30.あれって、まさかリーゼ!?
コンコンコン!!
王都セフィアの貴族住宅街。その一角にあるハガルト王子の家族が住む家のドアが勢い良く叩かれた。使用人がドアを開け尋ねる。
「何でしょう? 慌ただしい」
仮にもここは国王の家族の家。無礼な行いは許されない。顔を隠した兵士が告げる。
「お逃げ下さい! ハガルト王子が捕まりご家族にもその手が迫っております!!」
それを聞いた使用人の顔が真っ青になり、慌ててハガルトの家族の元へと走り出す。
「ありがとう、伝えてくれて」
その報を聞いたハガルトの妻は冷静に答えた。アップに上げた髪。何事にも動揺しない強い瞳。不遇の立場とは言え国を支える王族としての強い意志が感じられる。
「このような事態はずっと前から想定していました。クレス、あなたは逃げなさい」
ハガルトの妻はひとり息子のクレスにそう言った。まだ成人前だが端正な顔つきのクレスが答える。
「わ、私も母上と一緒に残ります!!」
家には母親と国王の妻である祖母がいるのみ。ふたりが連行されては父に合わせる顔がない。母が言う。
「あなたにもしものことがあれば正当なセフィアの血が途絶えることになります。クレス、これはお願いじゃなくて命令です。さ、裏口からすぐに逃げなさい」
見たこともないような強い表情の母親。クレスはすべての事情を理解し、小さく頷く。
「必ず、必ず助けに参ります。それまでどうかご無事を!!」
頭の良い息子はそう母親に告げると、裏口から涙を拭いひとり駆け出す。ようやく緊張がほぐれたのか、その後姿を見送った母の目にも光るものが溢れた。
「族長様っ!! 敵軍が我が王都近郊まで迫っております!! 何卒、ご対処を!!」
セフィア王城の貴賓室で紅茶を飲んでいた『嘆きの雷帝』に、セフィアの大臣が青い顔をしてやって来て伝える。面倒そうな顔をしながらリーゼロッテが答える。
「人のティータイムを邪魔しおって、本当に無粋な奴じゃ。まあよい。ちょうど焼き菓子もなくなったところ。すぐに戻るから新しいのを用意しておけ」
「はっ、もちろんでございます!!」
大臣は安堵のせいか気味の悪い笑みを浮かべてそれに答える。リーゼロッテが黄金色の宝玉のついた魔法杖を手に、可愛らしいツインテールを揺らしながら部下に言う。
「行くぞ。サイラスの王子とやらに挨拶をしてやる」
颯爽と部屋を出るエルフ族の族長。その姿はまさに最強の魔法使いの名に相応しい貫禄があった。
「……と言う訳ニャ」
「なるほどね。さすが一流の諜報部員レーニャだ」
一方、セフィア王城制圧に向かうリュード達。王都郊外にまで迫り小休憩を取る中、報告に現れたレーニャを聞きながらリュードが言った。更に尋ねる。
「それでクロッドの方は順調かな?」
「問題ないニャ。ミャーもこの後すぐに手伝いに行くニャ」
「了解。さすがだね」
「当然ニャ~」
褒められて照れるレーニャ。すぐに続けて言う。
「だけど王城から『苗木の雷帝』が出陣したようニャ。気を付けるニャ」
「分かった。ありがとう」
それを聞いていたサーラが首を傾げて尋ねる。
「苗木の雷帝? 何ですか、それは?」
聞いたことがない名前。いや、近い名前は知っているがちょっと違う。レーニャが答える。
「サーラは知らないのか? セフィア領土に住むエルフ達。あいつらの親玉ニャ。めちゃくちゃ強いニャ!!」
畏敬の念を込めてそう話すレーニャ。サーラが少し笑いながら言う。
「それって苗木じゃなくて『嘆きの雷帝』でしょ? 会った者がその強さに皆嘆き絶望することからそう呼ばれているエルフの族長」
「……ニャ!? そうなのか?」
サーラの言葉を聞いて目をパチパチさせるレーニャ。リュードも笑いながら言う。
「嘆きの雷帝か。なるほど。おかしいと思ったんだよ、どうしてそんな強い奴の二つ名が植樹なのかなってね」
「な、苗木の雷帝もきっといるニャ……」
自信なさげなレーニャ。リュードが言う。
「まあいいよ。植樹も悪いことじゃないし」
「そ、そうニャ。あ、ミャーはもう行くニャ。すぐそこにさっき話したクレスって言う奴が来てるから後は頼むニャ」
「了解~、気をつけてな」
レーニャは軽く手を振りそれに答えると霧のように消えて行く。髪留めのアーティファクト。彼女も確実に使いこなしているようだ。
リュードが立ち上がり、王都の方角からひとり駆けて来る若い男に目をやり言う。
「早速来たようだね、サーラ」
「え? あ、はい」
歩きながらその男を迎えるリュード。そして肩でゼイゼイ息をし、思いつめた表情の彼に言った。
「こんにちは、クレス。待っていたよ」
驚くクレス。すぐに尋ねる。
「な、なぜ僕の名前を!?」
リュードが近付き答える。
「俺はサイラスの第三王子のリュード。クレス、取引をしよう。これから俺達はセフィア王城を制圧する。そしてお前か、父親のハガルトに国を治めて貰いたい」
突然のことに全く事情が理解できないクレスが尋ねる。
「な、なぜそこまで!? 理解できない。リュード王子? あなたの目的は一体何なんです!?」
リュードが笑って答える。
「簡単だよ。戦のない世界を作りたい。笑って巨乳美女を口説けるような平和な世を築きたいだけだ」
「リュ、リュード様っ!?」
その言葉を聞いたサーラの声が思わず裏返る。相手はセフィアの将来を担う人物。初対面でサイラスの恥を晒しては今後の関係にも影響する。クレスが答える。
「平和な世、か……。もしそれが叶うのならばこんなに素晴らしいことはない」
「よし、じゃあ取引成立。お前の身柄は俺達が預かる。安心してくれ」
クレスが頷いて答える。
「分かったよ、リュード王子。私にはもう選択肢はない。それにしてもあなたは不思議な人だ。初対面なのにとても大きなオーラを感じる。こんな人がサイラスにいたんだね。羨ましい」
「買い被りだよ。それより少しばかりここらが危なくなる。ちょっと離れてな」
それを聞いたクレスの顔が青くなる。そして王都へ延びる街道に現れた椅子駕籠に乗った金色のツインテールのエルフを見て声を上げる。
「あ、あれは『嘆きの雷帝』!? に、逃げましょう、リュード王子。殺されます!!」
セフィアの者なら誰でも知っているその最強のエルフ。大臣達の味方をする言わば敵。一刻も早い避難を呼びかけるクレスにリュードが言う。
「心配するな。何とかなる。それより『苗木の雷帝』ちゃんは美女だと聞いている。楽しみだな~」
「リュ、リュード様ぁ!!」
クレスの前で失言が止まらないリュードにサーラがため息交じりに嘆く。リュード隊に対峙するように止まるリーゼロッテとエルフの部下達。そして大きな声で言う。
「サイラスの者よ。抵抗はよせ。このまま帰るのであれば攻撃はしない。わらわも無益な争いは望まぬ!!」
その声、そして容姿を見たリュードが固まる。
(あれ!? おいおい、あれってまさかリーゼじゃねえのか!!)
勇者サックスとして共に魔王を打ち倒したエルフ族の魔法使いリーゼロッテ。あれから500年も経っているが、当時まだ幼かった彼女なら普通に生きているはず。
(考えて見ればそりゃそうだ。エルフだし。まあでもあの子供っぽかったリーゼから少し大人びたけど、あの金色のツインテールに威圧的な態度。声色。間違いねえぞ)
「リュ、リュード様。如何なされました……??」
黙ってエルフを見つめるリュードを心配してサーラが尋ねる。リュードがそれに軽く手をあげながら答える。
「あ、ああ。何でもない。サーラ、ちょっと俺、話しに行って来るわ」
「え? お、おひとりで!? 私も同行……」
「大丈夫。ちょっと待ってて」
「あ、はい……」
妙な自信のリュード。茶髪の第三王子はたったひとりエルフ達の前へと歩き出す。
(何じゃ? 誰か歩いて来たぞよ……??)
それを椅子駕籠の上から見ていたリーゼロッテが考える。交渉か、降伏か。だがその茶髪の男は意外なことを口にした。
「リーゼじゃねえか!! 久しぶりだな。俺だよ、俺。サックス!!」
それまで余裕の表情だったリーゼロッテの顔つきが変わる。同時に周りのエルフの護衛達の男が青ざめていく。リーゼロッテは魔法杖をリュードに向け震えた声で言う。
「何を調べて来たのか知らぬが、わらわの前でその名を愚弄することは死に値すること。わらわの最も大切にしてきた、不可侵の聖域。貴様っ、黙って帰れば許してやったが、その行為、万死に値する!!!」
放たれる激しい魔力。リーゼロッテの護衛をしてきたエルフ達ですら経験のないほどの怒り。リュードが慌てて答える。
「いや、待て、リーゼ。本当に俺なんだよ! 今は姿が変わっているけど、本当にサックスで……」
「まだ言うか!! すぐにすべてを滅するぞ!!!」
(やべえ!!!)
詠唱を始めたリーゼロッテ。容姿が違うこの姿ではサックスとは分かってくれなかったようだ。対策をしないまま彼女の攻撃を受けたらこの体では即死。リュードは慌てて後退し始めた。