2.針と糸の妖精
エドワード王とシャーロット王妃が王都に帰った日の夜――
どっと疲れた私はベッドに横になると、目を閉じてすぐに眠りに落ちた。
自分が眠ったとわかる。不思議な夢の中にいる。
そこは見たことも無い豊かな森で、花々が咲き乱れていた。
立ち尽くす私の目の前に光が集まると、片手に乗るくらいの小さなぬいぐるみ(?)になる。
子鹿のような愛らしいモフモフだ。金の毛をもち鹿の角がちんまり生えている。
二足歩行するそれの背には蝶の羽がついていて、ぱたぱた揺らしながら宙を舞う。
服は着てない代わりに薄緑のエプロン姿。大きな針と糸巻きを手にもっている。
「やあリリアちゃん」
話しかけられてビクッとなった。見た目通り愛らしい声だった。喋るぬいぐるみなんて、夢みたい。あ、夢か。
「あの……どちら様ですか?」
「ボクは針と糸の妖精スティッチリン。キミにお告げをしにきたのさ」
「お告げ?」
妖精――スティッチリンは私の周りをぐるぐる飛び回ると、目の前でぴたりと止まった。手にした針を騎士の剣みたいに天に向ける。
「いいかいリリアちゃん。なんとなく自覚があると思うけど、キミは刺繍に願いと祈りを縫い込むことができるんだよ」
「ああ、やっぱりそうなんですね」
スティッチリンは続けた。
「ただし、キミはキミ自身を幸せにするために、運命の糸を操る力を使うことはできないんだ。キミのお母さんのようにね」
「お母様を知ってるの?」
「マリアンヌちゃんも、キミと同じくとっても良い子だったよ」
妖精は指揮棒みたいに針を揺らす。
「私の刺繍の力は、お母様から受け継いだものなんですか?」
「そうさ。だから大切にしなきゃね」
「あんまり使わない方がいい……と?」
「違う違う。そうじゃないさ。キミは自分の縫った刺繍を誰かにプレゼントするのが好きだよね?」
「え、ええ。喜んでもらえると嬉しいし」
「キミは刺繍を通じて誰かを幸せにできるんだ。けど……」
スティッチリンはうつむいた。
「けど?」
「キミが誰かを……特定の人を愛すると刺繍にかけられた魔法は永遠に消えてしまうんだよ。マリアンヌちゃんのようにね」
「お母様みたいに……ですか?」
「マリアンヌちゃんはゲオルク・シルバーベルク……キミのお父さんを心から愛した時に、刺繍の力を失ったんだ」
もし妖精の言うことが本当なら、それって――
「私も誰かを好きになると、刺繍の力を失うってこと……ですか?」
「そうだよリリアちゃん。シルバーベルク家はお世辞にも裕福ではなかったでしょ? マリアンヌちゃんは本当にゲオルク君を愛していたからね。その愛を彼とキミにだけ注いだのさ」
お母様らしいと思った。
幼い頃から二人を見ていたけど、記憶をさかのぼる限り、最期の別れの時まで一度もケンカなんてしていなかったし、ずっとラブラブだったから。
そして――
私はエドワードを心の底から愛してはいなかったんだなと思った。
だから刺繍の力は失われなかったんだとも。
もしエドワードに本気になっていたら、今より不幸だったかもしれない。
スティッチリンはその場でバレエダンサーみたいにクルクルとターンすると、ピタッと止まった。
「いつかキミも選ぶ時が来る。それまでどうか忘れないでね。さあ、もうすぐ夜が明けるよ」
「え? もう朝が来てしまったの?」
「うん。さあ、今日から忙しくなりそうだ。がんばってね」
「急にそんなこと言われても困ります」
「ボクはキミに力を使うなとも、人を愛するなとも言わないよ。ただ、自分の選択に後悔だけはしないでほしいな。そして、誰かを好きになる時に、手放す決断をするなら応援するよ。マリアンヌちゃんもそうだったんだ」
お母様と同じ……か。
妖精が針を手にした腕を振る。
「もう時間だ。おはようリリアちゃん」
妖精が光に戻って弾けるように消えた。豊かな森の光景が真っ白く塗りつぶされる。
目を開くと、本当に朝だった。
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朝食の席でお父様に色々とたずねた。急に私がお母様の話を聞きたがったので、ちょっと驚いていたけど、お父様は目尻に皺を寄せて、思い出すように懐かしむように盛大にのろけてくれた。
二人の出会いは王都のグロワールリュンヌ学園。フィロスティチア聖王国からの留学生だったお母様の刺繍に、お父様が目を奪われたのがきっかけだった。
自分と同じだけど、結果はずいぶんと違ったなと思う。
同時に、私は心からエドワードを愛してなんていなかったんだ……とも。
もし彼を愛していたら、もっと酷いことになっていたかもしれない。
エドワードが私と婚約したのは、刺繍が与えた幸運の力があったからだもの。
パンをちぎって食べようとしたお父様に訊く。
「お父様は幸せ……でしたか?」
手を止めて。
「ああ、マリアンヌと出会えて、おまえみたいな良い娘を授かって、私ほど幸せな男はセリア王国のどこを探してもいないよ」
迷い無くお父様は笑ってみせた。刺繍の力なんてなくても、人は幸せになれるのかもしれない。
いや、なれるのだ。
お父様と同じように、これからの領地運営は堅実にしていこうと思う。
昨日の一件。王と王妃の申し出を断って追い返すなんていうのは、一世一代の大立ち回りだ。
エドワードがどれだけ頭が悪くても、こちらの通した道理まで無理にひっくり返せば、他の諸侯に示しがつかなくなるくらい、わかっている……はず。
食事を終えたところに、使用人のマーサさんがやってきた。
「だ、旦那様大変ですぅ! 緊急事態ですぅ!」
「昨日よりも驚くようなことが、これ以上あるかね。それに私は当主の座を退いたんだ。もう旦那様はよしてくれないかマーサ」
「し、失礼しました。けど大変! 大変ったら大変なんでございますよ旦那様にお嬢様!」
マーサさんはいつも朗らかで、ちょっと賑やかだけど明るい人だ。
それが顔を真っ青にして動転していた。昨日、国王陛下が王妃とともにお忍びでやってきたので二日連続だ。
「マーサさん、まずはおちついて。三回深呼吸をしてから話してちょうだい」
すーはーすーはーすーはーと、早いテンポで彼女は呼吸を整えると。
「お客様です! お嬢様に」
「私に?」
「はい!」
ちょっと訊くのが怖いけど。
「どなたかしら?」
「そ、それがですね……ドレイク公爵様のご子息様と仰ってまして」
ドレイク公爵って確か……。
セリア王家の親類で、エドワード王の父の弟。ドレイク公爵はエドワードの叔父にあたる人だ。
武家の名門。
王国の軍事を司る公爵閣下は武勇に秀で、近隣諸国を超えて海の向こうにまで名が轟くほどだった。
お父様が椅子から跳び上がった。
「ま、まさか昨日の一件で……ドレイク公が……いや、結果的には国王陛下を追い返してしまったのだし……」
丁重にお帰り願ったし、可能な限り筋も通したけれど、力で脅しをかけてくるつもりなのかしら。
使者が本当にドレイク家の人間なら、大変なことが起こりかねない。
堅実な領地運営を心に決めた数分後に、力尽くでシルバーベルク領がねじ伏せられるかもしれないなんて……。
お父様が小さく息を吐く。
「この首を差し出して収まれば良いのだが」
「いけませんお父様。責任を取るのは領主の私の務めです」
「だが、そういうわけには。おまえはまだ若い」
マーサさんがあたふたする。
「ど、どどど、どうしましょうお嬢様!」
「とりあえず客間にお通しして。すぐに行きます」
お父様の「大丈夫かい? 代わりに出ようか?」という声に。
「当主は私です。それに、国王陛下と王妃様を追い返したのも私の決めたことですから」
覚悟を決めて、私は着替えも身だしなみもほどほどに整えると客間に向かった。
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ソファーに腰掛けた金髪碧眼の青年が、出された紅茶に口をつける。
まるで自宅のようにくつろぐ彼の顔に見覚えがあった。
エドワードとは親類だけあって要素は同じだけど、どことなく生真面目そうな印象だ。髪もさらさら系で、品の良いお坊ちゃんが順当に成長した好青年……という感じだ。
グロワールリュンヌ学園でエドワードに「従兄弟だ」と紹介されたっけ。
社交場でも何度か見かけたことがある。あの頃よりもぐっと、大人びて見えた。
「やあリリア。私を憶えているかい? 君の記憶の片隅にとどまっていられたなら、光栄だよ」
青年は立ち上がった。シュッとしていて背が高い。
「ええと……たしか……」
「ああ、名前までは覚えていてくれなかったんだね。私はレオナルド・ドレイク。公爵家の次男さ」
「レオナルド様……え、ええと、すぐにお名前を思い出せずに失礼しました」
「いいよ。エドワードと違って、私は目立つ方ではないからね」
柔和な表情と態度に、緊張が一瞬で解けそうになる。
けど、いけない。相手は大貴族の子息なのだし、よりにもよって武門の家柄なのだから。




