下
まばゆいばかりのスポットライトに照らされたリング。
リングの外には数千の観衆が歓声を上げているはずだが、私にはそれがどうにも遠く感じる。
現実味がないのだ。
破竹の勢いで地方予選を勝ち抜いた私は、王都で開催された最強王者決定トーナメントへの出場を決めた。
トーナメントでも1ラウンドKOの山を築いた私にはいつの間にか「神の拳を持つ聖女」の二つ名がつけられ、民衆の人気を博していた。
私の人気を苦々しく思ったのだろう。
イログールイ王子、あるいはネトリーの手先と思われる者から何回も闇討ちにあったが、それも尽く返り討ちにしていた。
その中には王国をはじめ、近隣の複数の国から指名手配をされていた暗殺者も含まれていたが、いまの私にとっては有象無象でしかなかった。
私がその暗殺者を捕らえたことにより、ネトリーが他国のスパイであることがまず明らかになり、秘密裏に投獄された。
イログールイ王子にはいまのところ表向きの処分はないが、廃嫡されるのは間違いないだろう。
他国のスパイにいいように操られた王子など次の王位にふさわしくない。
事によっては後継者争いを避けるために暗殺される可能性もある。
しかし、どちらもいまの私にとってはどうでもいいことだ。
リングの上で歓声を浴び、一心不乱に拳を振るう。
それこそが、いまの私にとって二番目の生きがいなのだ。
「メリス、お前なら必ず優勝できる。いまこそその拳でベルトを掴むんだ!」
上の空だった私の心を、セコンドからかけられた声が現実に引き戻す。
声の主はアレックスだ。
かつて有名な拳闘選手だったアレックスは、最強王者決定トーナメントの決勝で相手選手の反則ブローによって片目を失う重症を負った。
本来の実力であれば優勝は間違いないと言われていたのだが、片目で戦えるほどプロのリングは甘くない。
それをきっかけにリングを降り、辺境で後進の育成に専念していたところに私と出会ったというわけだ。
アレックスには本当に感謝をしている。
あのまま拳闘に出会わなかったら、いまごろ私はどこかの貴族の妻に収まって、苦手な社交に胃を痛めながら作り笑いをする日々を過ごしていただろう。
拳闘に女が出ることなど前代未聞だった。
拳闘をはじめたことで、父からの援助もなくなってしまった。
そんな中でもアレックスはあちこちに頭を下げて回り、出場できる試合を探し、資金をひねり出し、私をずっと支え続けてくれたのだ。
いまや、アレックスは単なるトレーナーではない。
私の人生のパートナーとなっている。
「青ぉぉぉおおおコぉぉおおおナぁぁぁああ! 駆け上がる神聖! 鉄腕の修道女! 神がやらなきゃオレがやる! 言わずと知れた神の拳を持つ聖女! メリぃぃぃいいいスぅぅぅううう!!」
実況の声が王楽園ホールに轟く。
余計なことを考えている場合じゃない。
目の前の試合に集中しなければ。
「赤ぁぁぁああコぉぉおおおナぁぁぁああ! 煮え立つ鉄血! 灼熱の処刑人! ラフファイトもなんのその! 敗北はすべて反則負け! やはり言わずと知れた邪神に愛されし者! ボガぁぁぁあああドぉぉぉおおお!!」
反対のコーナーに立つ筋骨隆々の男はボガードだ。
かつて、アレックスの片目と、その輝かしい将来を奪った男……。
反則すら厭わないラフファイトが特徴の選手だ。
ボガードの名前を実況が叫ぶと、観客席から応援とブーイングが入り混じった感性が轟く。
拳闘ファンは基本的に血の気が多い。
流血試合の多いボガードには一定のファンがいるのだ。
レフェリーからルール説明があり、ゴングが打ち鳴らされる。
試合開始時の礼儀として、左手を伸ばして軽くグローブを合わせ――
――耳元を通り過ぎる風切り音
とっさに首をひねってかわした。
挨拶もそこそこに、ボガードが右ストレートでつっかけてきたのだ。
ルールには反していないとはいえ、ほとんど反則のような行為に観客席からブーイングが巻き起こる。
「処女の修道女様に俺様の一発をいきなり突っ込むのはキツかったかな?」
観客の反応など気にも止めず、ボガードがにやりと笑って挑発してくる。
「そうね、わたくしは一発突っ込む方の専門でしたから」
私もにやりと笑い返す。
挑発を受け流されて苛立ったのか、ボガードがツバを吐く。
「ふん、神の拳とか言われて調子に乗ってるみてぇだが、女の細腕で倒されるほどオレは甘くねえぜっ!」
「拳より舌を動かす方が得意なようですわねっ!」
再び距離がつまり、左ジャブの差し合いがはじまる。
一打一打、ジャブの応酬が繰り返される。
かする、かわす、かする、浅い被弾、かする、浅い被弾、被弾。
ボガードの方が私よりも一回り以上背が高い。
当然、リーチも長い。
射程外からの打撃にどうしても打ち負ける。
――だけど
「あなたのパンチは! 軽い!!」
被弾、被弾、被弾。
被弾を気にせず一歩一歩前に出る。
苦し紛れの大ぶりのフックをダッキングでかわす。
懐に潜り込み、打ち上げ気味の左フックをボガードの脇腹に突き刺す!
「ぐぼっ」
頭上からの苦鳴。
ボガードの身体がくの字に折れる。
下がってきたボガードの顎を、渾身の右アッパーで貫く!!
観客の歓声とともに、ボガードの身体が吹き飛び、王楽園ホールの空を舞う。
きりもみしながらリングに落ち、そしてぴくりとも動かなくなった。
「これはカウントを待つまでもありません! 神の拳を持つ聖女! メリス選手の優勝だぁぁぁああああ!!!!」
実況の叫びが王楽園ホールに響き渡った。
私は両の拳を天に突き上げ、勝利の雄叫びを上げた。
* * *
ここから先はもう余談のようなものだ。
「アレックスぅー。練習着はちゃんと洗濯かごに入れておいてよ」
「ああ、すまんすまん。ガキどもにはちゃんと言い聞かせておくよ」
「ほんっと、頼むからねー」
あれから10年。
前人未到の最強トーナメント3連覇を成し遂げた私は、拳闘を引退してアレックスのジムの手伝いに専念していた。
隣の部屋から赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。
「ちょっとアレックス、いま手が離せないからおむつ替えてー」
「わかったわかった。おーい、ジュニアー。いまパパが行くでちゅよー」
「赤ちゃん語は教育によくないからやめてー」
「……いましかできないんだからいいじゃないか」
「何か言った?」
「げほん、いや、何も?」
神の拳を持つ聖女と呼ばれた私も、いまはもうただの一児の母だ。
戦いの場をリングから子育てに変えて、今日も全力で戦い続けている。
(了)
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