25.黒獅子様からのお願いごと
「お願いだリリア。どうか、私の生涯一度の願いをきいてもらえないだろうか?」
金髪碧眼の美男子が、私の前で跪き頭を垂れた。
朝食後に談話室で小休憩しているところに、突然コレだ。
私はソファーにかけ直して背筋をただす。
「プロポーズでしたら、ロマンチックな夜がよろしいかと思います」
冗談に冗談で返したつもりが。
「それでは間に合わないんだリリア!」
顔を上げると黒獅子様は真剣な眼差しで、私をじっと見つめる。
端正な顔立ちに浮かぶ焦りのような感情に、どうしたのか訊ねたくなった。
「願いを叶えられるかはわかりませんけど、お話になってください。あと、せめて立ってください」
「うむ。お言葉に甘えるとしよう」
スッと起立して青年は歌劇団員のように両腕を広げた。
「君はクレープは好きだろうか」
「好きか嫌いかでいえば、好きですけど」
「よかった。もし嫌いだったらここですべてが終わっていたよ。実は領地軍の兵長から、町で噂の美味しいクレープ店の話を耳にしてね」
「殿方同士でも、スイーツのお話で盛り上がったりするのですね」
胸に手をあて青年は執事みたいに一礼した。
「君の好奇心をわずかでも満たせて光栄だよ。そこでお願いなのだが……」
「本当に『一生に一度きり』を使うんですか?」
「覚悟の上さ。そのまさかだよ。私は気になってしまってね。見てくれないか。目の下にくまがある」
かすかにだけど、たしかに。
「誰に遠慮なさらずとも、お召しあがりになればいいのに」
「それが……困った事に並ぶのだよ。大人気だからね」
最近は町も賑わうようになって、行列のできるお店というものがちらほらあるみたい。
「レオナルド様なら、少し言えば融通してもらえるんじゃありませんか?」
「それでは示しがつかないだろう」
「代わりに誰かを並ばせるのに、私が適任と?」
「ち、違う! いや、そうなんだがその……」
少し慌てて言い直し、余計に悪くしてからレオナルドは。
「ともに並んではくれないかな? 私一人では、待ち時間を持て余してしまう。外面を保てずに立ったまま居眠りをしてしまうかもしれない」
「午前中に溜まっている書類の整理をしないといけませんし」
「それなら昨夜のうちに私が片付けておいたよ。もちろん、アルヴィンの分は残してあるから安心して欲しい」
青年は胸を張る。なにやってるの、この人。目の下にくままで作って。
「クレープでしたら……」
作ってあげるのに。と、言いかけて呑み込んだ。お店で出せるようなものと比べられるのは、恥ずかしいし。
小さく咳払いを挟む。
「でしたら、お付き合いします」
「おお! ありがとうリリア。ではさっそく向かうとしよう」
「まだ朝も早いですし、お店は開いていないんじゃありませんか?」
「おっと。そうだな」
普段の外面モードなレオナルドは、落ち着いているのに今日はそわそわしていた。
「それにレオナルド様の姿を見たら、町の人たちはびっくりしちゃうかも」
「そうだろうか?」
「ええ。身なりからして。派手すぎますから」
普段から公爵家の一員らしく、品の良いコート姿もあって、百メートル先からでも貴族様だと誰にもわかってしまう。
そんな人が庶民の行列に並ぶのは、ちょっとした混乱を招きかねない。
青年は眉尻を下げて困り顔だ。
「これが一番地味なのだが」
「お父様の服をお借りしましょう。農作業用のものがあったと思うし。私も合わせますから」
と、いうわけで視察の名目で、町に町人としてお忍びで出かけることになりました。
お父様も服について快諾。「二人で出かけるのかいリリア?」と、なんだか嬉しそう。「ええ」と応えると「楽しんでくるといい」って、もう。
あくまで視察なのに。
レオナルドにお父様の作業着を渡し、こっちも公務用の服から地味目な農村の娘風に着替える。
部屋の姿見でコーディネートをチェック。ああ……我ながらよく似合う。
ドレスよりもしっくり来ちゃう。
一階のホールでレオナルドと再合流した。
彼ってば、手足が長くてお父様の服が少し窮屈そう。
「ああ、君は何を着ても様になるねリリア。学園の制服も良かったし、夜会の君も素敵だったけど……」
「ありがとうございます。そういうレオナルド様はあんまり似合ってないですね」
「うっ……丈は仕方ないだろう」
「たとえぴったりでも、高貴な顔立ちと綺麗な金髪で町人には見えないですよ」
私はお父様のハンガーからキャスケットを借りてきて青年にかぶせた。
青年は「変装になっただろうか」と不安そうだ。
正直、あんまりだけど。
「いくらかはマシになったと思います」
「良かった! では、さっそく向かうとしよう」
「あっ。馬はだめですよ。バレちゃいますから」
「も、もちろんだとも」
「少し歩きましょう」
黒獅子様がハッとなった。
「そうか……そうだねリリア。名案だよ。二人で並んでゆっくり時間を過ごせるなんて」
ただのお散歩なのに、ずいぶん感動してくれるみたい。だったらちょっと、相応しくないものが彼の腰にある。
「あと、腰に帯びたそれも置いて行かないと」
青年は帯に剣を下げていた。鞘にぴたりと収まったそれは、貴族の持ち物らしく流麗なものだ。
「まずいだろうか?」
「あたりまえです」
「では、置いて行くとしよう」
町の治安はレオナルドの指導もあって、かなり良いから剣が必要になることも少なそう。
けど、これって言わない方が良かったかも。
「あっ、やっぱり……剣は……持っていてもいいかも……」
「いや、君の言う通りだよ。お忍びの視察なのだからね。大丈夫。なにがあっても、君を守るから」
あーもう。私よりも用心しなきゃいけない要人は、貴男なのに。
「では、行こう。そうだ。私たちは若い夫婦という設定にしようと思う」
「え、ええ!?」
「この年頃なら結婚していてもおかしくないだろう。さあ、手を」
つないで歩くのなんて……幼い頃にお父様に手を引かれて以来かも。
「で、でも……」
「これはあくまでフリなのだから。それとも……私とでは嫌だろうか?」
「そんなことありません」
差し出された手を握り返して、二人で屋敷を出た。
すぐのところで――
巨大な人の姿をした「壁」が、私たちの前に立ち塞がった。
赤毛の壁が口を開く。
「……お二人とも、どちらへ?」
騎士ギャレット、その人だ。基本的には私かレオナルドか、どちらかについている。一応、私の騎士にはなったけど、今も黒獅子様が行くところについて行くよう、こちらからお願いしていた。
レオナルドが不機嫌そうに言う。
「そこを退くんだギャレット。これから私とリリアは秘密任務なのだよ」
「…………」
無言の圧が返ってきた。
あっ、これ……許してもらえないか着いてくるかの二択かも。




