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9.勝負の白と黒

 三日も雨が続いた。雨脚は弱いけど、息の長い雨だった。幸い、三日の間に水害の報告は届いていない。川の水位が上がったものの、氾濫するまでには到らなかった。


 書類仕事を一段落させて、私は部屋にこもると黙々と刺繍に没頭した。

 ハンカチの角に黒い糸を縫い込んでいく。

 雨音の中、心まで洗われていくみたいだった。


 レオナルドを思い描いて一針ごとに願いを込める。

 彼が想いを遂げられますように。


 王様になるなら、仮初めの姿ではないありのままの彼が、みんなに受け入れてもらえますように――


 黒い獅子がほとんど縫い上がった。


 最後に糸の色を変える。


 鮮やかな青。今日までもったいなくて、使えなかったお母様の形見の青い糸。

 お母様の故郷でしか採れない瑠璃色石で染めた、特別なものだ。


 黒獅子に青い目を入れた。


 完成。やったあああぁ! 会心の出来映えね。


 思わずクッと拳を握ってしまった。


 獅子はたてがみを広げて勇ましく、決して折れることのないしなやかさをも併せ持っている。

 漆黒の王者。青い瞳はまるで宝石のよう。


 威風堂々。なのにかすかにだけど、可愛げがあった。


 こんなに上手く縫えるなんて、自分でも驚いてしまう。


 どことなく、黒獅子がレオナルドに見えてきた。虎視眈々ならぬ、獅視眈々。外面で他の者たちを油断させつつ、覇業を狙う雌伏の百獣王。


 もしかして、想いながら縫ったから、彼に似てしまったのかしら?



 夕食の後、レオナルドの部屋に呼ばれた。

 ちょうど渡したいものもあったし、ドアをノックする。


「リリアかい? 開いているよ」

「失礼しますね」

「君の家なのに仰々しいね」


 ドアの方から開いて、彼が出迎えてくれた。


 中に通される。室内は綺麗に整理整頓されていた。思えば、彼がやってきてから客間に来るのは初めてだった。


 少しだけ、彼の匂いがした。


 ミニテーブルの椅子を勧められ、座る。レオナルドはベッドのへりに腰掛けた。


「よく来てくれたね」

「御用件はなんでしょうか?」

「少し……話したくてね」

「でしたら談話室でもよろしいのに」

「そうもいかないのさ」


 あのレオナルドが困り顔だった。


「なにかあったんですか?」

「ああ。それはもう落ち込んでいるよ。君の胸で泣きたいくらいには」


 私は両手を広げた。


「どうぞ」

「あっ……いや……まさか言ってみるものだね」

「冗談だったんですか?」

「ごめん。今はまだ……やめておくよ。君に抱きしめてもらうのはご褒美にとっておきたい」


 変わった人だと思ってたけど、ひときわ様子がおかしい。

 今夜はお酒は飲んでいなかったし。


「あっ……わかりました。外が雨で剣を振れないから、どうかされてしまったんですね?」

「君は私をなんだとおもっているんだいリリア」

「違ったんですか?」

「残念がらないでくれないかな。私は見ての通り傷心の身なんだ」

「見ただけではわかりませんから、素直にお話しください。黙って聞いてあげるくらいはできますから」


 青年は「ありがとう」と、言ってから。


「雨の降る間、夜間はゲオルク殿のチェスのお相手をしていてね」

「お父様は強いですから。シルバーベルクで一番の腕前ですもの。それはもうコテンパンにやられてしまって落ち込んでいるんですね?」

「その方がいくらかマシだったよ」

「では、どうしたんですか?」


 夕食の席でお父様はいつも通りだった。外面モードのレオナルドも一見して変わった様子はなかったから、ケンカしたとも思えない。


 青年はあごに手を当てうなずいた。


「私はこの通り、外面良く生きてきた人間だ。自身を偽ってでも。上手く相手に合わせることで敵を作らない。それが処世術だった」

「私にはバラしてしまいましたけど」

「いいんだ。君はこの世でたった一人の共犯者なのだから」


 途中までならプロポーズ。自然体で言葉が出てくるのに、感心してしまう。


「お父様とチェスで何があったんですか?」

「良い勝負を演じてギリギリで負けるようにしたんだよ。もちろん、終盤に凡ミスするようなあからさまなことはしていない。いつも相手に気持ち良く勝たせてきた。絶対に気づかせない自信があったんだ」


 傲慢! 優秀な人ってなんでこうも、傲慢なのかしら。


「お相手に失礼です」

「まったくだ。父も兄もエドワードも、みんな喜んでくれるからね。男というのは勝ちたがる」

「レオナルド様は違うのですか?」

「誰よりも私が一番の勝ちたがりさ。最後に立っているのはこのレオナルド・ドレイク。だから、たかがゲームの勝敗には執着しないよ」

「お父様からは……なんと?」

「三日目のことだ」


 青年は真面目な顔つきで落ち込んだ。


「優しい嘘は時に人を傷つけてしまうものだ……とね。正面切って言われたよ」


 お父様らしい諭し方だった。

 金髪の美男子は枕を手にして自身の顔に押しつけるようにした。


「あああああああ! もう! 思い出すだけで私は恥ずかしい! 死にたいと生まれて初めて思ったよ! 完敗だ! チェスではなく人を見る目で父君の足下にも及ばなかった!」

「これも人生経験ですねレオナルド様」

「君ら親子は一番敵に回してはいけないかもしれないね」

「ええ、そうですよ。良かったですね味方で」


 枕を顔から外した青年の顔は、本当に赤かった。

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