ノワールの女
2026.05.24 改稿
彼女を見て、男は剣を納める。そしてメイヴィスの視線が下を向いている間に部屋から出て、彼女と会話を始めた。
「……」
幸い傷は浅い。そのうち閉じるだろう。パタリとベッドに倒れ、メイヴィスは目を閉じた。すると、誰かに再び頬に触れられて、弾かれたように飛び退く。
「うあっ」
ベッドから落ちて、醜態を晒した。足音が全く聞こえなかった。
「あ、あの……驚かせてごめんなさい」
ベッドの反対側で申し訳なさそうにしていたのは、あの少女だった。プラチナブロンドの髪を二つに結い上げて、それが揺れている。男はいない。立ち去ったようだ。
「手当をしようと思って」
片腕には包帯と消毒液、タオル等が収まっていた。状況を理解するのに少しかかったが、ベッドに上がって首を差し出す。少女はメイヴィスの首元を優しく拭い、「消毒しますね」と脱脂綿に液を含ませ、トントンと傷口に当てた。そしてシュルシュルと包帯を巻いていく。大袈裟だなぁと思いながら、メイヴィスはされるがままだった。
「この痣は、どうされたのですか?」
首の後ろを見て、少女が尋ねてきた。
「物心ついた時には、既にありました。ただの痣です、痛くはありません」
「そうですか。失礼しました」
メイヴィスの首にある痣。これが、ハイネックの服を着ていた理由である。色が濃く、白い髪にはあまりにも目立ちすぎる。醜いので服で隠していたのだ。
「苦しくありませんか?」
「平気です。お上手ですね」
「ありがとうございます。早速で申し訳ありませんが、部屋を移動するのでついてきていただけますか」
少女に誘導されるまま、メイヴィスは部屋の外に出る。扉は壁の一部と同化しており、一人では見つけられなかっただろう。
「ロージー、あとは頼むわ」
燃えるような赤い髪をした女性がスッと現れ、少女に頭を下げる。
「ご案内します」
少女が姿を消し、メイヴィスは女性の後をついていく。
「お名前をお伺いしても?」
振り返ることなく女性が尋ねてきた。何を言ってもあの男に筒抜けなのだろうが、隠していても仕方ない。
「……メイヴィス・ラングラーと申します」
「ああ、ラングラー侯爵家のお嬢様ですね」
「えっ」
ノワールにもメイヴィスの悪評が広まっているのかと身構えたが、女性はそこでメイヴィスを振り返った。
「私はオルティエの人間でしたが、訳あってノワールに越してきたのです。なのでラングラー侯爵家を存じ上げているのですよ」
思わぬ言葉にメイヴィスは固まった。まさかオルティエの人間が隣国にいようとは。
オルティエとノワールの仲はあまり良好とは言えず、そのような国に引っ越すのは貴族であってもほぼ不可能なことであった。
「私の話はまたにいたしましょう。それより、状況を把握しなければなりません」
「……私は、処刑されるのでしょうか」
ぽつりと呟くと、女性は
「それはヴィオラ様がお許しになりません。大丈夫ですよ」
と微笑んだ。
「先ほどの?」
「もうお察しかもしれませんが、先ほどの男性はノワールのヴィンセント国王陛下です。そして私に侯爵令嬢様を託されたのが、妹君のヴィオラ殿下です」
随分と若い王様だ。同じくらいに見えるサイラスは王太子であるのに。
過剰に威圧的な口調だったのは、舐められないためだろうか。
「ノワールは貴重な鉱石が出る鉱山を持っています。しかしオルティエの辺境伯でしょうか、その方が鉱山のあるノワールの土地を乗っ取ったのです。しかし、オルティエに抗議をしても動きが見られず、国王陛下はお怒りになりました。そこで、王太子妃であるオルセン公爵令嬢様を人質として攫うことにしたのです」
そして彼らは人違いをし、メイヴィスを誘拐した。
「ノワールにとって、命と同じほどの価値がその鉱山にあるのですね」
残念ながら、メイヴィスの命とは等価ではないのだが。
「信じてはいただけないでしょうが、侯爵令嬢様のお命を奪うつもりはありません。ただ鉱山を返してほしいだけなのです。あれはノワールにとって生命線ですから」
「……しかし、オルティエが応じなければノワールはどうなさるおつもりなのでしょうか」
「応じなければ……陛下は、戦争も辞さないお考えです」
「……」
メイヴィスの命を奪えば、ノワールの王は多少は気が晴れるのかもしれない。だがそれは根本的な解決にはならず、最終的には戦争へともつれ込むのだろう。
(もし、連れ去られたのがクリスタ様……公爵令嬢様であれば)
オルティエもといサイラスは彼女を取り返すため、鉱山を返却するよう辺境伯に命じただろう。それが叶えば、戦争も避けられた。だが現実はこれだ。誰も救われない。
(私は首を切られておしまい)
シャロンにももう二度と会えない。
「こちらのお部屋で過ごしていただきます」
ロージーが案内したのは、王宮らしい城の最奥だった。誰も使っていなかった部屋を整えたらしく、人が使っていた痕跡はない。クリスタをもてなすつもりで用意していたのだろう。
「……あの。私が着ていた服はどこにあるのでしょうか」
メイヴィスはかけられているドレスを見て尋ねた。クリスタに用意していたのだろうドレスはやはり露出が気になる。首も背中も腕も。
「血で汚れていらっしゃったので洗濯をしております。少し時間がかかっていまして」
「そういえば、私は怪我をしていたはずですが……」
「もう痛みませんか?」
「はい」
「でしたら、治療の甲斐がありました」
ロージーの言葉から察するに、メイヴィスの落馬の傷は完治しているらしい。
「そういうわけですので、しばらくはあちらの服をお召しになってください」
「……でしたら、何か羽織るものをいただけますか。あまり肌を晒したくないのです」
「この国は温暖ですので、あまり着込むと体に良くありませんが……ご希望でしたらご用意いたします」
「ありがとうございます」
「食欲はいかがですか。何かお持ちします」
「……いえ。結構です」
「でしたら軽いものをお持ちしますね」
一瞬コミュニケーションができていなかった気がするが、メイヴィスは反応しなかった。何も考えたくなかった。
「そういえば、裸足で歩かせてしまって申し訳ありません。靴もお持ちしますね」
(靴……)
裸足のまま森を歩き回り、裸足のまま気を失って、メイヴィスは靴もなく隣国へやって来た。
しかし、メイヴィスは踵の高い靴を履くことができない。普通の令嬢は当たり前に履きこなすヒールだが、メイヴィスにとっては自分の足を痛めるだけの代物であった。しばらくは歩くことすらも躊躇われ、ついには履くこともやめた。
メイヴィスの足を測り、女性が持ってきた靴は、予想通り踵の高い靴だった。当然だが、しっかりした作りだ。メイヴィスが履いていた古い靴よりもずっと綺麗で、高級感がある。
だがメイヴィスはすでにケープの要求をしたのだからこれ以上は何も言えない。
メイヴィスはその靴を履かず、裸足で過ごすことを決めた。




