3.公爵子息レオナルド・ドレイク
内密な話というので人払いをすると、レオナルドと部屋に二人になった。
青年はカップをソーサーに置く。
「ますます美しくなったねリリア」
「光栄ですレオナルド様」
「早く本題に入って欲しいといわんばかり。この先、交渉の席で毎回そのような顔をしていては、相手につけいられてしまうよ?」
私はどんな顔をしていたのだろう。さっそくペースをつかまれてしまった。
レオナルドは続けた。
「本当に誰も聞き耳を立てていないという前提で話をしてもいいかな?」
「当家の人間をお疑いになるのでしたら、私をドレイク領に呼びつければよかったのではありませんか?」
「おっと気づかなかった。次からはそうするとしよう。もちろん、君さえよければね」
ああ、なんでだろう。腹が立つ。何を考えているのかさっぱり読めない。
「御用件をうかがいます」
「ボロを出す前に単刀直入と来たか。あのバカよりも使えそうだ」
「はい?」
なに、この人。急に……えっと……なんなの?
「君も楽にするといいリリア。私の事はレオナルドで構わない」
「そうはまいりません。あの、急にどうなされたのでしょう?」
「外面を取り繕うのは肩が凝るんだ。本当はずっと家でゴロゴロしながら楽に暮らしていきたいよ」
靴を脱ぐ。靴下までもぽいっと脱ぎ捨てて、レオナルドは裸足でソファーに横になった。とても話し合いに来た人間の態度じゃない。
「ずいぶんおくつろぎあそばされますのね」
「ドレイク家の人間がいないからね」
「だ、だからって……」
「シルバーベルク領は良い。ここに来るまでに見てきただけだが、領民の表情が明るい。そこらの猫だって丸々していて毛艶もいい。なにより皆勤勉だ。一時的な好景気で浮ついていないのが、実に良い。リリアの父君は素晴らしいよ」
と、言いながら金髪碧眼はあくびをする。
「お褒めにあずかり光栄です」
「もうやめないか、そういう外面は。聞けばあのバカ……エドワードにお灸を据えたというじゃないか? かしこまった君よりも、そっちの君を見て見たい」
「私はこれが普通ですから」
やっぱり、エドワードの要求を突っぱねたことへの警告なのかしら。
「君は悪くない。あのバカ王が悪い。親戚として君の人生を振り回してしまった愚行を、代わってここにお詫びするよ」
寝転んだままのお詫びなんて、見たことも聞いたことも無い。
こんな人だなんて思わなかった。真面目が服を着て二足歩行しているとばかり……。
「レオナルド様。せめて寝転がるのはやめてください」
「しょうがないな。君のたっての頼みだ」
いそいそと青年は座り直した。
「靴を履かないのですか?」
「また寝転ぶのに邪魔だろう」
「……御用件は?」
「いいね。人間、諦めも肝心だよリリア」
馴れ馴れしいにもほどがある。
「さて、私が君に会いに来た理由は二つ。一つは君の説得をエドワードから依頼されたんだ」
「説得……ですか?」
「あいつ、昨日君に断られてすぐに、鳩を飛ばしてきてね。私は夜を駆ける強行軍だったよ。ミラディス川を越え、ノースゲート領とフロストヴェール領でそれぞれ馬を換えてね。だから少しくらい横になってもいいだろ? もう全身がバキバキと枯れ木のように音を立てっぱなしなんだ」
「すべてそちらの都合ではありませんか」
「これは手厳しい。ああ、そうだ君のベッドを貸してくれるかな? ソファーで語り合うよりも二人の距離が近づくんじゃないか?」
急に、な、何言い出すのこの人。顔がカーッと熱くなる。社交場でも学園でも、丁寧で人当たりが良かったのに、正体は遊び人だったのかもしれない。
「今のは聞かなかったことにします。レオナルド様がこんなにだらしない方だなんて、思いもしませんでした」
青年は後ろ手に髪を掻く。
「夜通し走ったんだから、今日使う勤勉さはもう出し切ってしまってね」
「御用件を」
「言ったろ。説得さ。エドワードは君に王都に戻ってきて欲しいそうだ。手元にさえ君がいれば、なにもしなくとも、あとはなんでも上手くいくというんだからね。まったく、頭がおかしいとしか思えない」
「はぁ」
ため息と相づちの混ざったものが口からこぼれた。
「だからとりあえず王都に戻ってくれないか?」
「お断りします」
「だろ? よし、義理は果たした。私だってそんなくだらないことのために、馬を飛ばして君に会いにはこないさ。本命は二つ目の目的……」
急にレオナルドの表情が冷たい氷のそれに変わる。
「リリア……一緒にセリア王家を打倒しないか?」
「は、はいぃ?」
声が裏返った。
「正確にはエドワードとシャーロットを王室から排除する。シャーロットの故郷ガーディアナ王国も黙らせて、私が王になる」
「あの、それはつまり……謀反を起こすということ……ですよね?」
「最終局面では挙兵もあり得るが、無血開城が望ましいね」
青い瞳は真剣だ。この人、本気で王家を打倒しようとしてるの?
「私は一地方領主に過ぎません。そのような大それた企み……持ちかけられても困ります」
「君にはなにか秘密がある。エドワードが調子に乗り始めたのは、グロワールリュンヌに在学中……君と出会った頃からだ。そして、あいつの不幸が始まったのは……あの日、君が社交界の連中の前に引っ張り出されて、大々的に婚約を破棄された瞬間からだと、私は考えている」
「ど、どうしてそんなふうに思うんです?」
青年はじーっと私の顔をのぞき込んで。
「ずっと君を見ていたからね」
ずっと……なんて、解釈を間違えてしまいそうな言い方しないでほしい。
刺繍の秘密は誰にも漏らしていない。知っているのはお父様と私だけ。
「偶然です」
「状況からして一目瞭然だと思うけどね。目の曇った連中は、当たり前の事実さえわざと見ないようにするんだ。自分の都合の良いように解釈をねじ曲げる。私には君が鍵だとしか思えない」
ま、まずい。どうしよう。刺繍の秘密に気づかれたら……。
蛇に睨まれた蛙の気持ちを押し殺し、私はこの青年に立ち向かうしかなかった。