1話 人の首は伸びないらしい
さてしばらく待てば入店と退店が繰り返される。
それを目で追いつつ2杯目のコーヒーを啜る……のではなくやはり飲む星乃シソ。
目はこの時しっかりと目としての機能を果たしており直線上の相手を捉えている。
普段は次元的に視界を捉えるので少し気分は違う。
まあ星乃シソにはほぼ関係の無い差異だ。
人間目線で話すために人間目線に慣れたのだから。
なので正確に特徴を見抜ける。
その者の性別……年齢……身長。
体重、傷の遍歴、不健全化している部位。
それらをひとめ見ただけで見抜ける。
待っている間入ってくるのを見ては喜びと不安にかき乱され帰ろうかと何度も思っている。
コーヒーの味は感情とは別に特にしない。
そろそろ口内の舌にある味蕾再現を再度やろうかと思い立った頃。
コーヒー屋に転がり込んでくる影があった。
「寝坊したーっ」
店内にはっきりと聴こえる声が響く。
そのため星乃シソも意識を現実に戻した。
そこでみたのは。
男性。170.0cm。63.6kg。
鞄についたストラップ……ミケダマ根古!
ついに来たと叫びそうになる。
星乃シソは声帯振動機能をすんでで止めてちゃんと様子をうかがう。
パット見の印象は案外普段の配信と変わらなかった。
どこか軽く明るい。
もちろん顔に毛はなく頭は髪の毛で耳は横につく。
ただなんと髪の毛が3色に染めていた。
白黒ブロンズ、猫ならともかく彼は目立つ。
猫のような澄んだ黒目が快活な少年を思わせた。
そして何より声が聞き慣れすぎている。
「ええーっと、どこにいるかなどこにいるかな……」
新人とはいえ登録者数は初動で15万人行っている。
ポンだポンだと思われていたが本当に普段からああだったのか。
そう星乃シソはコーヒーを飲む。
やはり共鳴というかシンパシーというかどこか遠くないものを星乃シソは感じる。
36億年分の直感は伊達ではないなと自負する
「うーん?」
――今。
首が伸びた。
決定的瞬間をとらえたのは星乃シソだけだったが星乃シソは一瞬にして嫌な感覚を味わった。
人間ならば滝のように焦り汗を流しコーヒーを吹き出したのだろうと計算する。
そして感情の正体を生きていた中でもトップクラスの焦りと時間感覚の延長を持って試算。
どこか似ている?
シンパシーを感じる?
一瞬首が伸びた?
そう。それは。一切合切ありえない、絶対にいるはずのない……
そこまで思い立つとギリギリ人が出せそうな速度が星乃シソは出ていた。
「ハッ、ハイッ! ごちそうさま!」
「あ、ノシせん――」
「いくよ!」
「――えっ!?」
4杯目のさっきもらったコーヒーをガブのみ。
立ってミケダマ根古を連れ去る。
まさしく風のごとく。
お金は先払いだったから食い逃げではない。
裏路地に入りかがみ込む。
生物ならば肩で息しているだろう。
しかしその場にいるふたりとも肩で息はしていない。
ただ星乃シソはしっかり精神的に疲労していた。
前やったゲームクリアできるまで耐久配信2枠11時間と9時間よりも疲労した。
「もー、一体なんなんですか、ノシ先輩!」
対してこの男は相変わらず軽々しかった。
もはやいろいろ言いたいことがありすぎて発声器官を抑え込んでやろうかと思いつつも星乃シソは向き合う。
「まず……まず外では、星乃シソを連想させる名前で呼ばないで……」
「ん? あー、そう言えばそうっすよね! 身バレってやつがありますから! アハハハ」
軽快に笑うその姿を恨みがましく思いながら視線をさまよわせる。
見つけたのは2匹歩む野良猫。
星乃シソは野良猫を指差した。
「なれますよね、猫に。私もなれるから」
「え? まあ……ってことは、ええっ!?」
ミケダマ根古の方は今察したらしい。
つまりは星乃シソの擬態はしっかりしていたことを示す。
星乃シソは裏の感情で胸をなでおろしつつうなずいた。
「そもそも、うかつすぎますよあんなところで擬態を半ば解いて首を伸ばすなんて……」
「え、首、伸びてました? やだなあ、まあ割とアキバだとみんなにバレないんで選んで正解だったっすけどね!」
星乃シソとしては間違いなくミケダマ根古は抜けすぎていた。
そしてミケダマ根古からしたら人はあの程度では理解まで至らないと踏んでいる。
世の中にはコスプレや大道芸といった便利な言葉がたくさんあるからだ。
ミケダマ根古はちょっと伸びをするとジャンプをして。
ミケダマ根古はあっという間に姿が変わる。
まさしく三毛猫の姿だ。
星乃シソも野良猫にそっと触ると自身の擬態を変化させる。
すぐにそっくりな野良猫になれた。
星乃シソは変わった耳で人間は不可能な音を聞き分ける。
「え、やば。人間が猫になったんだけど」
「キモッ、絶対近づかないほうが良いよあれ!」
「いこいこ」
野良猫たちはさっさとどこかへいく。
星乃シソはもはや慣れてはいるものの『遊び』の時に追い出された経験を思い出して傷つきはする。
ミケダマ根古は特に気にすることなく高い塀へと跳んで登る。
「いやあ、ノシ先輩がまさか同類だなんておどろ木ももの木さんしょの木すよ!」
「こっちもかなり、ね……あと、声も普段からライブ時とほとんど変わらないのですか? 身バレしません?」
「いやぁ、やっぱマイク通すと質感変わるからみんな気づかないっすね! あっ! でもそれはミケダマ根古がまだ新人だからであって、多分ノシ先輩の特徴的な声ならイッパツでバレますよ」
確かにその差異はある。
星乃シソは納得しつつもそのうちミケダマ根古も自覚が生えるだろうと納得した。
ふたりは都会の隅に出て今日の現場へ向かう。
「それで……」
星乃シソはもうだいぶ混乱していた。
当初の予定を大きく崩され今や4足で尾を揺らしながら歩いている。
猫語がニンゲンにバレる可能性はないとはいえ余計なことを話すのも危険性観点からしてしたくはなかった。
「なんすか?」
「……あー、とりあえず、慣れてないのなら敬語は大丈夫ですよ、同僚ですし」
「あ、ソレはありがたい!」
「それと、当然ながら互いの正体は秘密にしましょう。できうることなら詮索もなしで……」
「あ、でも年齢は聞いていいかい!? オレ1000歳!」
コイツ話を聞いてるのかと星乃シソは内心キレた。
キレたが違う所に耳が行く。
……1000歳?
「え、1000歳……? もしかして意識を持ってから、たった1000年なの?」
「そう! まあまあ長いでしょー! 若く見られがちなんだ!」
……え?
星乃シソの脳内にその単語が埋め尽くされる。
なんというか思ったよりもずっと。
「……若い」
「え?」
「若い、若い若い! 1000歳って本当!? 西暦より短いですよ!?」
「え、いやそりゃあ……? ということはノシ先輩の年齢って……」
「星乃シソも、私自身も46億歳。いやあ、そうか、1000歳か……通りで」
1000年というのは意思をもった宇宙ウイルスとしてはあまりに若い。
星乃シソはこれまでの彼がする動きを振り返り納得した。
そしてまだこの星に同類がいた事に気づかなかった納得も。
たった1000年程度意思をもったくらいでは神や悪魔としてだいたんに動こうとすることはできないはずだ。
次元超技もまだあまり理解していないだろう。
つまり感知するタイミングがない。
ミケダマ根古がドン引いているのにも気づかず言葉を続ける。
「えーとじゃあ、人として暮らした歴はどうですか?」
「えっ? えーと、まだ20年くらい、かな……」
「ああー、本当にまだこの種族にも慣れていないんだ。気を付けてね、迂闊に首を伸ばしたりしていると、気づいたら捕らえられていて、爪という爪の間に針を刺され、1つ1つ爪を割られたあと、雑に剥がされてお前は魔女かって脅されるから」
「あっはっは! はっはっ、はは……冗談、だよね? やたら実感がこもっていたような……スッー……だよね?」
怯えるミケダマ根古に対して星乃シソは何も言わず真顔で見つめたのみだった。