32.ノーマン・ノースゲート
誤字修正しました
安心しれ→安心して
ほか文章を微調整しました
ノーマンが私たちの対面――フェイリスの隣にどかっと座る。一人で二人分スペースを占有するようなだらしない座り方だ。
狸顔が私を鼻で笑う。
「だいたいリリアこそ何しに来たんだ? 行き遅れが!」
失礼な人。黙っていると、フェイリスとレオナルドの視線が鋭くノーマンを刺した。
無言の圧に伯爵子息が吠える。
「な、なんだよ! 事実を言ったまでじゃあないか! エドワード陛下に捨てられたんだろ? 夜会の場で盛大に! 王都じゃちょっとした伝説になってるんだぜ?」
思い出したくも無いことをぺらぺらべらべらと。何か言い返してやろうかと思ったところで。
黒獅子様が口を開いた。
「君はノースゲート伯爵家の嫡男だそうだね」
「そうだとも! オマエが誰かは知らないが、このボクチンより偉い人間なんて早々いないさ! なにせリリアの男爵家よりもフェイリスの子爵家よりもボクチンの伯爵家の方が格が上なんだから!」
むっふーと鼻息荒いノーマンに、レオナルドが頭を下げた。
「これは失礼いたしました」
「解ればよろしい」
「私はレオナルドと申します。後ろに控えるのは護衛騎士のギャレットです」
ギャレットが小さく会釈をするが、ノーマンは無視した。感じ悪い。
狸が私に向き直ると。
「最近、シルバーベルクは好景気みたいじゃないか? なんだっけ? ニシン? あれが大漁だってさ。そんなのただのラッキーだろ? 自分の実力でもないのに、あんまいい気になるなよ? 北方三領の盟主はこのノーマン・ノースゲートなんだからな!」
今はノースゲート伯爵……彼の父親が運営しているけど、ノーマンの代になったら一気に傾きそう。
私はにこやかに微笑む。頭にきた時こそ、不敵に笑うのは……レオナルドに似てきたからかしら。
「ええ、おかげさまで天の運に導かれて、領地経営も順調です」
「本当かぁ? 何かやったんじゃないかリリア?」
「何か……と、仰いますと?」
「おかしいじゃないか! 聞いた話じゃ都合良くオマエんとこにばっかり、良いことがあるなんてさ? エドワード王に振られた腹いせに、オマエ……悪魔と契約したんだろ? そうだそうに違いない!」
悪魔じゃないけど、ちょっとした妖精とならお付き合いがあるかも。
急に火が付いたみたいにノーマンは続けた。
「知ってるぞ! リリア! オマエの母親は魔女の国から来たって」
「どなたかしら? 私のお母様を魔女呼ばわりなんて、ひどいことを」
「なんちゃら聖王国とかいう、いかがわしい国の出身だろ? この前、王都の夜会でエドワード陛下がみんなに『シルバーベルクは魔女の家系』って言ってたからな! 夜会はいいぞ! もちろんボクチンも伯爵家の子息だからね! 呼ばれて当たり前なんだけど。おっとごめんごめん、リリアは追放されて王都には戻れないんだっけ?」
エドワード……本当に器の小さい人。
フロスティチア聖王国は遠く海の向こう。お母様が生まれた場所。美しいところで、刺繍を始め美術や芸術の盛んな国って、お父様は言っていた。
私に自覚はないけど、審美眼……かしら? 良いものを素直に良いと感じられる力は、お母様から受け継いだものだとも。
安い挑発には乗らないようにしないと。失言や揚げ足取りには、もううんざりだもの。
多分、ノーマンは私を怒らせてどうこうしたいというよりも、天然でやってそうだけど。
デリカシーという言葉が彼の辞書には無いみたい。
「穢れた血だから陛下に愛想を尽かされたんだよ!」
ギャハハと笑う狸の顔を――
フェイリスが突然、平手で思いっきり叩いた。
「わたくしのお姉様に失礼でしてよ!」
「い、痛ッ! 何するんだフェイリス! 未来の旦那様に向かって!!」
たるんだほっぺたを真っ赤にしてノーマンがヒステリックな声を上げた。
すっきりした。って、暴力はいけないわ。
ちょっと待って。
今、フェイリスって「わたくしの」って言わなかったかしら。
少女の琥珀色の瞳が狸を睨む。
「あなたなんかと結婚はしませんわ!」
「親同士が決めたことだぞ!? 約束を反故にするのか!!」
「その約束だって……無理矢理」
フェイリスの瞳に涙が浮かぶ。
ノーマンは腕組みして、二チャリと笑った。
「無理なもんか。これは国王陛下エドワード様からも祝福された婚約だからな! もし破棄しようというのなら、フロストヴェール家は逆賊だぞ! ギャハハ!」
バカ王が黒幕だった。
王都で私の悪い噂は広めるし、ノースゲート家に北方三領をまとめさせるために、フロストヴェール家と無理矢理くっつけようという腹づもり?
当主がノーマンになったら、もう無茶苦茶ね。
狸が私の顔を指さした。
「おっとリリア? ノースゲート家とフロストヴェール家が一つになった暁には、フロストヴェールからの岩塩の売買契約を見直させてもらうぞ!」
急に話が飛んだけど。
岩塩はニシンの塩漬けを作るのに重要な戦略資源。フロストヴェールの滋味たっぷりな良質な岩塩には、それに見合う適正な対価を支払っている。
「見直し……ですか?」
「そうだぞリリア。今の卸値は安すぎる。三倍に上げさせてもらうからな! いつニシンがいなくなるかもしれないし、今のうちにたっぷり稼ぎたいだろ? 利益を折半しようじゃないか」
要求しかしないわね。この男。
しかも国王が認めたことを楯にするなんて。虎の威を借る狸ってところかしら。
これではあまりにフェイリスが気の毒だった。
助けを求められた理由にも納得ね。
「折半ではなくそれでは搾取です。現状の価格設定が双方の利益が最大化する分水嶺ですから」
「知るか! 嫌なら他で調達するんだな! 輸送の手間と質を考えたら、うちから買うのが一番だろ? 今までついた客だって、ニシンの塩付けの味が落ちれば離れていくんじゃあないか?」
もうフロストヴェール領の領主気取り。
「でしたら新しい商品を開発するよりほか、ありませんね。私としては現状維持が望ましいのですけれど」
「つ、強がるのもそれくらいにしておけよ!」
「三倍はさすがにコストに見合いませんから、町の商会経由で他から塩を買い付けるか……あとはハーブやスパイスを使った新しい味を開拓するのもいいかもしれませんわね」
狸の顔が苦虫をかみつぶしたみたいになった。
「しょ、商会だってぇ?」
「ええ。王国内だけでなく、海外との商取引にも強い人材がおりますので、ご心配なさらず。ところで、当家との取り引きがなくなった際にフロストヴェール産の岩塩は、王宮が買い取ってくださるのかしら? 塩は生きていくには必須ですから、売れ残るようなことはないでしょうけど」
「う、ううっ……」
「商売とは相手があるのです。商談が成立しなかった場合にどうするのかも、ある程度考えておくものですよね?」
「うるさい! うるさいうるさいうるさいッ!! リリアのくせに生意気だぞ! 男爵家が伯爵家に口答えしようっていうのか!!」
一瞬――
後ろで壁……こと、ギャレットが動き出す鎧のカチャリという音がした。
ノーマンが私に手を上げようとしたのを、事前に察知したみたいに。
けど、それを止めたのは……レオナルドだった。
ソファーから腰を浮かして立ち上がったノーマンの前に、割り込むように立ち塞がる。
「ど、どけよ!」
「君は家の格というものを重んじるようだね」
「当たり前だろ! 上の者に下の者が従うから秩序が保たれるんだ!」
黒獅子様は穏やかな声で静かに告げた。
「私は必ずしもそうとは考えないのだが、この場は君に合わせよう」
「ならとっととそこをどけって!」
「そうはいかないんだノーマン。私とリリアはフェイリス嬢と商談をしにきたのでね。そろそろ席を外してもらえないだろうか?」
「商談だぁ? ボクチンの用事が最優先だろ! なぜならボクチンは伯爵家の子息だからな!」
得意げに胸を張るノーマンに。
「自己紹介が足りなかった。私はレオナルド・ドレイク。公爵家の人間だ。ところで伯爵家と公爵家では、君の基準だとどちらが上になるのだろうか?」
途端に狸の顔が青ざめた。
「ど、どどどドレイク公爵家!?」
「ミラディス川を境界線にしているが、当家とノースゲート家はお隣さんだね。これからは懇意にしていこうじゃないか」
「ひ、ひいいいい」
ノーマンは頭を抱えた。
「なんでリリアみたいな芋女と一緒に、王家の分家のドレイク家の御方がいるんですかぁ!?」
「人の縁とは不思議なものでね。さて、フェイリスと話をしたい。少し、込み入った内容もあるので、いいかなノーマン?」
「もももももちろんです! 失礼しましたぁ!!」
長いものに巻かれるのは得意みたいで、ノーマンは慌てて部屋から出ていこうとした。
短い手足をドタバタさせて、ドアの前で一度立ち止まってフェイリスをじっと睨む。
「いいか! 婚約の件だけは忘れるんじゃないぞ!!」
捨て台詞を吐いて、ようやく狸は尻尾を巻いて逃げていった。
フェイリスもレオナルドの正体に目を丸くする。が……。
「公爵子息様とはいえ……リリアお姉様を苦しめたエドワード王にも近しい御方……何をたくらんでお姉様に近づいたのかしら?」
「おっと、そんなに睨まないで欲しい」
「だ、だって……だってだってだって! おかしいではありませんか! リリアお姉様を憎んですらいるエドワード王の分家。ドレイク公爵家の方がシルバーベルク領から来るなんて!」
一転、今度はレオナルドとフェイリスが対立しちゃいそう。
安心してフェイリス。この黒獅子様もエドワードが嫌いで、なんなら廃して自分が王様になろうとしている、私たちの味方なの。
なんて言えるわけもなかった。だって、それは私とレオナルドだけの……大切な秘密なのだから。




