55.レーベルト帝国軍、進軍。
「祝杯だ」
ティルゼール王国の王城を奪取した皇帝シュナイダー。北の帝国レーベルトの勢いは皆が想像する以上に強大だった。
占領した王城に集まったレーベルトの幹部達。皇帝シュナイダーの音頭で祝杯を挙げる。幹部が言う。
「それにしてもティルゼールも大したことなかったですな」
「うむ……」
リュード達の宗主国ティルゼール。唯一レーベルト帝国に対抗しうる国であったが、内情は腐敗政治によりまともに機能していなかった。軍は堕落し、政治家は民から搾取し私腹を肥やすことに明け暮れた。だからシュナイダーの甘言に乗り、多くのティルゼールの幹部が内通に協力した。
(どんな国の中枢にも愚者はいる。不満を抱く者はいる。彼らを篭絡させることなど訳もない)
シュナイダーは圧倒的軍事力と政治力だけでなく、人心掌握にも長けた人物であった。徹底して負けない戦をする。それが新しき皇帝シュナイダーの強さでもあった。
「ヘルリナ、気分はどうだ?」
青紫の髪、冷酷な目をしたシュナイダーが心を許す数少ない人物。祝杯の席の末端で、小さくなりながら座る茅色の髪の少女に声を掛ける。
「はい、大丈夫です……」
神秘的なオーブを持つヘルリナ。シュナイダーの戦には必ず連れて行く彼女だが、体が弱く病に伏せることが多くなっていた。シュナイダーが言う。
「私の戦いには必ずお前が必要となる。決して今は無理はするな。体を優先しろ」
「はい、ありがとうございます」
ヘルリナは感情のない笑みを浮かべそれに応える。
シュナイダーは頷き立ち上がる。間もなく開始されるサイラス攻略に向け頭を切り替えた。
「ベルベット兄さん。もうすぐ国境に着きます」
「うむ」
サイラス王城を出た長兄ベルベットと次男ランフォード。多くの兵士を従え、順調にティルゼールとの国境付近までやって来た。乾いた風の吹く荒れた荒野。戦が無ければこのような場所に来ることはまずない。ベルベットが辺りを見回し兵士に言う。
「ここらに陣を築く。敵の偵察はどうなった?」
ひとりの兵士がやって来て頭を下げて答える。
「はっ、レーベルト帝国軍は勢い衰えることなく南下し、この国境付近に直に到着するとのことです」
「そうか」
ベルベットの顔に緊張の色が浮かぶ。宗主国ティルゼールをいとも簡単に制圧したレーベルト。若き皇帝が指揮をしていると言うが一体どんな人物なのだろうか。ベルベットがランフォードに尋ねる。
「お前はどう思う、ランフォード?」
銀色の髪を風に揺らしながら病的に白い顔をしたランフォードが答える。
「私と兄さんが手を組めば負けるはずはないでしょう。新しく即位した若輩者の皇帝など容易く捻り潰してあげましょう」
「そうか……」
冷酷だが実力者の弟。時々何を考えているのか分からないことがあるが、戦となれば心強いことは間違いない。築陣を進めるサイラス軍に急報がもたらされる。
「ベルベット様!! レーベルト帝国軍が目前まで迫って来ています!!」
「来たか!!」
予想よりも早い到着。サイラス軍に緊張が走る。
「あれがサイラス軍か。予想よりもずっと立派だ」
一方、侵攻を進めてきたシュナイダー率いるレーベルト帝国軍は、サイラスとの国境付近に到着し、対峙する敵軍を見つめていた。想像よりも立派な軍。見事な陣。先に戦った宗主国ティルゼールよりずっとしっかりしている。側近が尋ねる。
「今回はいかに攻めましょうか?」
シュナイダーが答える。
「まずは普通に行こうか。正攻法で。大将ベルベットの実力を知りたい」
「御意」
側近が頭を下げ離れる。
(敵は大将ベルベットただひとり。奴を討ち取れば敵は崩壊。サイラスも我が手中に落ちるだろう)
シュナイダーは不敵の笑みを浮かべ、対峙するサイラス軍を見つめた。
「リュード様!! また戻って来てくださいまし。私はずっとお待ちしておりますわ!!」
バルカン王国を出る際、見送りに来たマジョリーヌが悲しみの表情で叫ぶ。レーベルト帝国の侵攻。一刻の猶予もないリュード達は馬に乗りそれに答える。
「ああ、分かんないけど、じゃあな!!」
「ああん、リュード様ぁ!!」
未練たっぷりのマジョリーヌに手を振り、リュードがサーラの馬の後ろに乗り駆け出す。今回はリーゼロッテも従者のエルフの馬に乗る。椅子駕籠に乗ってゆっくり戻る訳にはいかない。
「ダフィ、レーニャ!!」
「ワォン!!」
「はいニャ!!」
リュードがふたりに言う。
「ふたりは先に行って偵察を頼む。ダフィの足なら相当早く行けるはず!!」
「分かったニャ!!」
小柄なレーニャがダフィの背に乗り、爆音を上げながら消えて行く。子供とは言えヘルハウンドの脚力。馬の比ではない。
(俺達もどこかで成獣のヘルハウンドを見つけなきゃな)
馬の脚では遅い。できれば数体のヘルハウンドを見つけ乗り換えたい。リュード達が街道を急ぐ。
「あっ」
快調に馬を飛ばしていたリュードが、その先に現れたふたりの人物を見て叫ぶ。
「止まれ! サーラ、止まってくれ!!」
振り落とされないようにサーラに抱き着いていたリュード。その腕に力を入れサーラに伝える。
「きゃっ!? リュ、リュード様、どこを触って!!??」
そう答えるサーラだったが、その街道に立つふたりの人物に気が付き急ぎ馬を止める。リーゼロッテが乗る馬も同じく止まり、そのふたりの人物を見つめる。馬を降りたリュードが言う。
「お前ら、魔族か?」
街道に立つふたりの人物。一見普通の人間の夫婦のような風貌。だがリュードはふたりからサックス時代に感じた嫌な感覚を感じる。
サーラも馬から降り、リュードの隣に立ち剣を抜き構える。
「あ、あぁ……」
夫婦の女の方がふらふらと手を前に差し出し、か細い声で言う。
「サ、サーラ。あなた、サーラなのね……」
(!!)
皆が驚いた。なぜサーラを知っている。なぜ魔族が彼女の名を口にする? 男の方が女に言う。
「ま、待て! 勇者がいるぞ……」
女の足が止まる。だが目に涙を浮かべ再び歩み出す。リュードが大声で言う。
「何者だ、お前達は!!」
再び止まる女の足。そして答える。
「勇者よ、私達はもう何もしません。だから、だから……」
女が目から涙をぼろぼろ流し懇願するように言う。
「私達の娘、サーラを返してください……」
全身の力が抜けたリュード。ゆっくりとサーラの顔を見つめた。