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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Knockin' on the door of the new world

作者: 緒川 文太郎

 炎天下のオフィス街を歩きながら、俺は朦朧とした意識の中で考えていた。俺のこの行動は、社会的にどれ程の価値が在るのかと。

 営業担当者が忘れて行った資料を、タクシーも捉まらない状況の中、俺は汗塗れで営業先に届けに行く。何処からどう見ても、都合の良い小間使いだ。営業先の会社のロビーで、営業担当者は涼しい顔で俺から資料を受け取った。

「どうも。それにしても、凄い汗だね。」

誰の所為でそうなっているのか、俺は相手の襟首を掴んで、小一時間程説教して遣りたかった。……が、そんな事は出来る筈も無く、俺は引き攣った愛想笑いを浮かべながら其処を後にした。


 何処でどう道を間違えたのか、俺は社会では負け組だ。必死の思いで入社したこの会社でも、何年経っても平社員のままだ。先程の営業の奴は、俺より四年後れで入社したが、トントン拍子で出世をして今では俺の上司だ。……俺と奴との違いは何だ?

 解:課金VS無課金だ。

 俺の母親は早くに亡くなり、幼い頃から父子家庭で育った。母を亡くしたショックからか、父親は次第に働かなくなり、日の高い時間から酒を呷ってはギャンブルに勤しんだ。当然、家族の生活は困窮し始め、明日の食事にさえ事欠く様になった。俺がアルバイトで稼いだ金も、殆どが父親のギャンブルに消えて行った。

 高校二年生の頃、大学に進学したいと言ったら、父親に思い切り殴られた。無理は事は端から解ってはいたが、それでも現実に直面すると、絶望せずには居られなかった。大学進学という課金が出来なかったばかりに、俺の人生はこの時点で既に詰んでいた。

 実社会に出てからは、学歴の所為で差別される事が多かった。差別では無く区別だという言い方も在るが、俺には都合の良い方便にしか聞こえない。上手く出来るのが当たり前で、出来たら出来たで成果は全て上司のもの、一切が俺自身の実績にはならない。上手く出来なかった時だけ、高卒を理由に叱責され卑下される。……俺と奴の違いは何だ?

 奴の弱点を握れば、こんな俺でも奴を出し抜けるのではないか。弱点の無い人間等は居ない。必ず見付け出して、奴を今の地位から引き摺り下ろしてやるのだ。


 俺が奴を監視し始めて、既に一週間。特に変わった点は見当たらない。スーツの着こなしや、身嗜みはいつも完璧。上司や同僚、部下への対応や気遣いも完璧。だが、それ等は全て、俺でも日々こなしている事だ。奴だけが特別に、俺よりも優れているなんて事は有り得ない。じっと監視をしていれば、奴は必ずボロを出すだろう。その時が勝負だ。

 監視開始から二週間。奴は相変わらず、いつもと同じ様に完璧だった。女絡みの醜聞でも在ればと思ったが、その気配はまるで無し。奴はゲイなのかとさえ思ってしまう。

 監視開始から三週間。全くと言って良い程に、奴の弱点が見付からない事に、俺は流石に焦りを感じ始めていた。このままでは、俺は奴に敗北したまま、この惨めな人生を終える事になりかねない。


 監視開始から一ヶ月程経った或る日、俺は翌日の会議で使う資料を纏める為、遅い時間まで社内に残る羽目になった。俺に任せるだけ任せて、先に帰宅した上司達を恨めしく思った。勿論、奴も既に帰宅済みだ。

 「未だ残っていたのか。」

悶々としながらコンピュータのキーボードを叩いていると、不意に誰かが背後から声を掛けて来た。奴だ。

「そんなに強打していると、キーボードが壊れるぞ。」

そう言いながら、奴は俺の席に近付いて来たが、俺は気付かない振りをしてそのまま作業を続けた。暫くは、俺のキーボードを叩く音だけが室内に響いた。

「おい!」

不意に奴に肩を掴まれて、俺は強制的に振り向かされる形になった。振り向いた瞬間、思いの外に奴の顔が近い事に、そしてその後の奴の行動に、俺は旧式のコンピュータ並みにフリーズしてしまった。

「……!」

何故だか解らないが、後頭部に腕を廻して引き寄せられたかと思うと、突如として奴の唇が俺の唇を塞いだ。ねっとりと侵入して来た奴の舌に、俺の口腔内は好き勝手に蹂躙されていた。

「こういう事、したかったんだろう?」

俺は抵抗すら出来なかったが、それはきっと快楽の所為等では無い……と思いたい。只々、あまりにも突然の事に、あまりにも驚き過ぎて何も出来なかっただけだ。

「俺の事、ずっと見ていたよな?いつから気付いていた?俺がゲイだって事に。」

言いながら尚も舌を絡めて来る奴に、俺はされるがままになっていた。とんだ勘違いである事を、今直ぐにでも叫び出したかったが、身体が言う事を利かない。初めて間近で見る奴の長い睫毛や白い肌が、想定外に艶めかしく俺を誘惑し、視覚的にも完全に麻痺させて行った。それと共に、奴に女絡みの醜聞が一切無かった理由を、曖昧になって行く意識の中で、俺はしっかりと理解するに至った。


 幸か不幸か。偶然にもこの日、俺は新世界の扉を開いてしまった様だ。

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