亡者を嬲るのはやめてください その2
どうぞよろしくお願いします。
感覚が狂っているのだろうか。霞の中をどれくらい移動したのか、よく分からない。
裸足が痛てぇなぁ。
いつの間にか目の前に川があり、二人乗りの粗末なボートがあった。
「さあ、これに乗って対岸へ出発です」
虎パン鬼っ娘が先に乗り、俺に手を伸ばしてくれる。意外と優しいんだな。
「よっこらせ」
虎パン鬼っ娘の柔らかい手を握り、ちょっとフラつきながらボートに乗る。
舳先の方、進行方向に背を向けて鬼っ娘が座り、向かい合うように俺も腰をおろした。
俺たちが乗り込むとボートは勝手に、ゆっくりと動き始める。
どういう仕掛けになっているのかな?
何だか少し不気味な感じがする。
ボートは岸を離れ、幅の広そうな川を、ゆっくりと渡って行く。
ずっと我慢していたが、さっきから気になって仕方のない事を聞くことにしよう。
「あのさぁ。地獄といえば閻魔大王だろう? 閻魔さんが裁判をして、地獄行きか天国行きか決めるんだよね」
「バカ言わないでください。いったい一日に、どれ程の人が死ぬと思っているんですか? 日本だけで約三、四千人もいるんですよ? それをバカ閻魔一人で裁くなんて時間が幾らあっても足りませんよ。輪廻転生スケジュールが立たなくなるので不可能です」
虎パン鬼っ娘は肩をすくめてみせる。
「バカ閻魔って言った?」
「閻魔が裁くなんて、何千年も前の、それもほんの一時期の話ですよ。すぐに破綻しました。しかも宗教の多様化だとかで、地獄も複数に別れて行ったんで、閻魔大王的な鬼神も全人類的に見れば一人や二人じゃないし」
何だか難しいこと言い出す鬼っ娘。
「難しいことは分かんねぇよ。つまり裁きも無しに有無を言わせずに、はい地獄行き決定って事かよ。俺が何をしたって言うんだ。自慢じゃないが、善行も程々にしかしてなかったが、地獄に落ちるような悪行も覚えがないぞ」
俺は憮然として言い返してやった。
すると虎パン鬼っ娘がニヤリと笑う。このアマ、俺の何を知っているというんだ。
「中学三年の夏休み、友人の姉の下着、更にその友人のエロ本を」
「ごめんなさい。悪行してました」
俺は恥ずかしさのあまり、顔を両手で覆い身を小さくしながら、それ以上の数々の黒歴史が暴かれないように鬼っ娘を遮った。
地獄が本当にあると知っていたら、あんな事も、こんな事も絶対にしなかったはずなのに。
「それに勘違いしているようですが、死んだ者は、みんな地獄に堕ちるのですよ」
「マジで?」
「はい」
「天国はないの?」
「あります」
何言ってんだこいつ。みんな地獄行きなら、天国は要らないだろう。
「つまり罪を犯さない者なんていません。みんな罪を犯します。だから、その罪の分を最初に清算するのです。そしたら残るのは善行だけになるでしょう?」
「まあな」
「後は、その善行に応じて天国を楽しめると言うわけです。そして天国は生まれ変わる前の待機場所でもあるのです」
虎パン鬼っ娘は、得意気に首を傾げて微笑んだ。
「じゃ、善悪の量を天秤にかけると言うのは?」
「出来っこないですね」
俺の問いに、にべもなく言い放つ。
「たとえばです。強盗殺人をした人が、車に轢かれそうな子供を助けたとします。さぁこの人は良い人? 悪い人?」
なかなか難しい事を言って来る。俺は首を傾げざるを得なかった。
「子供の家族にしてみたら命の恩人。でも殺された家族からしたら憎い仇。どう? 面倒でしょう。だったら強盗殺人の罪を清算させてから、天国を楽しませれば分かりやすいし、両方の家族も文句を言えないはずです。これこそ公平な裁きなのです」
そう言われると確かに、それが一番良いようにも思えてしまう。
「要するに悪事を行った後に、罪滅ぼしで善い行をしても意味が無いのです。積み重ねた善行分は徳を積んだ上に、天国を味わえますから無駄ではありませんが、悪事を行わない事が地獄での責め苦を軽くする唯一の方法なのです」
えらく説教ぶった話ぶりだが、確かにその通りなのだろう。
「だけど生きいてる時は、地獄なんて有るか無いかも分からないじゃないか」
「有るか無いか分からなければ、地獄も天国も有ると仮定して行動すべきだったのです。だから、こうして地獄が本当に有った時に取り返しがつかないんですよ」
確かにごもっともです。死ねば終わりと安易に考えていました。
「それと、これを持ってください」
俺は虎パン鬼っ娘から、大きめの柄杓を受け取る。
「何に使うんだ?」
「水が漏れるので、底に溜まった水を掻き出してください。あぁぁぁ〜、何するんですかぁ!」
俺は柄杓を遠くに投げ捨てた。
「ふざけてんじゃねぇ」
気分がスッキリしたところで話を続けるとしよう。
「それでもさ。悪行の量や内容で責め苦の期間やら、内容やらを決めないといけないよね。それは誰がやってるの?」
「今では完全自動化です。あなた達が生きているうちから、善悪の量や内容を記録していますから死んだらすぐに、責め苦の内容や期間も簡単に割り出せます。善行データは天国へ、悪行データは地獄へ送られ、コンピュータでチャチャッと決裁です。そこは地獄の長年のノウハウもありますからね。システムの自動化は意外と早かったみたいですよ」
虎パン鬼っ娘は、せっせと溜まった水を掻き出しながら答えた。
「じゃあ、閻魔は要らないね」
「はぁ~っ」
虎パン鬼っ娘が、深々と溜息を吐く。
「あのバカ閻魔、雑用が嫌になって獄外視察だとか言い出して、天国旅行に行ったっきり帰っても来ないんです。その隙に宰相の独裁体制は固まっていくし、共和獄化の陰謀も進みまくるしで、自由主義的な地獄が共産化の危機に直面しているというのに、あのバカ閻魔は、ハニートラップにでも引っ掛かっているんでしょうよ。お陰で民主派への弾圧、虐殺、洗脳がひどくなる一方で、そのうち亡者の人権もなくなるでしょうね」
雑用って閻魔に何させてたの?
ていうか、地獄も政治的に大変なんだね。
「しかし、天国でハニートラップは無いでしょう」
「甘いです。天国は天獄とも言われ、超退屈で、まともに過ごせば精神を病む亡者が後を絶たない欠陥施設なんです」
何食わぬ顔で、とんでもない事を暴露し始めた虎パン鬼っ娘。どうやら天国は欠陥施設らしいです。
「だから表向きは、ほのぼのとした癒し系の施設を演出しつつ、でも裏では退屈を紛らすための、いかがわしい娯楽施設がいっぱいで、バカ閻魔に見習って高級官僚は視察と称しては、よく遊びに行っています。あなたも来世は善行を沢山しておくと良いですよ。まさに天国を味わえます」
「そもそも天国に、そんな欲望の塊みたいな亡者が行けないだろう。だって地獄って、亡者を更生させるための施設なんでしょう?」
「甘々です。そんなこと無理ですね。人類なんて本能の上に理性がチョコンと乗っているだけの、知能が高いケダモノなんですよ。人間を一人一人、無欲な善人に改造するよりは、新たな進化を待つ方が現実的な程なんです。地獄は罰を与える場所であり、更生施設ではありません。つまり刑務所と一緒で罪に対する報復施設です」
おいおい、天国も地獄も、ちっとも有難味がねぇなぁ。
「良いのかよ。獄卒が、そんな身も蓋もない事を言い切っちゃって。それに入ったこと無いから分からないけど刑務所は、そんな施設じゃ無いでしょう?」
多分、違うよね。
「分かり易く言えば、更生施設が現世なんですよ。現世で色んな事を体験しながら、自分をより良い人間へと成長させる。その現世での生き方に対して天国ではご褒美、地獄では罰を与える。つまり信賞必罰です。だから天国のいやらしい施設も、あながち間違ってはいないのです」
天国がそんなに良い所なら、善行は沢山しておけば良かったかも。
「でもさぁ。それって天国では、やりたい放題みたいに聞こえるけど死後に犯した罪って、どこで清算するんだよ」
「現世です。現世も死後も行いが悪い人は、生まれ変わった時に、悲惨な人生を送らなければなりません」
俺たち二人が話をしている間もボートは、さざ波の音を立てながら緩やかに進んで行く。
あたり一面、靄が立ち込め、何も見えないのが残念だが地獄の渡し舟も体験出来たし・・・
「って、のんびりしてる場合じゃねぇぞ。このボート、沈んでるじゃねぇかぁ!」
俺はボートが沈まないように、せっせと両手で水をすくっては、外へ掻き出す。
「バカ亡者が柄杓を捨てるから」
鬼っ娘が自分の柄杓で水を掻き出しながら、涙目になって抗議する。
「本当に、まったくもう‼︎」
「そもそも記念来獄者のお迎えに、こんなボロ船を使うなよ」
「ふっ。なんちゃって記念来獄者のくせに」
「あぁ、なんちゃってって言ったな。なんちゃってって言ったよなぁ? やっぱ適当な客寄せイベントだろう」
俺たちはボートの中で大騒ぎしながらも、浅瀬に乗り上げるようにして、どうにか対岸に辿り着く事が出来た。
どうもありがとうございました。