女神爆誕
週間マンスリーは大衆誌である。
大衆紙であるからにはその誌面はさまざまな記事で賑わう。
当然、ヤバめの記事も載ることがある。
ある意味、タケシの寄稿するデギール関連の記事もそうしたものなハズなのだが、掲載が大衆誌なこともあり、一般的にはイマイチ浸透していないようだ。ただオカルト記事的な扱いでウケてはいるらしい。
さて、本日の編集部、時を遡り、そんなヤバめの記事からトラブルになった時の話である。
◆
カチャカチャカチャ…
ルミが着任してまだ間もない頃…そう、まだランチを求めて編集部のあるビル周辺を彷徨い歩いていた頃のことだ。まだタケシが編集部に出入りしていない時期でもあるので、デギールの記事は掲載されていない。
カチャカチャカチャ…
編集部内にキーボードを叩く音のみが響いていた。
その日、締切日ということで次から次へと記事が入稿される。大部分はオンラインで届くが、中には直筆派というのもあり、郵送で届いたり、あるいは直接原稿を受け取りに行ったりもする。連載中の小説やマンガなどはこうしたケースが多い。ことマンガはルミの担当なのだが、連載中の2作品のうち一つ、原稿完成の知らせすら届いておらず、校正の作業をしつつも脱稿とあらば受け取りに行かねばならない。アナログ派の紙原稿なので、受け取るばかりでなくスキャナーでの取り込みにセリフの写植という作業も待っている。毎週のことではあるのだが、彼女は朝からピリピリしていた。ルミが校正した記事を小林と秋山がレイアウト、佐藤副編がチェックするという流れだ。ちなみに編集長の岩竹は、大物政治家へのインタビューで、やっと先方とのアポが取れたということで取材に出ていて不在。なんでもインタビュアーは岩竹をご指名だそうだ。
「…佐藤副編」
小林がポツリと呟く。
「ん?」
「人、増えませんかね、ここ」
「うーむ…今年野島君が転属になってから補充されてないもんねぇ。編集長を通じて上には言ってるんだけど、本年度中は無理かねぇ」
「うち、部数は出てるんだから、もうちょっと大事にしてくれてもいいんですけどねぇ…」
「うーむ、その通りだねぇ…」
と、愚痴りながらも手は止まらず作業を続ける。
こうした忙しい時に限ってやって来るのは招かれざる客だ。
バンッ
「おゥッ! 編集長はいるかッ!」
ノックも無しにドアを乱暴に開けて入ってきたのは、素肌に赤地のアロハシャツ、白いズボン、首や腕には金色の(純金ではないであろう)アクセサリーをジャラジャラと付けた、いかにも、どこから見てもという二人組のチンピラだった。アロハの柄に違いがあるくらいで、ユニホームか?と思うくらい同じような格好をしている。「オメェ、どこ中よ!」とすら言い出しかねないレベルのチンピラなので名を名乗るという礼儀はない。よってここではチンピラA・チンピラBと呼称する。
秋山が応対に出た。
「編集長は不在ですが、どう言ったご用件で?」
チンピラAが尻ポケットに丸め持っていた今週号のマンスリーを出すと、床に叩きつける。
「おうッ! よくもウチの組をコケにした記事を載せやがったなゴラァッ! これ書いたヤツは誰だゴラァッ! 出せゴラァッ!」
確かに今週号でヤクザの抗争の記事を掲載した。記事は外部ライターからの寄稿なので書いた者はここにはいない。そもそも記事の最後には文責者の名前が載ることが多く、その記事もそうだったのだが、どうやら最後まで読んでいないのであろう、途中まで読んでカッとなってここまで来たと推測される。
「そのような要求に応えることはできない」
「ンなんだとォゴラァ!」
秋山は胸ぐらを掴まれた。
「誰が書いたか言えってェんだよッ!」
秋山は黙秘する。
「おいゴラァ! なんとか言えッてェんだよッ!」
ふと、秋山とチンピラAの視界に、白っぽい何かが割って入って来るのが見えた。
手だった。
それは、秋山の胸ぐらを掴んだAの腕を掴む。
秋山はその手から辿り、持ち主は誰なのか確認する。
持ち主は…ルミ。
「ルミさんっ! そんな危な
と秋山が言いかけたが言い終わる間も無く
グイッ
「あァん…」
ルミが微かに力を込めると、チンピラAが妙な声を上げて胸ぐらを掴んだ手を離した。
そこへすかさず
グイッ
ドサッ
腕が捻られチンピラAは床に顔から叩きつけられた。
ここまで5秒。
「なんだぁ…このアマァ!」
今度はチンピラBがルミを殴りにかかる。
が。
ルミの顔目掛けて飛んだはずの右ストレートは微か10センチほど動いただけで躱された…ばかりでなく、ルミはその腕を脇下に抱えると右腕を絡め、肘関節を極める。
クイッ
わずかに力が込められただけで関節は本来曲がるべきとは逆に力をかけられ
「グワァ!」
その痛みを和らげる方向へ動かねばならないが、その方向とは床だった。
ドオッ
痛みに逆らわなかった結果、チンピラBも顔から着地した。
ここまで8秒。
「ナニすんだァ、このアマァッ!」
最初に床の冷たさを顔で知らされたAはルミの背後に周り、
「やっちまえっ!」
脇の下から腕を回しルミを羽交い締めにするが、ルミはスッとしゃがみ羽交い締めから逃れると、そのまま立ち上がり
ゴッ
「グワッ!」
Aの顎へ頭で打撃を加える。
伝説のボクサーもビックリの視界外から湧き上がったアッパーカットに、Aは仰向けにぶっ倒れた。
ここまで6秒。
「このヤローっ!」
Bは立ち上がり、ルミに殴りかかる。
「オラァ!」
これを躱…すことなく、拳が届くより先にBの顔へハイキックが炸裂する。
ビリッ
ドォッ
「グハァ!」
殴りに行った前方向の運動エネルギーへルミのキックだ、破壊力は否が応にも増大する。
顔面に大きなダメージを受けつつ、こちらも仰向けにふっ飛ばされた。
ここまで3秒。
大の男二人が床に叩き伏せられるまで、30秒足らず。
「まだ、やりますの? 戦力差はご覧の通りですが」
ここまでの一連の動きを、一言も発することも呼吸を乱すことすらも無くやり遂げたルミが冷淡に言い
「ヤる以上はヤられる覚悟をしていただかないと」
拳も蹴りも掴めるよう、緩やかに両手を握って顔の前に構える。
「チクショウ!」
「おぼえてやがれ!」
バタンッ
チンピラ二人組はチンピラらしい捨て台詞を残し、去って行った。
◆
さて、一方の編集部はと言うと…
全員固まっていた。
いや、唖然としていた、と言うべきか。
秋山も。小林も。佐藤も。
みんな目を見開き、あんぐりと口を開けていた。
秋山の胸ぐらが掴まれた時はハラハラしたものだが、バンッとドアが開いてからバタンと閉まるまで2分とかかっていない。
目の前で起こったことに脳が理解を拒んでいるのだ。
「あらヤダ。スカート破れちゃった。すみません、ちょっと出てきますね。すぐに戻ります」
ルミは涼しげにそう言うと、自分のハンドバッグを手に取り、部屋を出て行ってしまった。
こんな状況、今なら渡辺が喜んで地雷原を踊ってくれるのだが、あいにく渡辺が入社前の話なので踊り手が不在だ。
三十分ほどして、ルミがパンツスタイルになって帰ってきた。
先ほどまで着ていたスカートは左手に下げた紙袋の中にあるようで、ジャケットもパンツも同じ、紙袋に書かれたそのブランドのものらしくお揃いの生地だ。
ルミが席に着くと秋山がやって来た。
「あの、ルミさん、先ほどはどうもありがとうございます」
ただし、まだ頭の中で消化しきれていないのか、歯切れが悪い。
「お気になさらずに」
クールな返事が返って来る。これは気にすることはない。いつものルミだ。
そして何より、前述通り今日は締切日。そもそもみんな忙しいのだが、とりわけルミがピリピリするのは毎週のことでもあるので、触らぬルミに祟りなし、この日、それ以上は誰も話題にすることはなかった。
◆
翌日。
出社した岩竹に佐藤副編が昨日の出来事を報告した。
「そうか。ご苦労だった」
と言っただけで、あとはタバコを切らしていたのを忘れていたと、買い物に出てしまった。
さてもやはりこのタイミングなのか
コンコン
来客だ。
「どうぞー」
小林が声を掛けると
「失礼する」
と、ドスの効いた威厳ある声と共にその声の主が入って来た。
その姿…
光沢ある長着に羽織りという和装。
何より胸、袖、そして背中に入った家紋。
それはこの地域をシマとする、城山組のもの。
その後ろには、おでこや鼻に絆創膏を貼った昨日のチンピラが控えている。
「ワシは城山組の城山権蔵と申す者。昨日、この、後ろにいる二人がこちらで『世話』になったそうで、その『挨拶』に参った。さて、コヤツらをこのような目に遭わせてくれたのは、どちら様かのう?」
そう言って鋭い眼光で編集部内を見渡す。
城山権蔵とは、すなわち城山組の組長だ。
ヤクザ抗争の記事はどの編集部員も携わったことがあり、無論その姿を写真で見たこともある。
その組長直々のお出ましである。
編集部内の空気が凍りつく。
「私ですが」
スッとルミは立ち上がると、城山の前に立つ。
何か構えるでもなく、ただ立っている。
「ルミさん!」
編集部の男たちも、何ができるというわけでもないがルミの背後に控えた。
「名は?」
「守人ルミ」
「ふぅむ…」
そう言って城山は、目前に立ちはだかるルミの頭のてっぺんからつま先まで、満遍なく見渡す。
「姐ちゃん…カタギじゃァねェな?」
それを聞いたルミ。
パッと振り返り、口を隠すように手を当て、ヒソヒソと小声で問う。
「小林君。カタギって何?」
この空気の中でそれ聞くか?と小林は呆気に取られるが
「普通の一般人のことです、ルミさん」
小林もヒソヒソと答えた。
それを聞いて、ルミは再び組長に向き直る。
「正真正銘、根っからのカタギってヤツよ。分かったらお帰りいただきましょう」
「フフ…フワッハッハッハッハッハ。こりゃいい。威勢の良い姐ちゃんだ。気に入った! この度の無礼、この城山権蔵が詫びさせてもらう」
と、なんと城山が頭を下げたではないか。
ざわめく編集部。
「いえ、分かって頂ければ結構です。ご丁寧にありがとうございます」
と、ルミも頭を下げた。
「フワッハッハッハ。ますます気に入った。ほれ。お前らも詫びんかい」
「す、スイマセンした!」
組長に促されてはそうするしか他ないだろう、チンピラたちも頭を下げた。
「コイツらは事務所に戻ったらオトシマエつけさせるんで、それで勘弁してもらえんかの?」
オトシマエとは何か?という疑問がルミの頭の中に湧くが、その言葉を聞いてビクッとなり蒼くなったチンピラたちの怯え様でルミは察した。
「処罰を与える、ということでしたら穏便にお願いします。彼らも自らの所属する組織の名誉のために働いたのでしょう、ただそのやり方が間違っていただけで、組織へ向ける愛は本物でしょうから」
微かに笑顔を浮かべ、ルミは言う。
「フワッハッハッハ。組への愛か。今の時代、そんなもんがあるならまだ救いはあるが、目先の欲に溺れるようなヤツばかりでな。悲しい限りじゃい」
権蔵は豪快に笑って言うが、何か心当たりでもあるのか、どこか寂しそうであった。
「そう思うなればこそ、彼らを大事にしてあげてください。私からもお願いいたします」
今度はルミが率先して頭を下げる。
「ふむ。面白い姐ちゃんだ。ほれ、この方のおかげでオマエらは命拾いしたんじゃ。礼を言わんかい」
「あ、ありやぁっしたッ!」
「いえいえ。どういたしまして。話し合いで、というなら私たちもその席に着きます。でも暴力で、というならそれ相応の覚悟をしてくださいね」
にっこりと笑って言うが、自信と実績に裏付けられたその言葉は、チンピラ二人のみならず、場の全員の心に突き刺さった。
「さて、帰るとするか。姐ちゃん、邪魔したな」
「いえ、お茶も出しませんで」
「フッハッハ。気に入ったついでに、このシマでは姐ちゃんたちには誰にも手出しをさせんようにするからの」
「ヤクザ、というのは反社会的なものと聞いております。そういった組織と懇意というのもいかがなものかと思われますので、お心遣いだけで結構です。ありがとうございます」
「フフ、言うのう。おう、ここにいる若い衆よ。この姐ちゃんは女神だ。彼女がいるかぎり、ここは安泰じゃ。さぁ帰るぞ!」
「ご足労、ありがとうございました。気をつけてお帰りください」
パタン
「ふわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
編集部員全員、緊張の糸が切れその場にへたり込む。
「ルミさん、パねぇ…」
「いやいや…」
「よくまぁビビらずに啖呵切れるな…すげぇ」
「いや、ちょっと…」
「いや、でもスゴいことだぞ、これ。だって城山組組長直々に女神認定だよ?」
「ちょっと待って…」
「うーむ、我らの守りの女神。アテナか」
「ちょっと待ってくださいッ!」
ルミが大声を上げた。
極度の緊張から解かれ浮かれていた編集部員たちが、再び恐怖に固まる。
「私はここの一編集部員です。それ以上でも以下でもありません。なので、その…あんまり…怖がらないでください…ね…?」
ルミは胸の前で小さく手を合わせ、苦笑した。
◆
「おう。ヤス。テツ」
「へ、ヘイっ!」
チンピラの名前が今判明。
「オメェら、人を見る目ってぇもンを、よく鍛えておけ」
「へ、へい…」
「あの姐ちゃん、タダ者じゃぁねぇ」
「そりゃぁ、俺らも叩きノされてるんで分かりますが」
「そうじゃねぇ。そうだな…オメェら、暴対の刑事を知ってるか?」
「ええ、見たことはあります…やり合ったことはないですが…」
「そりゃそうじゃろ。じゃが…あの姐ちゃん、アイツらよりも手強いぞ」
「…そん…なに…?」
「ああ…オメェらがフカしてんじゃねぇかと思って見に来てみたが、ありゃ本物だ。オメェら如きが叶う相手じゃねぇ」
「はぁ…」
「…最近、ウチのシマで暴れ回ってるって話のヤツらがおるじゃろ。黒いのを着てるっていう」
「デギールとか言ってるヤツらですか?」
「それじゃ。どこの組にも組織にも属していない、一匹狼たちゆえ、ワシらもヤツらの正体は分からんが、互角にやり合えるのは、そんなヤツらじゃろうな。もっとも、そんな得体の知れぬモノやらを使って、身を滅ぼさねばいいが…鉄砲ですら過ぎた力だというのにのう…そう言えば、ツバサはどうした?」
「アイツは…独り立ちするんだとか言って出てったっきり…風の噂では田上ンとこでメシを食ってるとか」
「田上? 貿易商のか」
「ヘイ。ただ流れ者ですからねェ、扱いが良いわけないですから、チンケな商売で小遣い稼いでるとも聞きます」
「チンケ、か。弱い者の血を啜るようなマネだけはしたくねぇものよな。お前らも、そんなマネしおったらそんときはタダじゃぁ済まねぇぞ」
「へ、ヘイっ。心に刻みますっ」
「それでいい。それでいい」
権蔵は目を細め満足げに頷く。
三人の姿は街の雑踏の中へ消えていった。