最終話 二代目楓一家~狼達のエピローグ~⑥~
一方その頃道警捜査本部では、彼女、葛城美奈子さんの推測どおり、本部長と副本部長に就任した、露木浩行と信楽深雪の二人が百人体制の捜査官達を集め、北海道全土につながる大がかりな広域捜査本部を立ち上げるべく、しきりに集まった捜査官達に激を飛ばしていた。
しかしここにきて、二人の意見は真っ二つに割れていた。
「……浩行さん…あたし達の行動って可笑しくない?あたし達の逮捕しようと躍起になってる彼女はあたし達二人の命の恩人よ……あたしにはとてもじゃないけどできないわ!大恩ある人を無実の罪で捕まえて…検察庁に送検するなんてふざけた真似!」
あたしの隣で、着々と彼女、葛城美奈子ちゃんの逮捕送検準備を推し進める彼、露木浩行に対してあたしは、一抹の違和感を感じて、そう意見を述べたのだけど彼からの返事は、あたしを逆上させるに充分な言葉だった。
「……あんたバカか?俺が本気であのバカ姉妹相手してるとでも思ってたのか?実に滑稽な話しだな……強いて言うなら…葛城警視監もあんたの親父さんもな……俺からすればあんた達はみんなぁ俺が出世するための踏み石にしか過ぎんのだよ……」
彼は、抑揚無く淡々とそういうと、あたしの脇腹辺りにサイレンサーを付けた拳銃の冷たい銃身を押し付けた。
あたしがこの時すでに、夜叉姫モードに入っているとも知らず。
そして次の瞬間、あたしはまるで、軟体動物のように身体をくねらせると、彼の拳銃を持つ手からスルスルと彼の身体に組み付くと、そのまま全身全霊をもって彼を締め殺そうとした刹那だった。
「深雪さん!そのクソ外道の始末はあたしの役目!貴女はもう自由よ深雪さん!あたしの姉に恩義を感じてくれて最後まで自分でケリをつける必要なんてない!もう…その手を汚す必要は無いわ!」
あたしが彼を締め殺そうとした刹那、一人の全身黒皮のボディスーツに身を包んだ長身の女性が、持参したライフルで、組み付くあたしを避けるような精密射撃で、彼の眉間を見事に撃ち抜いており、生気を無くしてぐったりとあたしにしなだれかかってくる彼の身体を押し退けて、あたしは彼女の傍に駆け寄った。
「……美奈子ちゃん……ごめんね…お姉さん護れなくて……」
あたしは力無くそういうと、その女性の前にへたり込むのだった。
「深雪さん…ほらぁ!しっかりして!貴女にはまだやるべき事があるはずよ!」
その女性、葛城美奈子ちゃんは、キリっと結んでいた顔の表情を緩めて、幾分まだあどけなさの抜けない笑顔を見せると、持参したライフル一式と、自分の両手をあたしの前に差し出した。
「バカ言わないで美奈子ちゃん……あたしが今…ここで…貴女に手錠なんてかけてごらんよ……今度はあたしが殺されちゃうわ……貴女達姉妹の事…真剣に心配してくれてる礼子さん達にね……」
深雪さんはまだ考えの幼いあたしなんかより、何倍も素敵で魅力的な女性だ。あたしはただ、彼女のその、大人な対応にうろたえるしかなかったのだが、ここに来る数時間前、彼等北見白狼会三代目の面々には、全てを打ち明けての事だったため、彼女があたしに手錠をかけたとしても、彼等が彼女を恨むことは無い。
そう確信をもっていたあたしは、その姿勢を崩さず、そのまま彼女に頭を下げつづけるのだった。
「深雪さんよぉ……俺等の事なら心配無用だぜ……事前に彼女からぁ事情をしっかりと聞いてるからよぉ……俺等としてもよぉ…あんたが彼女を逮捕してくれた方がありがてぇ彼女に親殺しの大罪なんて重い十字架…背負わせずにすむからよぉ……」
優しくだけど、じんわりと、そしてどっしりと己の腹に響く。
ここに来る数時間前に聞いた年齢不相応な低い声。そしてまた、年齢不相応なしゃべり口調に驚き、その声の主を振り返ればそこには、数時間前に今生の別れを告げたはずの楓海人君と奥さんの礼子さんの二人が立っていた。
「……海人君……それに礼子さんまで……」
あたしのこれから先の行動まで見透かしたような彼の言動は、当の本人であるあたしでさえまだ、確固たる答えにたどり着けていないというのに、なのにもかかわらず彼は、その鋭い洞察力で、ぴしゃりとあたしの考えを見抜いてしまうのだ。
その時のあたしには、彼等二人に返す言葉が見つからず、ただ呆然とその場に立ち尽くすしかできなかった。
「……美奈子ちゃん…賢いあんたならわかってくれるよね……あたしの旦那が言う言葉の意味をね……」
あたしが東京の警視庁から、この北海道警に左遷になったばかりの頃。
そしてまた、誰一人として信用できる人間のいないこの、警察機関という組織に完全に失望して、自暴自棄になり、警察官としては荒みきっていたあの頃だった気がする。
まだ十代前半で、ヤンチャ盛りの彼に会ったのは。
一見すると、少女と見まごうほどの中性的な顔立ちの割には、気性は相当荒かったのだろう。
けど、この頃から彼は売られた喧嘩を買っていただけで、自分から喧嘩を売るタイプの子じゃなかったのと、確実にあの時は、都会育ちで不慣れな北の大地に放り出され、その街のヤクザ者に絡まれ、悪戦苦闘していたあたしを、そしてまた、何の面識も無いあたしを彼は、無条件で助けてくれていたと記憶していたため、あたしの顔には落胆の色が濃く出ていたのだろう。
とにかくその時のあたしには、彼の顔を正面から見る勇気はなかった。
「……らしくねぇぜ美奈子さん……あんときのこたぁよぉもうとっくに時効だよぉ……綺麗な身体になってまた…戻ってきてくれよな……この道北によぉ……」
あの頃と変わらない、一見すると自分と同性とまで思える女性顔をほんの少し紅く染めて、視線は何故か斜め上の明後日の方向を向いたまま、重みのある事をいうものだから、あたしとしては真摯に受け止めなければいけないことなのに、不思議と笑みがこぼれてしまい、あたしは改めて、深雪さんの前に自分の両手を差し出すのだった。
「……この一件は不問にするわ!無論…あたしの独断でね……明日…もう一度記者会見をする!露木浩行の謀略に便乗した貴女達姉妹の父親とあたしの父親を断罪するために!海人君…礼子さん……貴方達にも協力をお願いしたいの……おそらくだけど浩行とあたしが仲違いした事も美奈子ちゃんの流した偽装情報も全部全てあたし達二人の欲に溺れた愚かな父親二人の耳に入ってるはず……記者会見当日になって途方も無い妨害工作を考えてる可能性が大いにあるわ……単刀直入に言うなら…海人君達北見白狼会にはあたし達二人の警護を頼みたいの……無茶を言ってるのは百も承知の上でね!」
深雪さんは差し出したあたしの手を退かせると、あたしの後ろにいる海人君と礼子さんに深く頭を下げるのだった。
「……深雪ちゃん…頭をお上げよぉ……あたし等二人が何の情報も無しにこの道警本部に来たとお思いかい?」
道警本部のエントランスにて、全ての恥をかきすて、本来ならば取り締まられる側のあたしと海人に、土下座してまで頭を下げる彼女の心意気があたしと海人には、痛いほど心に響き、あたしとしては、彼女にそう問いかけるのがせえいっぱいだった。
「内のカシラがよぉ……実の父親の昔の伝手をたどって動いてくれてよぉ……全ての裏ぁしっかりと取れてるぜぇ……全てぁあのクソ外道の仕組み事だったらしいぜぇ……美奈子さん達姉妹の親父さんもぉ深雪さんの親父さんもぉあんた達家族を盾に取られてぇ仕方無く奴に協力せざるを得なかったらしい……だからもう…何の心配もいらねぇよ……あんた等二人の親父さんからぁ確固たる了承を得てるからよぉ……それとこりゃあ内のカシラからなんだけどよぉ…あんたを真っ先に疑っちまって悪かったって伝えてくれってよ……そんなでぇじなことならてめぇで伝えてやれって言ったんだけどよぉ…内のカシラぁありゃ完全にあんたに惚れてんぜぇ……深雪さん…あんたがこれをどう思うかぁあんたの自由だけどよぉ…ヤクザ辞めてまであんたの傍に居てぇって思う良次さんの気持ちもわかってやってくれねぇかな?」
この、楓海人という漢は本当に凄い漢だ。
そしてまた、この子のこの凄味を見抜き、生涯の伴侶とした礼子さんも凄いけど、この北見に、この二人が居てくれる限り、この北海道の治安は必ず守られるだろう。
このときのあたしにはそう思えてならなかった。
「……葛城美奈子元道警本部長!銃器不法所持並びに露木浩行警視殺害の現行犯で逮捕します!二二時ジャスト!美奈子ちゃん…心配しないで!この逮捕は形式だけよ……貴女の身の安全はあたしが守るわ!あたしとあたしの父親と貴女のお父様とでね!その間美奈子ちゃんにはまたこの道警捜査本部をお願いね……海人君達と力を合わせてこの道北の治安よろしくね!」
あたしはそう言うと、形式上彼女に掛けた手錠を外して、そのまま捜査本部を出ようとしたのだけど、その脚を彼等二人とはまた、別の男性が呼び止めた。
「ちょっと待ったぁ!それ…俺も行きます!」
突然の参入者に、驚きを隠せないあたしと美奈子ちゃんだったけど、彼と礼子さんの二人だけは、別に驚くでも無く、あくまでもごく普通に柔らかい眼差しでその声の主をこの輪の中に招き入れるのだった。
「……カシラぁ…やっと親父さんの許可ぁおりたかよ?深雪さんはよぉこの道警捜査本部にゃあ無くちゃあならねぇお人だぁ……だからよぉ頼んだぜぇこの道警本部の副本部長をよぉ!道北の情勢は俺等が引き受けたからよぉ……おめぇはしっかりと深雪さん護ってやるんだぜぇ……」
ヤクザ渡世から足を洗い、カタギの道を選んだ彼、朝倉良次事、海原良次君。
律儀にも、渡世のケジメとばかりに自ら斬り落とした小指が痛々しかったけど、彼のその汚れなき瞳は真っ直ぐにあたしを見据えていた。
「……良次君…貴方の熱い想いは今しがた海人君からしっかりと受けとったわ……じゃじゃ馬なあたしだけど貴方の良き妻になれるようにせえいっぱい努力します……末永くよろしくお願いします……」
真っ直ぐにあたしを見据える彼、良次君。
彼のその汚れなき瞳を見つめ返して、あたしは深く彼に頭を下げるのだった。
そして彼と共に、この北海道から東京に戻る手筈にしていたあたしと良次君だったけど、翌朝、緊急特番として、全国規模にテレビ放送されたあたしと美奈子ちゃん達姉妹の父親が開いた辞任謝罪会見を視たとき、あたし達二人も、東京におもむく必要が無くなった事を意味していた。