6.まるで白ワインのように
午後の休憩を挟んで、その日のうちに刺繍が縫い上がる。
久しぶりだったけど、それなりに上手く出来上がった。楽しい時間はあっという間で、もう外は暗い。
「楽しかった……けど、なんだか物足りないかも」
いつもの金鹿の刺繍だけど、どことなく自信なさげなシルエット。
込める気持ちの置き所が見つからないと、こういった迷いが見えてしまう。
贈るのには不適切かも。自分で使う用にとっておこう。
「やっぱり……誰かを思って縫わないと決まらないのかも」
エドワードにもっていかれたあの金鹿は、誰のためと決めたものじゃなかった。
ただ、自分の中に湧き上がった「素敵な人」を思い浮かべて作ったもの……恋に憧れた女の子が、架空の王子様にプレゼントするために縫った練習のつもりだった。
だからエドワードが欲しがった時に、あげてしまった。
結構、強力な想いが込められてしまっていたと知らずに。
シルバーベルク領に帰ってきてすぐに縫った金鹿は、お父様への感謝の気持ちを縫い込んだ。
それに比べて、今日の金鹿はやっぱり自信というか、なにかが欠けてる気がする。
「別のモチーフがいいのかしら?」
誰もいない部屋でぽつり。暗い窓の外を金色の光がふわっと通った気がした。
窓を開けて外を見る。蛍の季節じゃない。それに大きさからして、夢の中で見た妖精スティッチリンくらいはあったと思う。
外に頭を出してきょろきょろ見ていると――
下から声がした。
「やあ! リリア! わざわざ窓を開けて出迎えてくれたのかい?」
金髪碧眼の美男子が馬上で私に手を振った。何か包みのようなものを鞍の後ろに下げている。
「ち、違います! 空気の入れ換えです!」
「夜風は身体に毒だというし、ほどほどにしておきたまえ」
「もう!」
バンッと音を立てて私は窓を閉じるとカーテンで身を隠した。
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夕食をお父様と三人で囲む。
今日の視察の報告も兼ねて、レオナルドは話し始めた。お父様は「そんな細かいところまでよくご覧になられて」と、公爵子息にすっかりほだされてしまった。
外面仮面はさぞ気分が良いでしょうね。悪人とは言わないけれど、本性を知っている私からすれば、ずっとお尻のあたりがムズムズする好青年っぷりだ。
領民ウケを狙ってか、レオナルドは公爵子息の身でありながら畑仕事の手伝いまでしたらしい。
普段から剣を振るっているから、鍬もこなれたものだという。お礼に野菜を鞍に積んで帰ってきたのだから、農家の印象は推して知るべし。
いただいた野菜でマーサは一品増やしてしまった。「さすがレオナルド様ですね! お嬢様もそう思いません?」って、もう。本当にもうっ!
みんな彼を褒めすぎだし、言われたレオナルドも「とんでもないです」って、猫を被るんだもの。
敵を作らず波風を立てない、まるで鏡の湖面みたいな人。私もグロワールリュンヌ学園にいた頃から、この人の外面にずっと騙されていたんだと思うと、家族がやられっぱなしなのがそれはもう、恥ずかしい。
共感性羞恥というものなのかもしれない。
内心、まいってしまっている私を尻目に――
男二人、楽しげにワインまで開けていた。レオナルドは「ご相伴にあずかります」と極めて低姿勢を崩さない。
お酒が入ってお父様もすっかり気を良くしてしまった。
「リリアも飲まないかい?」
「私は苦手ですから。お父様、少しペースが早いです」
「ああ、そうだったね。しかしレオナルド卿のお口に合うか不安でしたが、気に入っていただけてなによりです」
シルバーベルク領は冷涼な気候から、リースリングという土地に合わせた葡萄を栽培している。白ワインは特産品の一つだった。
レオナルドは涼しい顔でワインを嗜む。グラスを手にする姿がまた、堂に入っていて絵画みたい。
「実にいいですよゲオルク様。透明感と優美さが素晴らしい。かといって浄化されたような味気なさではなく、上品でしとやか。まるでリリアのようだ」
「はっはっは! リリア! 良かったな! おまえは上品でしとやかで優美だと、お墨付きをいただいたぞ!」
だめだお父様完全に酔っ払ってる。けど、こんなに楽しそうなの、お母様が存命だった頃以来かも。
私には出来なかった、お父様を楽しませることをレオナルドはやってのけた。
やっぱりちょっと、腹立たしい。なにがって、それが偽りの外面だということと……いともたやすくやってのけてしまう有能さが……だ。
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食後にレオナルドは屋敷の庭に出て、剣を振るう。
月明かりの元、毎晩素振りを欠かさなかった。
今夜はなんとなく、彼の訓練を見に外に出てしまった。
上着を脱いで上半身裸。汗を掻きながら、熱心に剣を振る。
鍛え上げられた男の人の肉体に、ちょっとドキドキしてしまう。
「な、なんで脱ぐんです?」
「上着が汗を吸ってしまうからね」
「タオル……使ってください。夜風は身体に悪いのでしょう? 冷えてしまいます」
レオナルドは剣を鞘に収めると、私の手からふわふわなタオルを受け取った。
「ありがとうリリア。嬉しいよ」
「別に感謝されるようなことはしていません。それに……お酒を飲んでいるのだし、今日はほどほどになさった方がいいんじゃないですか?」
「そうだね。身体のほてりもおさまったし、ちょうど酔い覚ましになったよ」
汗を拭う青年に私は――
「今度、ハンカチをプレゼントしますね」
「ハンカチ?」
「ええ。別にかさばるものでもありませんし、視察で遠乗りをして汗も掻かれるでしょうから」
「それはありがたい! けど、今度といわず今くれてもいいじゃないか?」
「せっかくですから、刺繍の一つも入れてさしあげようと思って。私の得意といえば、縫い物ですから」
「おお! それは楽しみだ」
心から嬉しそうに美男子は目を細めた。
レオナルドには刺繍の力のことはまだ話していない。エドワードの幸運のことも、私が近くにいたからだと思ってるみたいだし、案外気づかれないかも。
「そこでどういった柄がいいか、教えていただけませんか?」
「柄か……生憎、そういったことに私は頓着が無いので……」
珍しくレオナルドが困り顔になった。やった。なんだか初めて一本取った気がする。
「でしたら家紋の竜はいかがでしょう?」
青年は顎に手をあて、少しだけ考え込むと。
「獅子がいい」
「獅子ですか? 竜ではなくて?」
「家の名の私ではなく、私は私の名で呼ばれたいんだ。だから獅子の刺繍をお願いするよ」
「わかりました。色はやはり金がよろしいかしら?」
「黒だ」
「黒……ですか?」
「私の腹黒さは君も知るところだろう。二人だけの秘密さ」
悪戯っぽくレオナルドは微笑んだ。少しだけ子供っぽく見えた。
「わかりました。そのようにいたしますね」
「なんだか元気が溢れてきたよ。今日の可処分な勤勉さを使い切ったと思っていたんだけどね。もう少しだけ剣を振るうことにする。君は……」
付き合わせては悪いと言いたげだ。
「タオル預かりますね」
「ああ、ありがとう」
青年からタオルを受け取った。
少ししめって重くなったそれを手に、素振りをするレオナルドを少しの間、見守りながら私は刺繍の構図を頭の中であれこれパズルしていった。
本当に、何をしても絵になるんだな、この人って。
……。
タオルから彼の匂いを感じて、ちょっと……ドキドキした。