5.外面王子の実力
レオナルドは最初、仕事のやり方をしょっちゅう私に訊きにきた。
親犬の後ろをついて回る仔犬みたいに。
間違ったやり方で勝手に進められても困るので、一つ一つ丁寧に教える。外面モードの彼はとても優秀で、あっという間に事務仕事でもなんでも覚えてしまった。
たった三日で、私の業務を全部任せられるようになって……ちょっと……ううん、大分腹立たしい。
私がお父様に教えてもらって一年かかったことを、レオナルドはもうできてしまうんだもの。
能ある鷹が爪を隠していたのかしら。あんなに何度も聞きに来ていたのも、本当は教えられなくてもできるのを、ごまかしていたんじゃないかとさえ思う。
嫌味な人。だけど、今まで見てきたどの男の人よりも頼りになった。
もちろんお父様は別格だけど。
レオナルド・ドレイクはとっても有能。
だから――
私は彼を利用することにした。共闘すると決めたのだし、刺繍の力に頼るのにも迷っていたけど、背に腹は代えられない。
もし秘密がバレたとしても、私たちは共犯者。
彼も「だらしない」という秘密を私に打ち明けたのだから、おあいこよね。
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本来なら午後までかかる書類仕事をレオナルドと分担すると、昼前には終わってしまった。
公務室の予備の机についた青年が両腕をあげて背筋を伸ばす。
窓の外に視線を向けて、目を糸にすると猫みたいにあくびを一つ。
「分業もこなれてきたね。私たちは案外、相性がいいのかもしれない」
「レオナルド様の飲み込みが早いだけです」
「お褒めにあずかり光栄の至り。ずっと書類とにらめっこをして、すっかり肩が凝ってしまったよ。昼食のあと、午後からは領内を視察に行かないかい?」
「視察ですか?」
「領民たちも君の顔を見れば、きっと喜ぶだろう。まだ町も案内してもらっていないしね。郊外の農地や牧草地も見ておきたい。馬を出そう。乗馬はできるかい?」
「苦手です」
「だったら私の鞍の後ろに乗るといい」
「そ、それって……あの……」
まるでデートみたいだ。少し、憧れていた。エドワードは自分で馬に乗ることなんてなかったから、お父様以外の男性の後ろは初めてだった。
「今日は天気も快晴だ。きっと風が気持ちいいよ」
「りょ、領民に噂になってしまいます。レオナルド様にご迷惑をかけてしまいます」
席を立つとわざわざ私の執務机にやってきて、椅子の脇で青年は膝を突いた。
「私は迷惑だなんて思わない」
そっと私の手をとる。
「レオナルド様……」
胸が高鳴なるのを、ぐっと押し殺してこらえる。
本当に、顔の作りだけでもいいものだから、あの怠惰を知らなかったら今頃、異性として意識してしまっていたかもしれない。
青年が優しく続けた。
「シルバーベルク家とドレイク家が友好関係にあると、領民に広く喧伝できるからね。もちろんエドワードたちに遠慮はいらない。私が一言『リリアの心を開くための作戦です』とでも言えばいいのだから」
むかっとした。結局、そういった駆け引きのための申し出なのだ。
「お誘いは嬉しいのですが、空き時間に少しやっておきたい雑務があるのでご遠慮いたしますね」
「おや、つれないな」
言うとレオナルドはスッと立ち上がった。
「では、私一人で領内を見て回らせてもらうよ。さて、今日の昼食はなにかな。この屋敷に来てからずっと、食事の時間が楽しみで仕方ない」
特にがっかりすることもなく、青年は先に執務室を出た。断っておいて言えたぎりでもないけど、少しは落胆してくれても……と思う。
背中に向かって心の中であっかんべーをする。
レオナルドには色々と助けてもらっているはずなのに、私はどうしても素直になれなかった。
心のどこかで針の妖精がツンツンと、私の柔らかいところをつっつくのだ。
誰かを心から愛すると、刺繍の力を失ってしまうよ? と。
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お父様を交えて三人で食事を済ませると、レオナルドは宣言通り、領内視察に出た。
護衛もつけずに一人で危険では? と、考え直させようとしたけれど「君が来てくれないから一人で行くんじゃないか。それに私とてドレイク家の人間さ」と、青年は笑顔で腰の剣の柄を軽く叩いてみせた。
思い出してみれば彼は、グロワールリュンヌ学園の剣術大会で毎回表彰台にあがっていたっけ。
必ず二位。いつもエドワードに一位を譲っていたから、誰の注目も浴びなかった。
エドワードは私と出会う前から一位だったけど、あれは対戦相手を権力で萎縮させて勝利してきただけなんだと思う。
トーナメント表も、いつも二人は正反対のブロックになっていた。
強い人は、みんなレオナルドの山にいたんだと、今になって気づく。
ぼーっとしていると食器を片付けにマーサさんがやってきた。
「あらお嬢様はご一緒に視察はなさらないんです?」
「え、ええ。少しやっておきたいことがあって」
「レオナルド様を案内して差し上げればよろしいのに」
もったいない。と、言わんばかりだ。
「いいの! マーサさんは気にしなくても!」
「お嬢様、最近とっても楽しそうでマーサは嬉しいです」
「そんな風に見えるのかしら?」
「ええ、とっても。レオナルド様がいらっしゃってから、活き活きしてみえますよ」
なんだか恥ずかしくなってくる。
「気のせいです」
「マーサはレオナルド様がとっても素敵な方で、お嬢様にもぴったりだと思いますけどね」
「私の身の丈にあわない方ですから!」
「お似合いだと思うのに。レオナルド様ってとってもお優しいし。いつも食事のあとで、こっそり厨房まで訪ねてくださって、料理の味を褒めていただけるんですよ? ニシン料理のレパートリーをすべて召し上がってみたいだなんて」
あらあらやだやだと、マーサさんはほっぺたを両手で包んで身をよじらせた。
本性を知らないって怖い。
「レオナルド様は良い人ですけれど……」
「あの方に見つめられるだけで胸がときめいてしまいます。マーサがあと十年……いいえ二十年若ければアタックしていたところです♪ 身分違いの恋だとしても」
完全にマーサさんはレオナルドの外面にお熱っぽい。
「あんまり入れ込んではいけないですよマーサさん」
「わ、わかっております。お二人のお邪魔はしませんから。それでは片付けてしまいますね。お嬢様は本日、屋敷にいらっしゃるのでしたら、午後三時にお茶をご用意しましょうか?」
「ありがとうマーサさん。いただくわ」
「お部屋にお持ちいたしますね」
食器類を片付けて、ルンルンとマーサさんは厨房に戻っていった。
私は屋敷二階の自室に戻る。ずっと忙しくて、しばらく開くこともできなかった裁縫箱を取り出すと、久しぶりに刺繍をする。
今日はリハビリも兼ねて練習だ。とりあえず、金鹿をハンカチに縫うことにした。