30.誘いの手紙
ある日の午後――
私宛に手紙が届いた。送り主はフェイリス・フロストヴェール。
セリア王国の辺境北方三領の一つで、シルバーベルクの南東にあるお隣さん。
当家が男爵で、フロストヴェールは子爵様なので格は上なんだけど、一人娘のフェイリスは私より四つ年下の、妹みたいな少女だった。
年齢が離れていることもあって、グロワールリュンヌ学園で一緒になることはなかった。
そういえば、私が進学する時に「お姉様と同じ歳に生まれなかったこの身を呪いますわ! いやいやいっちゃいや! いかないで! もしくはわたくしが入学するまで留年なさって!」って、ちょっと大げさなくらい泣いてたっけ。
思い出すと、自分じゃないのにあの泣きじゃくりっぷりに、なんだか恥ずかしくなる。
しばらく忙しいこともあって書簡のやりとりができていなかった。
そもそも私が卒業したあとに、フェイリスはグロワールリュンヌに入学したはずだから……今は王都にいる。
はずなのに、手紙はフロストヴェール領から送られたものだ。
この手紙……なにか変?
けどけど、封蝋にはしっかりとフロストヴェール子爵家の紋章が入っていた。
開封して便せんを取り出す。
そこには一行、達筆で。
『リリアお姉様助けに来てください!』
筆跡もリリアのものだ。
子供の頃から、彼女は小ガモみたいに私の後ろについてきて「お姉様! お姉様! 好き好き大好き世界一のお姉様!」と、追い回された。彼女が一方的に来るから、呼ばれるなんて珍しい。
かわいいけど、ちょっと大変な妹。
本当の姉というわけではないけれど……親戚みたいなものだし。
元々、シルバーベルク家、フロストヴェール家、それに加えてノースゲート家の三つの家は、祖先をたどれば北の英雄ヴァルキリオン・シルバーファングに連なっていた。
分家みたいなものだと、お父様が昔、話してくれたのを思い出す。
フロストヴェールは子爵でノースゲートは伯爵だから、男爵家のうちは末っ子みたいなものだった。
それにしても――
フェイリスったら、どうしてこんな手紙をよこしたのかしら。字の雰囲気は間違い無く、彼女のものだけど……。
確かめるには実際に、フロストヴェールに行くしかない。
談話室で手紙の紙面とにらめっこしていると、金髪碧眼の美男子がソファーの隣に自然体で座った。
「誰からの恋文かな?」
「私にラブレターを書く人なんていません」
「君は君自身を過小評価していると思うよ。許してくれるなら、私は毎日君に手紙を送るよ」
青年は大真面目な顔で言う。本当にやりかねない。
「恥ずかしいからやめてください」
「そうか、残念だな。それで、恋文でないならどういった手紙なんだい?」
「え、ええと……」
「リリアが困っているように見えたから、ついね。もちろん、差し障りなければでいいんだ。君は自力で問題を解決できる力を持っている」
それでも、手に余るようならと黒獅子様は笑顔を見せる。
秘密にすることでもないし、話さない方が彼を心配させてしまうかも。
「フロストヴェール子爵の令嬢……フェイリス・フロストヴェールからです。四つ年下の妹みたいな子なんです」
私は包み隠さず書面を見せた。それから、当家とフロストヴェール家の関係性や、本来ならフェイリスが王都の学園にいるはずのこと。
手紙の文字が彼女の筆跡で、封蝋もフロストヴェール家のもので間違い無いことも説明した。
「ずいぶんとシンプルな内容だね」
「だから困惑してしまって」
「あぶり出しや暗号の類いはないのかな? 二人だけの秘密の合い言葉とかは?」
「ありません」
「根掘り葉掘り訊いて申し訳ないが、君が困惑するということは過去の手紙とも違うのかな?」
「はい。あの子からの手紙は、最近何が好きとか、どんな本を読んだとか、日常のことをつらつらと」
レオナルドは紙面を手にして窓からの光に透かしてみる。特にかわった様子もなし。
「リリア。もしかしたら、急いでフェイリス嬢の元に向かった方がいいかもしれない」
「え!? ど、どうしてですか?」
「確証はないけどね。何も無ければ久しぶりに妹の顔を見られて良いし、助けて欲しいという内容が他愛ないものなら一安心だ」
それにしたって、ただ行くだけでいいのかしら。
「何で困っているか、どう困っているのか、手紙に書いてあれば対策や準備もできるのに」
「詳細が手紙に書けない状況と仮定したらどうかな?」
「詳細を……書けない?」
青年はスッと手紙を私に返す。
「問題について手紙に書いて、それがもしリリアの元に届かず、フェイリス嬢を悩ませる敵の手に渡った場合、この手紙そのものが証拠ないし、相手による脅迫の材料などになりえる場合だよ」
普段通りの涼しい顔で、黒獅子様は静かに告げる。たった一行見ただけで、書かれていないことをスラスラ読み解くなんて。
言われてしまうと、だんだんフェイリスが心配になってきた。
「私、フロストヴェールに行きます!」
「では私も準備をしよう。馬車では遅いかもしれない。馬にはもうなれたかいリリア?」
「もちろんです」
まだ自信はないけど。勢いで言っちゃった。
「ということだから、後のことは頼んだよアルヴィン」
談話室の出入り口に向けてレオナルドが言うと、ほんの少し空いていたドアがひとりでに開いた。
「そ、そんなぁ……ぼくにもおともさせてください!」
駆け寄るメガネ君の前に黒獅子様が立ち上がって割り入った。
「私とリリアが留守にしている間、書類仕事を安心して任せられるのは君だけだアルヴィン後輩」
「うっ……けど……」
「ゲオルク殿を支えて欲しい。頼む」
スッと頭を下げるレオナルドに、アルヴィンは「と、とととんでもないです! レオナルド様! 頭を上げてください!」と、タジタジだ。
家柄の力関係的にも、公爵子息にこうもお願いされたら断れないか。
本当にレオナルドって……ずるい。
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こうして、すぐに出発の準備をすることになった。
お父様にも念のため、フェイリスが危険かもしれないと話して、あとのことはお任せした。
お父様ったら涙目で「おお、リリア。無事に戻るんだよ」って、心配しすぎよ。
レオナルドが「必ずリリアをお守りすると約束いたします」って、もう。
毎回思うけど、私より身の危険があって大事になるのは、公爵子息様の方じゃない。
涙をこらえてアルヴィン君も「ちゃんと戻ってきてくださいね! お二人の分の事務仕事はきっちり残しておきますから!」だって。
黒獅子様の言葉をみんな真に受けすぎかも。きっと、大丈夫、よね? 心配で見に行ったらフェイリスは普通に元気で……って、ことで丸く収まってくれるはず。
みんなに見送られ、私とレオナルドは玄関から屋敷の外に出た。
「……若。どちらへ?」
私たちの前に赤髪の壁がそびえ立つ。
護衛騎士ギャレットその人だった。騎士鎧に身を包み、自分の馬と旅支度の用意が済んでいる。
レオナルドが小さく息を吐た。
「ちょっとした野暮用さ」
「……」
じーっと、大型犬っぽい瞳が心配そうに黒獅子様の顔をのぞき込む。
時間が無いこともあってか、レオナルドが一瞬で根負けした。
「あーもう、わかった。同行を許可する」
「……ふぅ」
ギャレットは小さく息を吐いた。その視線が私に向く。
「どうかご安心くださいリリア様。このギャレット・フォートレスが若ともども、お二人を何があってもお守りいたす所存」
「え、ええ。頼りにしていますね」
こうして、公爵子息と護衛騎士に挟まれて、領主になった私の初めての「外交」の旅が幕を開けた。




