44.逃避への誘い
ギャレットが手を差し伸べる。
「まずは隠れてやり過ごし、若の消息を掴んで機会を待ちましょう。大法廷に立つのは有罪率100%の死神ヴィクトルと聞きます。冷酷無比な男と噂です。出廷は死を意味します」
「意外と話のわかる方でしたよ」
「――ッ!?」
大きな身体がビクンと跳ねた。
「そんなに驚くことかしら?」
「……いえ……人の心を開くことに長けたリリア様でしたら、あり得ない話ではありませんが」
なんだかペテン師みたいに言われてないかしら?
「ともかく、私は丁重に扱ってもらえています。もし、ここで逃げ出せばそれを理由に、エドワード王がシルバーベルク家をお取り潰しにするなんてことも、言い出しかねません」
「ですが……」
私は筆記机の小型魔力灯を点けると、筆記机においたままの銀大熊の刺繍入りワッペンを手にして護衛騎士に見せた。
「ほら、刺繍だって自由にできるのですから」
「それは……まさか……自分でしょうか?」
「お目が高いわね。アルヴィン君にも手紙に同封して送ったところだし、貴男にも用意しておいたの。まさか取りに来てくれるとは思わなかったわ」
差し出すとギャレットは受け取ってじっと熊の姿を見つめた。
「ありがたく……拝領いたします」
言葉数は少ないけど、喜んでもらえたかしら。
「……リリア様。ご指示をいただけないでしょうか」
「そうね。私は今、こうして動けないわ。レオナルド様の動向が気になるのだけど審問官も掴んでいないみたいなの」
「……なるほど。若が本気になれば足跡をぼやかすくらいは、たやすいでしょう。自分も居場所を掴めずにおりました」
そっか、やっぱりレオナルドが私に連絡をくれないのって、そこから自分の居場所とかをたどられないようにするためなのね。
「王都にはレオナルド様のお仲間がいるとうかがいました。ギャレットはそちらと合流して、あの方の力になってあげてください。今の貴男でしたら、きっと彼を見つけることができるから」
「今の……自分にならですか? なにも変わらないと思うのですが」
「諦めないで。私が見つかると言ったら見つかるの」
銀大熊がきっと導いてくれるはず。
「……承知しました」
大男がゆっくり立ち上がった。
どことなくギャレットは不安そう。
「大丈夫よ。私は魔女ではないのだし、悪いことだってしていないわ」
「……エドワード王は白を黒にしてしまう。どうか油断はなさらぬように」
「ええ。もちろんよ」
と、言ってはみたものの。
今は待つことしかできない。こういう時に下手に動いて状況を悪くするのはだめ。
レオナルドのことだもの。きっと何かを企んでいるはず。
外面の良い黒獅子様を信じることができるのは……さんざん、あの人の有能さを見せつけられたからね。
一礼するギャレットに伝えた。
「レオナルド様によろしくね」
「……他に何かお伝えすることはありますでしょうか?」
「信じて待ちますとだけ」
「……御意に」
巨体が影に紛れて夜の闇に消えた。
部屋を出て廊下に立っているはずの警備兵を探すと。
座り込み壁に背を預けてぐったりしていた。
「あら、気絶してますのね。しっかりなさって」
肩を揺すって起こしてみる。
「うっ……あれ? これはリリア様。あの……今、私は……」
「疲れていたみたいね。眠気でふらっとなったところで、壁に頭を打って気絶してしまったのかも。誰か他の見張りの方と交替してもらったらいいんじゃないかしら」
「あ、ありがとうございます! いや、助かりました。こんなことを言うべきではないのですが、意識を失っている間に逃げないでいてくださって」
「私は魔女ではないのだから、逃げも隠れもしません」
「そ、そうですよね! 俺もリリア様は魔女じゃないって思います! 大法廷で進言してもいいですよ! では、交代要員を呼んできます!」
衛兵はビシッと敬礼すると一階に降りていった。
ふぅ……ギャレットが侵入したのは、バレてなさそうね。
それに私が逃げたら、逃がした責任をとらされる人もいるのだし。
あとは――
「私の刺繍の出来次第ね」
安心したら大きなあくびが出た。
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夢の中の森にエプロン姿の鹿の妖精が浮かぶ。背中の蝶の羽でふわりと宙返りすると、私の顔の前でぴたりと止まった。
「やあリリアちゃん。ついにやったね」
「ついにってなにかしら?」
「キミを救う聖獣が揃ったみたいだよ。金鹿! 黒獅子! 水色兎! 緑妖精犬! 銀大熊! キミの創造性が生み出した最強の布陣が完成したんだ」
「完成というか、結果的にそうなってしまっただけよ」
縫い針を剣のようにして、スティッチリンは見えない敵と戦い始めた。
「さあ、決闘の幕が上がるよ! キミの勝利を祈っているからね!」
「ありがとうスティッチリン」
剣を収めて妖精が寂しげに私を見つめた。
「また……会えるよねリリアちゃん?」
「当たり前じゃない。落ち着いたら刺繍をする時間だってできるでしょうし、貴男がびっくりするくらい、素敵な作品が出来るかもしれないでしょう?」
「うん……うんうんうん! そうだねリリアちゃん!!」
もう会えないみたいな言い方をして、変なスティッチリン。
夢の中の森は間もなく白んでいった。




