56.涙の再会
(娘……!?)
リュードはそう話す魔族の夫婦を見つめる。一見人間にしか見えないふたり。だがその顔は真剣。嘘をついているようには見えない。
「娘、娘って、何……?」
驚き、動揺するサーラ。少し前にダフィから『魔族だ』と言われたばかり。ここに来て本物の魔族が現れ、自分のことを娘というのだから無理もない。女が震えた声で言う。
「サーラ、あなたまさか記憶を失っているの……?」
(!!)
記憶を失っている。そうかもしれない。実際サーラには王城にやって来る前までのことをほとんど覚えていない。リュードが尋ねる。
「サーラ、本当に何も覚えていないのか? あのふたりのこと……」
「はい、まったく。私も、分からないんです……」
動揺し、泣きそうになるサーラ。無理もない。自分の存在に関わること。父親を名乗る男が言う。
「どうしてお前が勇者と一緒に居るのか知らないが、何らのショックを受けて記憶を失っているのかもしれない。私なら治せるかもしれない。こちらにおいで、サーラ」
「……」
戸惑うサーラ。いきなり現れた魔族が両親を名乗り、そして記憶を戻すと言う。リュードが尋ねる。
「それより先に、なぜサーラがサイラスのお城で剣術指南をしていたのか教えてくれ。分からないことばかりだ」
「勇者……、サーラ。お前は勇者の仲間になったのか?」
そう尋ねる男にサーラが頷いて応える。男が言う。
「そうか。ならば知っていることを話そう。サーラ、お前はな……」
皆の視線が男に集まる。
「お前は、魔王なんだ」
「え?」
もはや意味が分からない。
いきなり現れた魔族。サーラの両親を名乗り、更に娘が魔王だと言う。驚く皆に男が説明する。
「記憶をなくしているなら戸惑うのも無理はない。お前は正真正銘の魔王。ただ、まだ未覚醒なのだ」
「未覚醒? どう言うことだ」
そう尋ねるリュードに父親が答える。
「我々夫婦は平凡な魔族でした。だが数百年前、我らの主人である先代魔王が勇者によって倒され、長い間盟主不在の時期が続きました」
それ俺じゃん、と思いながらリュードが話を聞く。
「そしてようやく魔王が誕生したのです。驚いたことに私達の子供、サーラにその魂が宿ったのです」
皆がサーラを見つめる。男が言う。
「しかし魔王としてはまだ未熟でした。多少剣術が長けている程度で皆の期待を裏切りました。ただ、勇者を見つける才は持ち合わせていました」
「勇者を見つける才?」
「ええ。サイラス王国第三王子リュード。彼がこの時代の勇者でした」
(そんなはずはない……)
リュードが考える。自分が転生してきた時には既にサーラはリュードに近付いていた。つまりサックスではなく、本当のリュードに勇者の才を見出したことになる。男が言う。
「よって我々は勇者の芽を潰すことを考え、剣術指南役としてサーラを王城へ送り込みました。サーラは王子達に剣術を教え、そして勇者リュード暗殺計画を作りました」
リュード、そしてサーラの顔が青くなる。
「リュードを人気のない場所に誘い込み、そして始末する計画。それを遂行すると報告してから、サーラからの連絡は途絶えました……」
(ちょっと待て。その計画って、まさか……)
――噴水で俺を刺す計画!?
サックスが転生して目覚めた時、背中にナイフのような刺し傷があった。幸いアーティファクトのお陰で回復できたが、あの場所にサーラもいた。彼女も倒れていた。
(何があった!? あの時、一体何が起こったんだ……)
考えるリュード。だがいくら考えたところで分かるはずもない。
「なあ、あんたら」
「な、なんだ?」
リュードの言葉に夫婦がやや身構えて答える。
「本当にサーラの記憶を戻せるのか?」
「分からない。だが多分戻せる」
少し考えたリュードがサーラに尋ねる。
「サーラはどうしたい?」
「わ、私は……」
もう何が何だか分からなくなっていた。魔族のこと、両親のこと、魔王のこと。そしてリュードとのこと。
「サーラ……」
リュードの声。サーラが思う。
(訳が分からない。でも逃げてはいけない。自分に向き合う、何があろうと私は私)
「リュード様。私、記憶を取り戻します」
「いいのか?」
「はい」
信じる。自分を信じる。みんなを信じる。そしてリュードを信じる。
「そう言うことだ。やってくれ」
リュードの言葉を聞き父親が『分かった』と頷きサーラに近付く。
「サー様」
小声でリーゼロッテが呼ぶ。リュードも小声で返す。
「分かってる。おかしな真似したら即座に斬る」
「はい」
リーゼロッテもそっと魔法杖を持ち構える。男がサーラの前に立ち、右手を頭に当て声を上げる。
「はあっ!!!」
波動。何か黒き波動が辺りを振動させる。じっと身構えていたリュードが、意識を失いフラッと倒れるサーラを抱きかかえる。
「サーラ、サーラ!!」
「大丈夫だ。脳が混乱している。直に目を覚ます」
死んではいない。眠っているようだ。そしてそのくりっとし大きな瞳がゆっくりと開かれる。
「リュード様……」
「サーラ!」
そしてリュードは気付いた。その美しき瞳が涙で溢れていることに。
「ど、どうしたの、サーラ? 大丈夫か!?」
サーラが起き上がり涙声で言う。
「ごめんなさい、ごめんなさい。リュード様を殺そうとしたのは、私なんです……」
「!!」
リュードはその言葉を失った。リュード暗殺計画、やはりサーラが関わっていたのか。何かの洗脳ではないかとリーゼロッテに目をやるが、彼女が小さく首を左右に振るのを見てその可能性はないと分かった。サーラが言う。
「私、確かにあの日、リュード様を殺そうと噴水の広間に呼び出しました。お話があると言って、隙を見てナイフで暗殺を……」
そう言いながら声が震えるサーラ。
「私、魔王だって言われて、でもそんな自覚全くなくて。でもそんな私を生んだ両親が苦しむのに耐えられなくなって、勇者を殺そうと……」
無言のリュード。サーラの両親は辛そうに俯く。
「リュード様は勇者でした。でも私の魔王以上に覚醒ができておらず、城内では『ヘタレ王子』って呼ばれるほどでした。でもやっぱり勇者だったんです」
リュードがサーラの顔を見つめる。
「震える手でナイフを刺した瞬間、私はリュード様の反撃を受けました。何かの衝撃波。勇者の攻撃。それが頭に当たり、私は意識を失いました。記憶と共に」
合点がいった。
勇者ではないと思っていたリュードを狙った理由。サーラが記憶をなくした理由。そして彼女が魔王であることに気付かなかった理由。すべてに合点がいく。
「記憶と共に魔王の力も全くなくしておったのか。通りでわらわですら気付かなかった訳じゃ」
以前彼女は『この世界に魔王がいる』と言った。ただ邪気を感じない、云わば『無害の魔王』。そんな風に話していたのをリュードが思い出す。人間嫌いのレーニャも彼女から妙な匂いがすると言っていた。ダフィだけが気付いた。そして今、そのすべてが分かった。
「どうする、サーラ?」
重い問いかけ。彼女の人生を左右する問いかけ。ゆっくり話したい。だけど今は一刻を争う。リュードの問いかけにサーラが問いかけで返す。
「私を、私を許してくれますか……?」
涙声。潤んだ瞳が不適切かもしれないが、可愛い。
「許す。許すから、サーラ。俺と一緒に来い」
「……はい」
サーラが俯き『ごめんなさい』と何度も謝り咽び泣く。魔族とは言え一介の少女。偶然魔王の魂が宿っただけで、元は純粋は女の子。何も変わらない。何も変わらせない。リュードが両親に尋ねる。
「そう言うことだ。悪いけどサーラはこれまで通り俺達と共に行く。いいか?」
両親は顔を見合わせてから頷いて答える。
「構いません。私達も他の者達からの圧力でサーラに無理をさせてしまいました。もう勇者とか魔王とかどうでもいいです。娘さえ元気にいてくれれば。自由に生きなさい。サーラ」
そう話すふたりの目に涙が溢れる。リュードが尋ねる。
「お前らはどうするんだ?」
魔王であるサーラをこともあろうに敵である勇者に同行させる。魔族からすれば最も忌むべき愚行。ふたりの身の上が心配になるのも無理はない。
「どこか見つからないようふたりでひっそり暮らします」
幸いサックスが魔王を倒してから魔物や魔族の主だった動きは見られない。皆待っているのだ。魔王復活を。リュードが言う。
「良かったらサイラスで暮らしてみないか?」
「サイラス!?」
驚く両親。リュードが鞄の中から紙を取り出し文字を書く。それを渡しながら言う。
「サイラス第三王子リュードお墨付きの入国証。これがあればサイラスで暮らすのに不自由はない。あ、ただ極力魔族ってのは伏せてね」
「あ、ありがとうございます……」
両親が涙を流しそれを受け取る。リュードがサーラに言う。
「サーラ。悪いけどもう行かねばならない」
「はい……」
サーラが涙を拭い、両親の元へと駆け寄る。
「お母さん、お父さーん!! うわああああ!!!」
サーラは両親に抱かれながら声を上げて泣いた。長く離れ離れだった親子の再会。リュードは優しい顔でそれを見つめた。