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デブの恩返し

「……どうして私なんかに優しくするんですか」


 正気に戻ると、凜は慌てて仁の胸から飛び退いた。


 なんだか、長い悪夢から覚めたような気分だった。


「委員長が僕に優しくしてくれたからだよ」


 それだけ言うと、仁は凜の弁当をベッドに置いて帰ってしまった。


 呼び止めたかった。


 もっとお話がしたかった。


 一緒にお昼を食べて欲しかった。


 なぜかわからないがそう思った。


 戸惑うだけで、声をかける事は出来なかった。


「一緒にお昼食べていい?」


 机と椅子を両手に持って、仁が戻ってきた。


 危うく凜はまた泣きそうになった。


 唇をキュッと噛みしめて、ガクガクと頭を振る。


「いただきます」


 仁のお弁当はカツのフルコースだった。


 かつ丼、トンカツ、エビカツ、メンチカツ、野菜の串カツにお弁当箱いっぱいのキャベツの千切りと白米だ。


 見ているだけで凜の口の中は洪水になり、お腹がぐ~と鳴った。


 恥ずかしくなって、凜は慌ててお腹を押さえた。


「委員長も食べなよ。食べたらきっと元気になるよ」

「い、言われなくてもそうします!」


 凜は自分が恥ずかしかった。


 優しくされているのに、どうして意地悪な言い方になってしまうのだろう。


 普段から清く正しい委員長の演技をしている自覚はある。


 いつからそうしているのかわからないが、いつの間にかそうする事が義務になっていた。


 仁の前ではもっと別の理由でそうしないとと思ってしまう。


 とにかく仁には恥ずかしい姿を見られたくない。


 どうしようもないくらい手遅れなのに、彼の前では少しでも良い恰好をしたかった。


 ……やっぱり私は細田君を見下してるんだ。


 そんな風に思って、凜は悲しくなった。


 ……身体はいくら痩せて綺麗になっても、心は醜いおデブちゃんのままなんだ。


 気が付くとお弁当は空になっていた。


 全然食べた気がしない。


 色々調べてお母さんに作ってもらった、味気ないダイエットメニューだ。


 両親はもういいんじゃないかと言うけれど、凜は頑なに受け入れなかった。


 凜自身、もういいんじゃないかと思っていたけれど、ダイエットをやめてしまったら途端にブクブク太りそうで怖かった。


 それ以上に、なにかに負けてしまう気がして悔しかった。


「それだけで足りるの?」

「足りるわけないでしょう!?」


 叫んでしまい、凜は慌てて口を塞いだ。


 なんで? どうして?


 自分が怖い。


 身体の中にバケモノがいて、勝手に暴れ出す。


 細田君はこんなに親切にしてくれるのに……。


 情けなくなって、また涙が溢れた。


 もう、一滴だって泣きたくないのに。


「……ごめんなさい。イライラして、八つ当たりしてしまいました……」


 謝ったからなんだというのだ。


 何度も同じ間違いを繰り返して。


 仁だって呆れているに違いない。


 がり勉のヒステリー女だと思っているだろう。


 仁の顔を見るのが怖くて俯いた。


 そこにすっと、カツの詰まった大きなお弁当が差し出された。


「食べなよ」


 仁の声が優しく響いた。


 怒鳴った事なんて、まるで気にした様子がない。


 食べたい。


「いりません」


 出てくる言葉はあべこべだった。


 凜は自分を抑えるのに必死だった。


 色んなカツの入ったお弁当箱が、凜には財宝の詰まった宝箱に見えた。


 綺麗な黄金色のカツからは、ふんわりとパン粉の揚がったいい香りがした。


 色んなお肉やエビ、野菜の香りがした。


 ソースやマヨネーズやタルタルソースの香りがした。


 ぐるるる。


 お腹の中の魔物が唸る。


 ガシャンガシャンと心の檻を乱暴に揺さぶって、その音が酷く凜をイラだたせた。


「食べたいんでしょ?」


 凜は必死に首を横に振った。


「帰ってください! じゃないと私、おかしくなっちゃう……。そんなことしたくないのに、イライラして、また細田君に酷い事を言っちゃうから……」

「どうして食べないの?」


 凜が必死に押し返しても、仁の差し出したお弁当箱はビクともしなかった。


「……だって、食べたら太るから……。私、細田君みたいに太ってたんです……。それでみんなにバカにされて……。細田君を見ていたらイライラして……ごめんなさい! 本当は私、細田君の事を見下してたんです! だから私に優しくしないでください! そんな価値……私にはないんです……」

「そんなことないと思うけど」


 そう言って、仁が弁当を下げた。


「ほら、あーん」


 顔を上げると、むっちりとした巨大なクリームパンみたいな仁の手が、たっぷりソースのかかった美味しそうなロースカツを箸で差し出していた。


 テラテラと光る白い脂身が目に眩しい。


 もう何年も、そんなものは食べていない。


「……だめ、太っちゃう……」

「少しくらい太ったって、委員長は綺麗なままだよ」


 食べたい。


 食べたい。


 食べたい。


 食べたい。


 頭の中で魔物の声がガンガン響く。


 凜は必死に首を振った。


「そんなことない! 私は細田君とは違うんです! 頑張って痩せたのに、こんなに綺麗になったのに、ウザいとか言われてバカにされて、嫌われて……それで太ったら、余計に笑われるじゃないですか!?」


 仁のまん丸い鼻がフッと笑った。


 バカにされたと思って、カッとなった。


「何がおかしいんですか!?」

「だっておかしいんだもん」


 肩をすくめると、仁は美味しそうにカツを頬張った。


「僕と同じクラスなんだよ? ちょっとくらい太ったって、そんなの誰も気づかないよ」


 委員長って面白いね。


 そう言って、仁はロースカツを差し出した。


「はい、あーん」


 檻が壊れて、凜はお肉に飛びついた。

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