43.刺繍をふたつ
一階の書庫の蔵書には歴史書や技術書の他に、魔女に関する資料や法律書が並んでいた。
物語の本もいくつかあって、それを読んでいたらもう夕方……なんて日も。
今が人生で一番静かな日々。
魔女には退屈かもしれないけれど、私には十分すぎる。
不思議な幻獣たちが出てくる物語を読んで、天啓が降りてきた。
このまま魔女として処刑なんてされたくもないし、される気もない。
けど、どうなるかわからないものね。二人にも何か、形のあるものを残したい。
私を助けてくれようとしているアルヴィン。
誰にも何も言わず身を隠したことで、教会の調査の目から逃れた護衛騎士ギャレット。
それぞれのイメージカラーはもう決まっていた。
自室に戻ってフェイリスから借りた裁縫箱を開く。
仕切り板の下段にずらりと揃ったカラフルな刺繍糸。
草原を駆け抜ける風のような緑色は、アルヴィンに。
鏡のように磨き上げられた甲冑を思わせる銀糸はギャレットに。
ずっと決まらなかったモチーフが、屋敷の蔵書を読むうちに自然と固まった。
元気に走り回る仔犬のイメージはそのままに、額に真っ赤なルビーを宿した幻獣カーバンクル。
それがアルヴィンにはぴったりに思えた。
ギャレットはわりとそのまんま。力強い巨体を誇る大熊だ。
スケッチを仕上げると、それぞれにどういう形で贈るか考える。
お父様とレオナルドにはハンカチだった。
フェイリスには彼女の白いストール。
「……アルヴィン君は布製の栞がいいかも。本、読むの好きみたいだし」
グロワールリュンヌ学園の頃から、メガネ君はいつも何かしら小脇に本を抱えていた。
「ギャレットにはそうね……領主として勲章を贈呈してあげましょう」
布製なのは申し訳ないけど、ワッペンみたいなものがいいかも。
お世話をしてくれるメイドさんに、そういったものが手に入るか確認したところ「すぐにご用意いたしますお嬢様」ですって。
一応、領主をしているのだから、もうお嬢様は卒業したつもりでいたのにね。
お願いしたその日のうちに、使いたい道具や材料も一通り揃った。
「さて、始めますか」
すべてを忘れて刺繍に集中する。
一針一針、心を込めて縫い込んでいった。
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布製の栞に小さな身体を目一杯躍動させる緑の毛並みのカーバンクルが描かれた。
額の赤いルビーの色も、ばっちりね。動きのあるものが縫い上げられるか不安だったけど、精力的で活発なアルヴィンを思い浮かべたら想像以上の出来映えで、完成して大満足ね。
フェイリスの水色兎と並べてもかわいいかも。
楯の形のワッペンには銀大熊の姿が浮かぶ。
仁王立ちする姿を模した、割とギャレットそのまんま。
本当は金や銀で飾った本物の勲章を授与したかったけど、今はこれが私の精一杯。
問題なのは、この銀大熊をどこに送ればいいのか……ね。
ギャレットの居場所がわからないのだもの。
それにカーバンクルの栞も、アルヴィンに送ってちゃんと届くかしら。
手紙については審問官のヴィクトルが中身を確認した上で、ちゃんと送り届けてくれたけど。
「ま、大丈夫よね。脱獄計画書ならダメだけど、ただの刺繍なんだし」
私はシルバーベルクにアルヴィン宛にカーバンクルの刺繍が入った布栞を送った。
前に欲しがっていた刺繍です。時間ができたので縫いました。と、一筆添えて。
喜んでくれると嬉しいし、幸運の力で私を救ってくれるならなお良しね。
打算的な自分って、もしかしたら自覚はないだけどやっぱり本当に、魔女だったりして。
もしアルヴィンに幸運が訪れすぎて世界が大変なことになっちゃったり、あまつさえ彼が幻影貿易連合の人間だったら……。
…………。
ま、いっか。そうなった時には、私が世紀の大魔女だったってことで。
それに、たぶんアルヴィンなら大丈夫。刺繍の加護で幸運を得たら、きっと正しくその力を使ってくれると思うから。
ということで、手紙と栞はもうアルヴィンに宛てて送ってしまったし、今更何を考えても仕方が無い。
問題は銀大熊の方。
教会の審問官が居場所を掴めてないのに、籠の中の私が騎士ギャレットの居場所を知る術なんてなかった。
今夜あたり妖精のスティッチリンと繋がるかもしれないし、相談してみようかしら。
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月も星も分厚い雲に覆われた暗い夜――
寝具に着替えてあとはベッドに横になるだけ。部屋の魔力灯を落としたところで……。
それは音も立てずに姿を現した。
ノックもせず、扉が開く。
「――ッ!?」
思わず悲鳴を上げそうになったところで、大きな影は人差し指を立てて口元に寄せる。
気づくのがあとコンマ数秒遅かったら、盛大に「きゃあああああああああ!」と絶叫していたかも。
赤毛に薄褐色肌の大男――護衛騎士ギャレットだった。
全身黒ずくめで闇に溶けるような身なりは、騎士の銀甲冑とは対照的。しずかに扉を閉める。歩く足音さえも立てずに、まるで忍び寄る影の如く私のもとにやってきて跪く。
「……助けが遅れた。すまない」
「ど、どうやってここまで? 部屋の前には見張りがいたはずです」
「近接格闘術の応用だ。少し眠ってもらった。ご安心を。誰も殺してはおりません」
「格闘術でどうにかなるものなのかしら」
「なるのです。さあ、ご準備を。ひとまずこの場から離れましょう」
赤い瞳がじっと私に訴える。
「一つだけ確認させてちょうだい」
「……なんでしょうか」
「これは……レオナルド様の手引きなのかしら?」
ギャレットが視線を下に逸らした。
「……いえ。若とは連絡が取れず、王都からシルバーベルクに戻られた様子も……」
「では、誰の差し金なの?」
「……自分の……独断によるものです」
「レオナルド様がいないと、ずいぶん思い切った行動に出るのね」
「……手を打たねばリリア様のお命が危ない。人は貴女が考えるほど良い者ばかりではないのです。たとえなんの罪がなくとも……人は人を貶めることができるのですから」
以前にギャレットの身の上話を聞かせてもらった時のことを思い出す。
孤児院で育った彼は、目の色や髪の色、肌の色の違いから周囲の無理解な人間たちに仲間はずれにされてきた。
それを我慢してきたけれど、いじめの対象が自分ではない誰かに向けられた時に、主犯のいじめっ子を殴り倒したのだっけ。
私を守るために、つい動いてしまったってことなのかも。勇み足。普通、単身で乗り込んでくるなんて考えないでしょう。まったくもう。
すごいのだけれど、誰かが手綱を引かないといけないタイプの人だったのかも。




