7.市場へ買い物に
午前中に書類関係の仕事が片付いた。けど、最近多くなってきてるかも。
教会からの裁判記録に目を通す。特に問題無し。
税収の報告書も確認。こちらはお父様の古くからの知り合いの、税務官の方が取り仕切っている。
どちらの仕事ぶりもレオナルドから「公平で公正なものだよ。賄賂が横行する王都と比べれば山の湧き水のようだね」とお墨付きをもらえた。
日に日に回ってくる書類の束が分厚くなってきている。レオナルドがいてくれて助かったけど、このままだと隠居してもらったお父様に、お仕事をお願いしなきゃいけないかもしれない。
ああもう、書類書類書類書類。
各商会からの請願書や、領民からの嘆願書。牧場に狼が出たなんていう報告まで。
加えて、町に人の流入が増えてるみたい。
それもこれも、ニシンの好景気に引きつけられたらしいけど、シルバーベルクにやってきて仕事にあぶれるなんて話も出始めてる。
レオナルドは「まとまった資金があれば仕事を生み出せるんだが……財務状況的には難しいかな」と、困り顔だった。
予備の執務机に頬杖をついて、青年は青い瞳で書類とにらめっこしたまま。
「王都から流れてきてる人たちが、このままだと難民になるね」
「門戸を閉じろ……と?」
「君はどうしたいかな」
「救ってあげたいという気持ちはあります。けど、手を差し伸べて、これまでシルバーベルクを支えてきた領民たちと共倒れになっては困ります」
「現実的だ。ただ、検問を敷いたところでどこからか入り込んでしまうものだよ。王都の連中もそれがわかっているんだろうね」
エドワードが無能だから、逃げ出す人々が出始めてる。それが結果的に、シルバーベルクに流れ込んで、器から溢れそうな気配がある。
外から人が入ってくると、これまで暮らしていた人々と摩擦が起こるし、仕事がないと悪事に手を染めて治安悪化の負のスパイラル。
時が解決してくれるどころか、時間との戦いになりそう。
レオナルドがニッコリ微笑む。
「本当にバカどもめ。エドワードは無能だな。わざわざ労働力をこちらによこしてくれるのだから」
「レオナルド様。先ほどおっしゃった通り、いくら人が来ても仕事も衣食住も用意できないのが現状です」
「農地が今の倍になったらどうだい?」
「はい?」
「手つかずの荒れ地が町の東にあるだろう? あそこをジャガイモ畑にしようじゃないか」
「荒れ地が荒れ地なのには理由があります」
「灌漑さえできればね。人と金さえ積めば、ミラディス川の支流から用水路を引くのは現実的だ」
町の視察どころか、レオナルドは荒れ地と川まで見てきたのかしら?
「そんな莫大な費用がかかる公共事業ができるほど、当家にお金はありません」
ニシンの加工場と流通経路を作るのに、お父様は今までため込んできたお金を使い切ってしまった。
投資した分の回収には時間がかかる。
「まとまった金がぽんっと湧いてくればいいのにね。おっと、ドレイク家は領地軍の維持費だけで火の車だから期待はしないでほしい。なので商人たちの投資を呼び込みたいんだが……そうだ! この屋敷を担保にしてみてはどうだろうか?」
大真面目にレオナルドは言う。それくらい、今の状況が続くのは危ないのかもしれない。
このままだと国王軍の襲来に備える前に、人の流入を支えきれなくなってシルバーベルク領が内紛状態になるかも。
「当家の屋敷一つで大規模農地改革のお金を出してくれる、奇特な豪商がいれば是非喜んで」
「これは手厳しい」
「いえ、わかっていますレオナルド様。このままだと本当にピンチ……なのですよね?」
「ああ、まったくだ。だから私も最終的には門戸を閉じることは選択肢のひとつに入れるべきだと思うよ。延命にはなるからね。それでも……治安が悪くなるかもしれない。今日は領地軍の練兵を視察に行くんだけど、君はどうだい? 雑務はまだかかりそうかな?」
実は――
レオナルドに黒獅子の刺繍をプレゼントしようと思ったら、黒の刺繍糸をちょうど切らしてしまっていた。
こんなことをしている場合ではないのかもしれないけれど。約束したのだし。
今日は空いた時間に市場で買ってくるつもりだった。彼が視察に行く練兵場は町の反対側だ。
「はい。もう少しかかりそうで」
「そうか……あまり独りで無理はしないで、相談事があれば私やゲオルク殿を頼るんだよリリア」
普通に心配された。
……。
ちょっと、嬉しい……かも。
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市場に向かう。目指すは雑貨市だ。王都には専門店があったけど、シルバーベルク領には刺繍の品だけを扱う店はない。
なので海運船に乗って流れてくる行商人たちから、買い求めることにしていた。掘り出し物と運命の出会いがあることも少なくないから。
すると――
「さあさあいらっしゃい! セリア王国から遠い遠い東の果て! ガーディアナ王国とインペリオン帝国のさらに向こうから渡ってきた特級シルク糸はいかがかな!?」
太くて通る声の行商人に町の人々が足を止める。恰幅の良い、年の頃は三十半ばといった男だ。
どことなく熊っぽくて、商人は格好ばかりで斧を持てば木こりか山賊にでもなりそうな雰囲気だ。
「色だって勢揃い! 赤青黄色に緑に紫! 見てくれないかいこの光沢を! 王都の織物組合で特級品の鑑定済み! さあ! 王室御用達の品質を特別にご奉仕価格で提供するよ!」
商人の顔より品物を見る方が早いかもしれない。
男の前に進み出る。
「あの、黒い糸はありますか?」
「お目が高いねお嬢さん! ちょっと待ってくれ。モノさえ見てもらえれば必ず気に入るから」
男は木箱から黒糸の巻かれた糸巻きを取り出した。
黒染めされた絹糸は確かに綺麗だったけど――
王室御用達品質は誇張だと思う。
「見せてもらえます?」
「なんだいお嬢さん? ほら、こうやって見せてるだろ?」
「糸巻きから外して見たいんです」
「んなことせんでも、ほらお墨付きの鑑定書があるんだ! それともなにかい? うちの商品に何か文句でもあるってのかい?」
何がどうとはいえないけれど。
雰囲気としか。
男の目つきが変わった。
「おう嬢ちゃん。いちゃもんつけて営業妨害しようってか?」
「そんなつもりはありません……けど」
「けどなんだぁ!? こっちにゃ王都の織物組合が発行した鑑定書があるんだぞ!?」
まるで恫喝だ。
人が集まりだした。騒ぎを聞きつけたのもあるけど、たぶん……半分以上が私を見ている。
「あれ、リリア様じゃないか?」
「こんなところに? マジかよ? 護衛もつけないなんて」
「相変わらずお美しいですな」
「なんだあの商人は。リリア様を知らないのか」
目立ってしまった。行商人とトラブルなんて、領主として恥ずかしい。
怒りだした行商人は、町の人たちのヒソヒソ声なんて耳に入ってないらしく。
「名誉毀損だ! 訴えてやる!」
本当に商人なのかしら?
男の腕が突然、私の胸ぐらを掴みに伸びる。あっ……と、思った瞬間――
私の前に人影が割り込んで、行商人の腕を払った。
「すみません。ぼくにも品物を見せてもらえませんか?」
「なんだガキ! そこをどけ!」
身なりの良い青年だった。背は私よりも頭一つ高い。立派な体格のレオナルドよりかは、いくらか華奢にも見える。
アッシュグレイの髪を揺らして彼が振り返る。
黒縁メガネの奥に、人なつっこそうな丸い灰色の瞳がじっと私を見つめた。
どこかで……会ったことがあるような……ないような。
「あなたから見て、なにか商品に違和感があったんですか?」
「ええと、うまく言葉にできないのだけど」
熊商人が吠えた。手にした書類をメガネの青年に突きつける。
「何が違和感だ! こっちにゃ鑑定書があるんだよ!」
鑑定書を青年はパッとかっさらい、文字列を一瞥した。
「あーはいはい。なるほど」
「お、おいテメェ! 勝手になにしやがる! 返せ!」
ほんの数秒、紙面を読むというより見ただけでメガネの青年は断言した。
「この鑑定書、偽物です」