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23.ワインの行方

※誤字脱字を修正しました。

「リリア・シルバーベルク。契約を破棄する!」


 屋敷の執務室に若い黒髪の男の声が響く。


 手にした売買の契約書を一方的に破り捨てた。


 男の名はサイモン・ヴィンティス。ワインの買い付け人の二代目ボンボンだ。


 先代のカール・ヴィンティスは超一流の舌を持つ目利きの達人で、お父様の代からのお付き合いだった。


 シルバーベルクのリースリングを世に知らしめた恩人でもある。


 ご高齢ということもあって、仕事を息子のサイモンに譲った最初の商談が、いきなり破棄になっちゃうなんて。


 執務机にかけたまま、私は気丈を装った。


「こちらの納得のいく説明を求めます」

「それは貴様が……いや、シルバーベルクが親父を騙して詐欺を続けてきたからだ! 訴えないだけありがたいと思え!」

「どういうことでしょう?」


 サイモンはパチンと指を鳴らした。付き人がワイングラスと未開封のワインボトルを私の前に用意する。


 買い付け人の青年が私を憎らしげににらんだ。


「何が『シルバーベルクのリースリングはこの土地でしか作れない』だ。他にも産地はあるじゃないか?」

「葡萄作りも醸造場も、冷涼なシルバーベルクならではの創意工夫によって発展してきましたから。同じ品種でも違った味わいになるのがワインというものです」

「当たり前な能書きをたれるな。領主だろうと関係ない!」


 こんな日に限って、お父様は農地改革の現場視察。マーサさんは食料品の買いだし。レオナルドと騎士ギャレットは領地軍の屯所で練兵だった。


 アルヴィンはといえば、書類の山に埋まったまま次々に処理を続けている。


 男の人がいてくれる安心感よりも、この状態で平然と作業をしているのに、ちょっと呆れちゃう。


 けど、ここは領主の私がなんとかしなきゃいけないか。


 サイモンが付き人をあごで使い、ワインのコルクを抜かせてグラスに注いだ。


「何の真似かしら?」

「味は多少違うかもしれないが、半額で買い付けたものだ。飲んでみろ」


 ラベルは知らない土地のものだけど、注がれた液体の色味はリースリングのそれに近い。


「これで納得しろと言うんですか?」

「敗北を認めろ。俺が見つけてきたワインは、シルバーベルク産なんかよりも圧倒的にコスパがいいんだ」

「ずいぶん自信がおありですのね?」

「俺を誰だと思ってる? あのワインの神と讃えられたカール・ヴィンティスの息子のサイモン・ヴィンティス様だぞ?」


 それってすごいのは先代で、貴男じゃないじゃない。


 男は不服そうに首を傾げた。


「それともなにか? こいつと同じ額で卸してくれるっていうんなら、考え直してやらんこともないけどな。ガッハッハ!」


 シルバーベルク産を今の半額で出すですって? 信じられない。何様のつもりかと思ったけど、きっと俺様サイモン様なんでしょうね。


 下品に笑う男に嫌気がさす。

 先代のカール・ヴィンティスはワインの目利きはできても、ご子息の育成には失敗したみたい。


 きっと甘やかされて育ったのでしょう。やれやれ。


 けど――


 よっぽど自信があるみたいね。


 一方的な契約破棄は当然、頭にくる。腹立たしいけど、実際に半額で良いワインが世に出回るとなれば一大事。


 知ろうともしないことは、避けたい。


 お酒は苦手。リースリングはレオナルドも褒めてくれた、シルバーベルクの数少ない名産品だから、それが負けるなんて認めたくない。


 グラスを手にした、そっと持ち上げ、縁を鼻先に。ほんの少しだけ回す。あんまりやり過ぎないよう心がけた。


 うん。全然別モノ。口に含むまでもなく、リースリングの特徴となる重い油のような独特の匂いが……強い。このワイン、まるで瓶をしばらく陽の当たる場所に放置でもしていたのかしら。


 これではフルーティーさが感じられない。下手くそな厚化粧をした葡萄のお化けみたい。


 飲まずにテーブルにグラスを戻した。


 サイモンが鼻で笑う。


「どうした? 香りだけで戦意喪失か?」

「本当によろしかったのですか?」

「なにがだ」

「ワインの状態」

「は? 俺様は専門家だぞ? 完璧に決まってるだろう」


 なら、なお悪い。産地には悪いけど、サイモンが掴まされたのは半額の価値すらない二級品だった。


「料理酒にぴったりですね」

「な、なんだとッ!?」

「こちらこそ、よくぞ契約破棄してくださいました。そちらからの申し出ですからね。あとで文句を言わないでください」

「飲みもしないで負け惜しみか小娘が! 貴様らのぼったくりワインのことを王都にも広めてやる! 噂通りのクソ女め! エドワード王に愛想を尽かされて当然だ!」


 ボタン一つで処刑できるスイッチがあったら、うっかり押してしまいそう。だけど、心を凍てつかせて私は涼しい顔をした。


 相手が敵の時には、ポーカーフェイスにもなれるのよね。不思議と。


「お引き取りを」

「そのグラスとボトルは最後の餞別だ! 貴様の敗北の記念にするといい!」


 バンっと破いた契約書を私の机に叩きつけて、買い付け人の男は去って行った。


 いなくなってやっと、ふぅと息を吐く。


 片付けた書類をまとめ直してメガネの青年が口を開いた。


「それで在庫はどうするんですリリア先輩?」

「んもう。助けてくれてもいいじゃない」

「相手が暴力に訴えてこない限りは、ぼくの出る幕じゃないですよ。それに、領主のリリア先輩の勇姿も見て見たかったし」

「あっ……なによそれ。ひどいわね」

「学園祭の時だって、不当な要求をしてくる大貴族の連中を氷の刃で次々と斬り殺してきたじゃありませんか。ぼく、心底先輩を格好いいと尊敬してるんです」


 あっ……そんなことも、あったような、なかったような。


 席を立ってアルヴィンが私の前にやってきた。


 残されたボトルとグラスのワインをじっと見る。


「代わりに飲む?」

「領主様のお許しを得られるなら」

「どうぞ」

「いただきます」


 グラスの中身をパッと飲み干す。まるで手品で消すみたいに一瞬でワインが消えてしまった。


「うーん、先輩に言われたからわかるけど、確かにちょっと独特の匂いが強いかもしれないですね。ただ、単品でみれば、それなりに飲めるワインだと思います」

「そうかしら? 全然違うわよ」

「先輩の感覚はやっぱり鋭いんですね。問題は……このワインでもそこそこ満足する人たちがいることと、契約破棄された在庫問題です」


 もう瓶詰めが終わっている。醸造所で出荷停止のまま、置いておくわけにもいかない。


「売り言葉に買い言葉で追い返してしまったけど、どうすればいいのかしら。お父様に合わせる顔がないわ」

「心配ないですよ。先輩ならなんとかできます」


 少しほっぺたを赤くして、青年がメガネのブリッジをクイッと押し上げた。


「なんとかって……ああもう。このままだと倉庫代がかかるばかりだし、いっそ安売りしてしまった方がいいのかしら?」

「半額で買いたたかれたらそれこそもったいないです先輩。ブドウ農家や醸造所が困ります。安くしてブランドイメージを落としてしまうのは良くないですよ」


 言いながら青年は空いたグラスにボトルのワインをついで、一気に飲み干した。


「ぷはー。酔うだけなら半額の価値はあるかも」

「味見は許可したけど酔っ払わないでちょうだいね」

「先輩、ぼくはもう子供じゃありません」


 灰色の瞳が据わっていた。


「愛する先輩のためにここは一肌脱ぎますよ」

「へ?」

「在庫全部、メルカート家で引き取ります」

「は、はい!?」

「最近、趣味でやり始めた事業で小銭もありますしね。前金くらいはすぐご用意できます」

「だ、だめよ。アルヴィン君にもメルカート家にも迷惑はかけられないわ」


 三杯目を飲んで、青年は耳まで赤くなった。


「先輩に喜んでもらえるなら、ぼくはなんだってします。たとえ悪魔にでも魂を売りますとも。もちろん、法外な価格をふっかけてやりますけどね。うちは商家ですし」

「ちょ、ちょっと……酔っ払ってない?」

「ぼくは正気です! それにえっと……ちょっと待っててください。この前、ギャレットさんを身請けするために作っておいたのとは別に……っと、あった!」


 アルヴィンは自分の机に戻って引き出しをあけまくると、まとめた書類を持って戻って、かけつけもう一杯ワインを飲んで瓶を空っぽにした。


 うわぁ……。どうしよう。このまま酔った勢いで、襲われたり……しないわよね?


「はい、先輩これ! さわりだけでも読んでください」


 レンズの向こうで灰色の瞳がキラキラしていた。


 渡されたのは……シルバーベルク産のリースリングワインを軸にした新事業の提案書だった。

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