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【第三章】魔素枯渇症と最後の希望

静かな部屋に、規則正しい呼吸音が響いていた。


治療院の白い天井を、俺はぼんやりと見上げる。


窓から差し込む朝の光が、淡くセレナの頬を照らしていた。


彼女はまだ眠っている。


けれど、その顔には昨日のような苦しげな色はなかった。


ほっと息をつき、俺はそっとその手を握る。細くて、小さな手だ。けれど、温もりはちゃんとある。


「……ん」


セレナが、ゆっくりと目を開けた。


「セレナ。気づいたのか」


「……カイル?」


視線が合うと、彼女は微かに笑った。


「ここ、治療院……?」


「倒れたんだよ。突然……。すぐに運んだ。今はもう大丈夫か?」


「うん……ちょっと、頭が重いだけ。あとは……。」


言いながら、彼女は無理に体を起こそうとする。


「動くな。まだ横になってろ」


「……ありがと。びっくりさせちゃったね。」


小さな声でそう言い、彼女は再び目を閉じた。


緊張が解けたのか、すぐにまた浅い眠りに戻る。


その寝顔を見ていると、胸の奥が締めつけられるようだった。


一緒に過ごすようになってから、毎日が少しずつ穏やかに変わっていったのに。


それが、こんなふうに崩れていくなんて――考えたくもない。


そのとき、扉が小さく開いた。


「失礼します。カイルさんですね?」


現れたのは、年配の術師だった。白いローブに杖を持ち、落ち着いた眼差しでこちらを見ている。


「……ああ。セレナのこと、診てくれたんだな?」


「はい。今朝方、魔素の流れを診させていただきました。」


術師は一礼し、少し言いにくそうに言葉を継ぐ。


「お時間よろしければ、少し外でお話を……。」


俺は頷き、セレナの寝顔をもう一度確認してから立ち上がる。


別室は、石造りの簡素な部屋だった。


棚には薬瓶がずらりと並び、奥の机には古びた魔導書が開かれている。


術師は静かに扉を閉めると、こちらに向き直った。


「率直に申し上げます。セレナさんの体に、深刻な異常が見られました。」


「……どういうことだ。」


「魔素の流れが、極端に弱く、不安定です。体を巡る魔素の量が、通常の人の半分以下しかありません。」


「……魔素ってのは、つまり……?」


「生命活動そのものを支える力、と考えてください。呼吸、鼓動、再生。すべてに関わっています。魔素の巡りがこれほど弱いというのは……日常生活にも支障が出るほどの異常です。」


俺は言葉を失った。


「……原因は?」


「まだ断定はできませんが、“魔素枯渇症”の可能性が高いと見ています。」


その言葉に、背筋がぞくりとする。


「魔素枯渇症……?」


「はい。生まれつき、もしくは何らかの要因で、魔素をうまく蓄積できない体質です。進行すれば、身体機能そのものが崩れていきます。今はまだ初期段階と思われますが……。」


「治るのか。」


即答だった。術師は少しだけ口元を引き結ぶ。


「完治は難しいかもしれません。ただし、“進行を抑える薬”があります。これを定期的に服用すれば、しばらくの間は体調を維持できるでしょう。」


「薬……。」


「問題は、その入手経路と価格です」


術師は深いため息をついた。


「王都の魔導研究院から取り寄せる特別な調合薬になります。価格は、百金貨ほどです。」


「百……。」


声にならなかった。


今の俺の手元にある金では、到底届かない額だ。


警備の仕事は悪くない。町にもなじんできた。でも、報酬は高くない。日々の暮らしを賄うので精一杯だ。


「もちろん、今すぐでなくても構いません。こちらで数日間は様子を見ます。ただ、できるだけ早く……ご準備を。」


「……わかった。」


唇を強く噛んだ。


どうやって用意すればいいのか、まだ何もわからない。


でも――


「絶対、何とかする。」


そう言い切った。言葉にすることで、自分を縛るように。


術師は静かに頷いた。


「……病名については、彼女に?」


「まだ話していません。今は、あなたの判断に任せます。」


「……ああ。俺から話す」


重くなった空気の中で、俺は部屋を後にした。


セレナの待つ部屋へ戻るその足取りは、少しだけ重く感じた。


扉をそっと開けると、彼女は目を覚ましていた。


枕元の灯がぼんやりとした光を落とし、彼女の横顔を淡く照らしていた。


「……カイル。」


「目、覚めたか。」


近くの椅子に腰を下ろすと、セレナは少しだけ顔をほころばせた。


「……わたし、どうだった?」


その問いに、一瞬だけ言葉を失う。けれど、表情は変えずに答えた。


「たいしたことはないってさ。ちょっと疲れが溜まってただけらしい。」


「……そうなんだ。」


セレナは、安心したように小さく息をついた。


でもその笑顔は、どこか無理をしているようにも見えた。


「しばらくは、ここで休んでろってさ。せっかくだから何日か甘えとけよ。」


「うん……そうする。」


俺は、軽く頷いた。


「心配するな。すぐに良くなる。」


そう言うと、彼女は小さく目を閉じた。


言葉よりも、そっと重ねた手のぬくもりで安心させたかった。


「……じゃあ、俺は一度出る。少し、仕事の確認があってな。」


「うん……行ってらっしゃい。」


静かな声に背中を押されて、俺は部屋を後にした。


扉を閉めた瞬間、胸の奥がきしむ。


顔には出せなかった。足は自然と外へ向かっていた。


夜の街は、昼とはまるで違う顔を見せていた。


治療院の帰り道、俺はひとり、石畳の上を歩いていた。


冷たい夜風が肌を撫でる。空には雲がかかり、月の光もぼんやりとしている。


百金貨。


それだけあれば、彼女を少しでも救える。


今この瞬間も、体の中で魔素が薄れていっているかもしれないのに――俺には、なにもできない。


「……くそっ。」


拳を握りしめる。


俺は元旅人だ。


剣を振るい、金を稼ぐ。そうやって生きてきた。


だが、この町ではまともな戦いの依頼なんてほとんどない。


警備の仕事も、細々とした雑務も、日々の飯代にはなるが、百金貨には程遠い。


「もっと……何か方法があれば……。」


何度も頭を巡らせる。


武具を売るか? 剣を?


だが、それを手放せばもう稼げない。本末転倒だ。


町の広場を抜け、路地裏へと足を運ぶ。


酔っ払いの声、猫の鳴き声、誰かの歌。


それらを通り過ぎても、胸の奥のざわめきは収まらない。


何があっても、セレナを救わなければならない。


今さら何かの運命だとか奇跡だとか、そんな言葉を信じているわけじゃない。


「……どうすりゃいいんだ。」


呟いた声は、夜の静けさの中に溶けていった。


歩き続ける足元が、どこへ向かっているのかもわからないまま――


俺はただ、金の工面を探して、夜の町をさまよっていた。




流瑠々と申します。


3章目でございます。


セレナの病が明らかになり、物語が大きく動き出しました。

次回は、さらに深い選択と代償の話へと繋がっていきます。

物語はここからさらに切なく、そして優しく進んでいきます。


よければ感想やレビュー、ブクマで応援していただけるとすごく励みになります


続きも頑張って更新していきますので、また読みに来てくださると嬉しいです


前作の【春の丘で出会った日傘の少女と、十年に一度咲く風鈴草に(完結)】も見ていってください。

以上。流瑠々でした。

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