまるで、人の魂の欠片のようにも見えた。


カウンターの奥には、黒いローブを身に纏った女が立っていた。


その容姿はどこか妖艶で、まるで人間と精霊の狭間に存在するかのような、不思議な気配をまとっている。


金でも銀でもない、その瞳の色だけが異質で――なのに、見てはいけないものほど、視線が吸い寄せられた。


「いらっしゃいませ。ようこそ、記憶買取店へ。」


その声は艶やかで、心の奥をくすぐるように柔らかい。


けれど、どこか夢の中のような、不安定な響きを含んでいた。


「……記憶を、買い取るってのは本当なのか。」


「ええ。あなたの記憶を査定し、価値に応じて金貨をお支払いします。」


彼女は、すっと指先を動かし、目の前に銀の皿を差し出した。


「思い出というのは、時に金貨よりも重いものです。あなたにとって大切であればあるほど、その記憶の価値は高くなります。」


「……一部でも売れるのか。」


「はい。断片でも構いませんし、一日だけでも。もちろん、すべて忘れるという選択も可能です。」


妖艶な微笑みを浮かべながら、彼女は囁くように言った。


「ただし、何を選ぶかは、あなた次第です。」


その言葉に喉が鳴った。


「……百金貨がいる。」


「では、査定を始めましょう。」


俺は、ゆっくりと銀の皿に手をかざした。


すると、指先からふわりと淡い光が浮かび上がる。


光は宙に舞い、空中を漂い始めた。


「これは……幼少期の記憶ですね。小さな犬を拾ったときのもの。」


女は小瓶を手に取り、光を吸い込むように封じた。


「三十金貨、といったところでしょう。」


「……足りない。」


「では、もう少し査定を続けましょう。」


再び皿に手をかざす。


光が抜けるたび、身体のどこかが空っぽになっていく感覚があった。


「剣術の訓練を始めた頃の記憶――二十金貨。」


「旅先で出会った仲間たちとの思い出――十五金貨。」


淡く、そして続いていった。


自分の一部が削れていくのがわかった。


「これで、百金貨に届きました。」


女は、小さな袋を差し出した。


中には、見慣れないほどの金貨がぎっしりと詰まっている。


「……助かる。」


俺は袋を受け取った。


手が震えていた。寒さではない。自分が何をしたのか、理解した瞬間の震えだった。


俺は、手にした金貨の束を握りしめながら、夜の街へ戻った。


銀貨とは明らかに違う、ずっしりと重い感触だった。


(これでセレナの薬が買える……。)


思いながら足を進めるが、胸の奥のざわめきは消えない。


数歩進んだところで、ふと気づく。


(俺は、何を売ったんだ?)


頭の奥をたたかれるような違和感――痛みにも似た感情が波打った。


それは悲しみでも怒りでもない。


ただ『欠けた感覚』だけが、そこにはあった。


「おかしくなってるのかな……。」


呟く声は、冷たい夜気と共に消えていった。


歩幅を意識して、俺は治療院へ向かう夜道を歩いた。


石畳が薄暗く浮かび上がり、街灯の光が揺れて映る。


まぶたの奥で、幼い日の光景が揺れた。


小さな犬を初めて抱いたときの、暖かい感触。


友と笑いあった、夕暮れの風景。


記憶の一部が、まるで水に溶けていくように、遠ざかっていく。


「何を失ったのか、わからない……。」


足が止まる。


夜風が頬に触れた瞬間、俺は初めて――


行動したことの意味が重くのしかかるのを感じた。


(けど……それでも)


ポケットの中の金貨を、何気なくつかんだ。


(セレナを助けるためだ。)


決心が、体を貫くように刺さった。


足取りは少し軽くなった気もした。


けれど、確かな空虚は消えない。


それでも――


金貨は今、確かに俺の手の中にある。


それは、彼女を救うための唯一の手段だ。


夜の空に、雲の切れ間から月が覗いた。


白く光るその月を見上げながら、俺は深く息を吐いた。


「……薬を、手に入れないと。」


それだけを胸に、俺は歩き出した。


その時、路地の陰から小さな鳴き声がした。


痩せた子犬が、こちらを見上げて尻尾を振っている。


胸のどこかが温かくなるはずの場所に、静かな空洞だけがあった。


視線をそらし、歩みを速めた。


背中に残るかすかな鳴き声は、すぐに夜風へと溶けていった。

流瑠々と申します。

4章目でございます。

今回はセレナを守るため記憶を売るカイルの回でした。

次回は、薬を手に入れ、幸せな日常が戻るのか、、、 でございます。

よければ感想やレビュー、ブクマで応援していただけるとすごく励みになります

続きも頑張って更新していきますので、また読みに来てくださると嬉しいです

前作の【春の丘で出会った日傘の少女と、十年に一度咲く風鈴草に(完結)】も見ていってください。


以上。流瑠々でした。

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