表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

37/51

37.幸運を呼ぶ刺繍の加護があらんことを

内容を精査→精査

ほか誤字脱字等をチェックしました

 白いストールの片隅に水色の小動物がちょこんと座る。


 愛らしい兎の刺繍が無事、完成した。瞳の色は明るいオレンジ色。今まで縫った中でも屈指のかわいさだ。


 うっ……ちょっと気に入っちゃったかも。渡したくないという気持ちが生まれるくらい、上手にできちゃった。


 午前の公務が始まる前に領主の執務室へ。仕事の準備を始めたフェイリスがいるはず。


 ノックして部屋に入ると。


「お姉様助けて!」


 いきなり妹ちゃんに抱きつかれた。


「ど、どうしたの突然?」

「わたくし……怖くて……」

「なにが怖いのよ?」

「エドワード王に、フロストヴェールの領地運営事業計画書を提出しなければいけませんの。これでノースゲートとも肩を並べる立派な運営ができると証明するために!」

「それは……大変ね」


 エドワードはバカに違いない。けど、きちんと教育を受けているから書類の数字くらいは読める。


 自分自身のことはかえりみないけど、他人に対しては厳しいことが言えてしまう人だった。


 不備があれば指摘して、いくらでも難癖をつけてくるかも。


 裏を返せば、完璧な書類を提出できれば、正統な婚約破棄の理由になる。


 国王の要請は「北方三領の安定」だもの。


 泣きじゃくったような赤い目でフェイリスが私をじっと見つめる。


「自信ありませんわ」

「だったらアルヴィン君に代筆を頼んでみたらどうかしら?」

「頼みました! けど、断られました! あの方は心にオーガを宿してますわ!」


 相当なスパルタっぷりを発揮してるみたい。意外だった。私の前では庭を駆け回る仔犬みたいなのに。


「私からも頼んでみようかしら?」

「うう……それもダメだとアルヴィン様には釘を刺されてますの」


 私が考えつくようなことは、彼も想定済みか。


「じゃあ、一緒に考えましょう。計画書」


 悲しげな顔で少女は首を左右に振る。


「わたくし独りの力で書き上げるようにと言われましたの」

「なるほどね。アルヴィン君は貴女に誰の力も借りず、自分の領地を守れるようになってほしいんだと思うわ」

「重々承知です! だから失敗できませんわ! なのに……わたくし……できるかどうか」


 落ち込むフェイリスを片腕でぎゅっと抱きしめてから。


「はい、これ。フェイリスが幸せになれるよう、おまじないをしながら刺繍したから、元気を出して」


 後ろ手に隠しておいたストールを彼女に手渡した。


 白い雪原の隅っこにちょこんと座る水色兎。

 妹ちゃんは目をハートマークにして釘付けだ。


「きゃああああああああああ! かわいいいいいいいいい! これ! このうさちゃんはもしかして、わたくしですか!? ですよね!? そうですわよね!!」

「え、ええ。気に入ってくれたみたいで嬉しいわ」

「一生大事にしますね! ううん! わたくしだけではもったいないですわ! フロストヴェール家の家宝にして、子々孫々代々延々綿々と受け継いでいきましてよ!!」

「そ、そうね。そのためにもお家断絶なんてことにならないように、書類をしっかり書きましょうね」

「お任せあれですわ! お姉様の愛が縫い込められたこの刺繍があれば、どんなにつらいことでも……何度心が折れようとも、必ず二度三度何度となく立ち上がって見せましてよ!」


 なんだかわからないけれど、ともかく元気になってくれてよかった……かな。



 覚悟が決まれば自覚が芽生える。

 なんてことがあったのか、フェイリスは領地運営の事業計画書を自力でまとめきった。


 読ませてもらったけど、初めて書いたとは思えないくらいしっかりしている。


 これも教育のたまものってやつね。


 アルヴィン君は「人を育てるのってやりがいがあって楽しいですねリリア先輩!」って、笑顔で言うけど、その裏でフェイリスがいっぱい泣かされたんだろうな……と、思うくらいには、本当によくできた書類だった。


 さらにレオナルドとアルヴィンが精査して、ぐうの音もでない内容に磨き上げたそれを、なんと黒獅子様が直接王都に届けることになった。


 ちょっと……ううん、かなり心配。


 まだ日が昇る前に、旅支度を済ませたレオナルドがフロストヴェールの屋敷の前庭に馬を引いてくる。


「お気をつけて」

「見送りありがとう。アルヴィンとフェイリスは連日、この書類を作るために徹夜続きだったろうし、寝かせておこう」


 二人は今、やっと久方ぶりの夢の中だ。


「そうですね。けど……レオナルド様だって毎日フロストヴェール領内を奔走なさっていらしたのに」

「馬で駆けるのは好きだからね。それに私ならノースゲート領からドレイク領に続く橋を無事に渡れるから」


 フロストヴェール領からノースゲートを経由しないで王都に行くには、山林を抜けてミラディス川の流れの穏やかな場所に出て、橋の無い大河を小舟で渡らなければいけない。


 馬と一緒となればなおさら難しい。


 街道を離れた山野は魔物も野盗も出る危険地帯だ。単身で踏破できるのは護衛騎士ギャレットくらいなもの……とは、黒獅子様の冗談だった。


 冗談じゃないかもしれないけど。


 ともかく――


 王都までの道のりは、正攻法の安全なルートを通るのが、もっとも早い。


 表向きはノースゲートも門を閉ざすようなことをしていないけど、仮にフロストヴェールから王都に使者を出した場合、ミラディス大橋で足止めされるかもしれない。


 無事通過できるのは、エドワード王に私の監視や説得を命じられたレオナルドだけ。


 王に報告の()()()という体裁を整えてのことだ。諸々、レオナルドが王都では上手く立ち回るというけれど……。


 頭では理解してる。きっと、大丈夫って。けど、それでもやっぱり……心配。


 レオナルドは私の頬をそっと撫でた。


「そんな悲しげな顔をしないでリリア。せっかくの美人が台無しだよ」

「わ、私はそんなに……美人だなんて……」

「栗色の髪も瞳の色も、顔立ちだって素敵さ」

「もう、こんな時に」


 青年は惜しむようにゆっくり手を離す。温もりが触れられた場所に残った。


「王都には私の配下もいる。エドワードの周辺の情報も持ち帰るよ。前から調べさせていたこともあるしね」

「そんなことよりも、貴男が無事に戻ってくれるだけで十分ですから……」

「もちろんさ。あとはエドワードに君のことも話さないとね」

「わ、私のことも!?」

「ああ。君を懐柔しつつあるから、あと一年ほど時間をかけたいとね。今、焦って事を起こせば今日までの説得がすべて水泡に帰す……と。もちろん、君と私が通じ合っていることなんて、愚王は気づかないだろうさ」

「一年……ですか?」

「なに、心配はいらないさ。一年後にまた引き延ばしをする。せっかく一年かけて土壌ができたのに、すべてひっくり返すんですか? とでも言えば、損をしたくない一心でエドワードは延期する。そういう男だ……ただ」


 レオナルドはあご先をそっと指で挟んで思考のポーズをとった。

 恐る恐る訊く。


「なにか気がかりなことでもあるのですか?」

「……あの男だけなら手玉にも取れるが、王妃シャーロットがね。幼い頃から親交があったわけでもなく、君が追放された夜、突然お披露目されたのだよ。正直、情報が足りない」

「レオナルド様にも知らないことってあるんですね」

「私をかいかぶりすぎだ。知らないからこそ、間者をシャーロットの故郷であるガーディアナ王国に潜り込ませている」


 王妃シャーロットはセリア王国の隣国、ガーディアナの姫君だった。

 政略結婚。両国が結ばれたことで、ガーディアナは後背を気にすることなく、国境線を接する異教徒の国家――インペリオン帝国と対峙できている。


 地政学的にみると、セリア王国にとってガーディアナは楯だ。

 青年は続けた。


「ともかく、この書類と私の弁舌があれば、フェイリスの婚約は白紙撤回になるだろう。大きな魚が小さな魚を丸呑みにすることはあっても、ほぼ同じ大きさの魚同士であれば、そうはならないのだからね」

「エドワード王は応じるのかしら?」

「可能な限り、シャーロット王妃のいないところで話を進めるよ。エドワードはポーカーが好きだ。男同士の勝負だと言えば、きっと乗ってくる。もちろん、接戦の末負けてやるさ。酒も入れば気持ち良く快諾するだろう」

「すごいですねレオナルド様って。このまま王位も手にしてしまいそう」

「君の心だけは奪うことができないけどね」

「……よしてください」

「冗談のつもりはないし、諦めてもいないさ。けど、ルール違反だったね。すまない。成し遂げるまで、胸に秘める約束だった」


 真顔で言われると、正直……困るし揺らいでしまう。


 レオナルドはハンカチを取り出した。


「君と離れていても、この刺繍がきっと私に幸運を運んでくれる。そうだろう?」

「え、ええ。そうですとも」


 え? もしかして……気づかれてるの!?


「では行ってくるよ! 私が帰るまで良い子にしているんだ」

「ご武運……ではないかもしれませんが、安全を祈願して待ってますねレオナルド様」


 馬のあぶみに足を掛け、颯爽と騎乗すると青年は朝陽とともに旅立った。


 結局、刺繍の秘密にレオナルドが気づいているのか確認できなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ