十二話二代目楓一家~狼達のエピローグ~⑤~
「……恵梨香さんが自身の父親の薄汚い野望に気づいたのは…奇しくもあたしが道警本部長の座を義理の弟三橋凌矢に追われ東京に戻ったときだったわ……それと彼女も…本当は反対だったのよ……妹の美奈子ちゃんのロス渡米にはね……この事案には彼女の美奈子ちゃん以上に優しい性格も災いしてるのよ……当時の彼女は…誰も信用出来なくて…人を信じる心の鍵を壊したあたしの唯一信用出来る上官だった……けど…彼女自身も父親の薄汚い野望と妹の渡米……二人の感情の狭間で凄く苦しかったと思うわ……彼女は誰よりも人一人ずつの命の重さを知る人だった……だからなのかもね…自身の父親が自分の立場を利用して自分の悪事を隠蔽しようとしたのがね……」
彼女、信楽深雪さんが一人言のようにそう呟いたのは、彼女の父親、信楽敬三さんが手配してくれた帰りの船の甲板付近に設けられた喫煙スペースだった。
心配された葛城隆三警視監からの妨害行為も無く、無事に俺達五人は誰一人として欠けることなく、釧路港に入港するはずだった。
しかしやはりというべきか、俺達五人の乗った船が釧路港に入港したとき、事態は急変した。
俺が手首を斬り落としてしまった、彼、露木浩行さんが、ここまでの長旅で一刻も早く病院に連れていかないと失血死は免れない、瀕死の状態に陥っていたのだ。
「すまねぇ美奈子さん!ヒロさんを無傷に連れ帰ると大口たたいときながらこの有様……俺達三人は逮捕されても構わねぇ……一刻も早く…ヒロさんと深雪さんを病院に!」
釧路港入港からの下船直後、俺達はそこに集まった道警捜査官達を押し分けて、その中心にいるであろう、葛城美奈子道警本部長になり振り構わず進言するのだった。
「あたしの父親の悪行を白日の下にさらしてくれた……あたし一人では到底なし得なかったこの事案を解決に導いてくれた……その立役者たるあなた達を逮捕するなんてこと…あたしには出来ない……誰か!二人を早く病院に!」
彼女、葛城美奈子さんはそう言うと、捜査官達に迅速な指示を出して浩行さんと深雪さんを手配した救急車に乗せて、北海道警察が契約している警察病院へと二人を搬送してくれた。
「美奈子ちゃん…あたし等ぁ事案解決の立役者なんて格好のいいもんじゃないよぉ……あんたの立場から見りゃあ…あたし等は立派な犯罪者……何の異論もありゃしないよぉ……美奈子ちゃん…あたし等を逮捕しとくれ……これは…この道北出る時に三人で話し合って決めてたんだ……」
彼女はあたし等を、今回の事案解決の立役者だと言って、逮捕しようとはしなかった。
けど、彼女の立場からしたらあたし等三人は法律違反の犯罪者以外の何者でもない。
あたし等三人は、彼女の前にこの道北を出る時持って出た、武器類全てを提出して、三人揃って、彼女の前に両手を差し出すのだった。
「待って礼子さん……今回の一連の騒動…全ての責任は彼女のお姉さんから次代を引き継ぎ警視副総監の地位にありながら葛城隆三警視監の悪事に加担したあたしにあるわ……葛城美奈子警視…貴女が逮捕すべき相手は彼女達三人じゃないはずよ……」
あたし等三人が、美奈子ちゃんの前に両手を差し出した時、自身も未だ癒えぬ彼女の姉、葛城恵梨香さんとの激闘の生傷から、立っている事すらままならなぬ状態になっても尚、病院への搬送を頑なに拒否した、信楽深雪元警視副総監だった。
「……深雪さん…あんたとヒロさんはこの悪事にゃあ一切関わってなかった……むしろあんたに謝らなきゃならねぇなぁ俺達だぁ……真っ先にあんたを犯人とうたがっちまったぁ……美奈子さんが俺達を逮捕できねぇんならよぉあんたが俺を逮捕してぇ東京のブタ箱にでもブチ込んでくれやぁ……その代わり…嫁の礼子とカシラの良次さんだきゃあ勘弁してやってくれねぇかな?こいつぁ北見白狼会三代目の俺の独断だからよぉ……」
何か物言いたげに俺を見つめる美奈子さんと、妻礼子と三代目若頭の朝倉良次を制して、傷の容態悪化から、最早、立っているのが限界の信楽深雪元警視副総監を抱き支えて頭を下げた。
「……まったくぅ父の言ってたとおりね……道北北見には今どきに見ない本物の侠客がいるってね……けど残念ね…警視副総監の地位を退いて…警視庁に戻る事なんて到底不可能な今のあたしはあなたたちと同じ民間人なのよね……逮捕権なんて最初から無いわ……むしろ…あたしや浩行さんの方がこの身体の傷が癒えたら公の場で全てを話すつもりよ……それからこれは…貴方よりは少しだけ長く生きてるあたしからのアドバイスかな?奥さんやご両親を泣かせないのも漢としての大事な役目よ……なぁんてね…散々父親に迷惑かけてきたあたしが言っても意味無いかもだけどね……」
やはり、本当に限界がきていたのだろう。
彼女はそれだけを俺の目を真っ直ぐに見つめて言うと、俺の腕の中、静かにその意識を手放すのだった。
「二人の事はあたしに任せて…浩行さんと深雪さんは絶対に死なせない!
けど…勘の良い貴方ならわかってくれたわよね……深雪さんが自身の身体の限界を超えても尚…貴方に伝えたかったことの意味を……」
彼女、葛城美奈子さんは俺を正面から見据えると、きりりときつく結んでいた口元を緩め、ニッコリと微笑むのだった。
そしてその数ヶ月後、すっかり傷の癒えた浩行さんと深雪さんを道警本部に残し、美奈子さんは忽然とこの北海道から姿を消すのだった。
そして更に数日後、すっかり傷も癒え、今はこの、道警捜査本部の本部長と副本部長に就任した二人の開いた記者会見の会場。
そこに集まった北海道内外から来た新聞記者だったり雑誌記者だったりの一団の中、深雪さんと浩行さんは包み隠す事無く、これまでの騒動の始終を記者団の手にしたカメラから連写される強烈なフラッシュにも決して目を逸らさず、はっきりとした口調で記者団から飛ぶ際どい質問にも、ハキハキと応えていた。
そして、一時間三〇分という異例の長さで行われた二人の釈明会見も終わりの時をむかえ、記者団がそれぞれの控え室にとその会場を後にするところで、テレビ中継は途切れたのだが、代わりに差し込まれた緊急速報に驚きを隠せなかった。それは、ここ数カ月前から忽然とこの北海道から姿を消していたと思われていた、元道警本部長の葛城美奈子さんが、北海道札幌市内の繁華街で、重傷を負って発見されたというものだった。
「やっぱりな…ヒロさんはともかくあの女だきゃあよぉ話しが出来すぎてんだぁ三代目ぇ今ぁ四の五の説明してる暇ぁねぇ……とにかく美奈子さんの収容された病院…急ぎましょうやぁ!彼女がまだ生きてるってわかりゃああの女のことだぁ次は確実に美奈子さんを仕留めに来るはず……そんときがラストチャンスだぁ!!」
美奈子さん襲撃事件の速報を見た時、俺達にも、何かもやのようなものがずっと引っかかっていたのだが、彼、朝倉良治さんの一言が、すべてのもやを取り払ってくれたかのようにその時の俺達には聞こえ、また再び武装した俺達が、北見白狼会本部事務所を出ようとした時だった。
「……ま…待って……貴方達は誤解してるわ……今回あたしを襲ったのは深雪さんの差しがねじゃないわ……あの…あたし達姉妹の…父親の仮面をかぶった外道者葛城隆三が…この北海道にまだ残ってた関東龍神会のチンピラを差し向けたのよ……あの日あたしは警視の地位も退いて道警本部長の地位も深雪さんと浩行さんに譲って姉の眠るこの北海道で姉の墓守しながら余生を送るつもりで襲われたのはあたしが無防備だっただけのこと……あの二人には何の咎も無いわ……それにしても本当救いようの無いバカよねぇあのクソ親父…たかがチンピラ五人差し向けただけであたしの事も亡き者にしようなんて…マジでバカみたい……ほぼ全員瞬殺で返り討ちにしてやったわよ……集まってきたメディアにはあたしが襲われて重傷を負ったって似非ネタ掴ましといてね……後であたしが生きてましたってなったらあの人の金と欲にまみれたサツカン人生もジ エンドよね……それから…あたしの人生もね……あたしが刑務所入ってる間姉の墓守お願いできる?」
表情豊かに、自分の今現状を語る美奈子さんだったけど、最後は伏し目がちに彼女の実の姉、葛城恵梨香さんの墓守を俺達に頼み、北見白狼会本部事務所を出て行こうとした時だった。
「……美奈子ちゃん…こりゃあ完全に警察内部の問題であたし等ぁ第三者が立ち入れる事じゃないってのはあたしも充分理解してるつもりだよ……けどあえて言わせてもらう……何の罪で自首するつもりなんだえ?」
正直、場違いな質問をしているのはあたしだとわかってはいたけど、この時の彼女の内から滲む決意の様相だけは見過ごせなかった。
「……ちっとまったぁ!そんなてめぇが生きて帰って来かもわからねぇ奴の頼みなんざぁ端っから聞き入れる事ぁできねぇなぁ……事ぁ警察内部の問題かもしれねぇがよぉ…俺等だってここまで来たからにゃぁあもう後にゃあ退けねぇんだぁ……なぁあ美奈子さん…あんたのたどり着いた結論全て俺等に話しちゃくれねぇかい?この中にあんたを悪く思う奴なんて一人もいやしねぇよぉ……」
この二人は、見まごうと無き無敵の夫婦だ。
先代会長の礼子さんが彼女に投げた質問は、一瞬的外れにも思われたのだが、それを補うようにかぶせられる彼の言葉は、確実に彼女、葛城美奈子さんの心の核心を突くものだった。
「……これは全て…自身達の計画に対して邪魔になったあたしを排除したいがためのあのクソ親父が画策した陰謀なのよ……そしてあの二人もまた…金と権力に屈した愚か者……あたしがここにいるとわかればあの二人は間違い無くあたしの身柄を拘束しに来るはずそうなればおのずとあなたたちにも迷惑がかかる……それだけはどうしても避けたかったのよ……姉の最後を看取ってもらったばかりか妹のあたしまであなたたちに迷惑をかけるなんて…あたしは嫌!」
彼女は、俺達三人の顔を一人づつ網膜に焼き付けるように見据えると、ライフルケースを抱えて、闇夜にその姿を消した。