11勇者の夕食
畑で農作業をしていた勇者の鼻孔を、変な臭いがくすぐる。
何かが燃えている様な臭いだが、嗅いだ事のない臭いが混じっている。
見上げれば、黒々とした煙が上がっていた。
「山火事か?何が燃えているんだ?」
勇者は作業を止めて、一目散に母の居る自宅を目指した。
「まだ、大丈夫だな!」
まだ、火の手は及んでいない自宅を見て、一先ずは胸を撫で下ろす。
畑よりも火元に近い為に、母親も異臭に気付き、家の外へと出ていた。
「大丈夫かしら?」
「燃え広がならない様にしてきます」
勇者は納屋から大剣を持ち出して、火元へと駆け出した。
この剣は、魔王討伐の為に用意されていた物で、刃渡りが2メートル近くあり、幅は30センチ、肉厚5センチもある上に、特殊素材で出来ている。
重量も凄まじいので勇者以外には持ち上げる事すら困難だ。
討伐の途中で紛失したが、再び国外に出た時に探し出したのだった。
勇者の力では、火を消す事など出来ない。
だが、森の樹木を切り開いて、火が広がらない様にはできる。
勇者は、この大剣を木刀の様に振り回し、火災地域の外縁部に近い木々を斬り倒して外側に蹴りやる事で、燃焼物の空白地帯を作っていく。
勇者の超常的な速度と体力で、30メートル幅の伐採された空間が、あっと言う間に火災現場の周辺に展開された。
「はぁはぁはぁはぁ・・・・これで、何とか燃え広がらないだろう」
流石の勇者も精魂尽き果てて、地面に倒れ込む。
無尽蔵な力や体力なと、現実には存在しない。
あまりの負荷に、丈夫さ王国随一と言われた愛用の靴も、破れて裸足同然だ。
飛んできた火の粉で燃えかけた服は消し止めたが、もう捨てるしかないだろう。
勇者の肉体は、驚異的な力と耐久性、再生能力を持つが、その服などは常識の範囲内なので、勇者の全力についていく事などできない。
当然、実戦では足回りの予備は十足以上に及んだ。
ひと息ついた後で、上体を起こした勇者は、火災の状況を観察する。
予想に反して燃え広がる部分が無いか、その特殊に強化された五感で探っているのだ。
「大丈夫そうだな・・・」
新たな燃え広がりが無いのを感じとって、ようやく自分の身なりを確認し始めた。
破れた靴を足から外し、燃え残った服を結んで下半身を被う。
産みの親とは言え、男性経験の無い母に、成人男性の下半身をさらす事はできない。
表皮の火傷は、みるみる回復しているので心配をかける事は無いだろう。
家に帰った勇者は、まず母親の様子を確認した。
「母さん、今、戻りました。もう火事は心配ありません」
「貴方が向かったんですもの、心配なんてしていませんよ。それより疲れたでしょ?着替えて食事にしましょう」
勇者なら魔王だって倒せる。
勇者が畑に居る時は不安だったが、彼が向かえば山火事くらいは心配する必要はないと、母親は確信していた。
母親の笑顔は、勇者の疲れを吹き飛ばしてくれる。
彼もまた笑顔になって、タオルと着替えを手に、外の井戸へと身体を洗いに向かった。
周知の通り、現実には「質量保存の法則」や物理エネルギー法則が罷り通っている。
何かを取り込まない限り、重量/質量が増える様な現象は起きないし、内包したエネルギー以上の出力は出ない。
勇者の異常なまでの能力は、細胞レベルで生物のエネルギー源である【ATP】アデノシン三リン酸を大量に保持できる所にある。
当然、大活躍した後は、その不足分を補う為に大量の飲食物を必要とする。
だが、一度に飲み食いできる量もまた、限られているので補給には時間がかかるのが現実だ。
巫女である母親は、ちゃんとその辺りも理解しており、多めだが食べきれない量ではなく、また、高カロリーなメニューを用意していた。
「今日は、何だか凄い御馳走ですね?懐かしい料理もある!」
「お腹がすいたでしょ?早くお食べなさい」
母親の言う通り、勇者のお腹は空腹に鳴いていた。
二人は食前の祈りをあげ、食事に手をつける。
勢いよく食事を口に運ぶ勇者の姿を、笑顔で見つめる母親は、本当に嬉しそうだ。
無我夢中で食べていた勇者は、料理の中に入っている食材に気が付き、いったん手を止めた。
「あれっ?母さん、グリンピースとか、よく手に入ったね?他にも王都ぐらいでしか手に入らない食材もあるし・・・」
「そうなのよ。昼前に法師様が見えて、お土産物にって食材を色々と下さったの。お前にも会いたがっていたけど、御忙しいそうで日を改めると仰っていたわ」
「そうですか・・・法師が来たんですね?」
勇者の口元は笑っていたが、目付きは笑っていなかった。
法師が来たと言う事は、教会に勇者の居場所が知られているかも知れないと言う事だ。
そして、あの言葉か脳裏を走る。
『お前も、前の勇者みたいに毒を盛られないように注意しろよ!』
しかし一緒に戦った法師が、まさか毒など盛る筈もない。
毒は、どちらかと言えば忍者の得意分野だ。
嬉しそうに食事をする母親にも、特に異常は見られない。
いや、むしろ少し元気に、若々しくなった様にも見える。
「大丈夫だよな・・」
教会に知られたとしても、法師に悪意は無いだろう。
そう思い直して、勇者は四人で御揃いで付けているイヤーカフスを指でいじった。
それは、討伐隊四人が決定した時に、王都の出店で買った物だ。
剣士だけは最後まで嫌がったが、結局は折れて左耳に付けている。
無事に食事も終わり、ひと息ついたので、勇者も安心を取り戻した。
「美味しかったよ母さん」
「良かったわね。今度、法師様に御礼を言わなくてはね」
そう言って、母親はテーブルの食器の一部を台所へと運んでいった。
しばらくは、お腹を擦りながら食後の余韻に浸っていた勇者だったが、その異変には気が付いた。
「母さん?」
テーブルに残った食器をそのままに、母親の気配が消えたのだ。
勇者は椅子から立ち上り、台所へと向かったが、そこに有ったのは既に冷たくなった母親の骸だった。
外傷は無い、血の臭いもしない。
争った跡もなく、ただうずくまって倒れた様な死に方だった。
「母さん?母さん!母さん!」
何度も揺り動かすが、その身体は冷たくなっており、全身がシワだらけで黒っぽく変色していた。
まるで、一気に老化した様な有り様だ。
そして勇者も、自分の身体の熱りを感じはじめていた。
「やはり、毒か?なぜ、法師が!」
それは、【アナフィラキシー】アレルギー症状による反応の様に、全身が晴れ上がり熱を発してきていた。
更にはギシギシと音を立てている様な感触に襲われていた。
二倍とまでは行かないが、全身の腫れが身体を膨らませ、服のボタンを引きちぎり、激しい頭痛に襲われている。
鈍い痛みは、やがて激痛に変わり、全身の筋肉が千切れていく様な感覚がする。
胸もとを掻きむしった勇者は、首からぶら下げていた、小さな小瓶に気が付き、その小瓶ごと口へと放り込むと、思いっきり噛み砕いた。
それは、かつて賢者に手渡された薬で、成長を抑制する物だと調べはついていた。
それが、この毒と、どの様な作用を起こすか分からなかったが、今更、何を飲んでも今以上に悪くなるとは思えなかった。
薬の苦味が、口いっぱいに広がり、勇者は激痛も相まって、そのまま気を失った。
気が付くと、勇者は瓦礫の中にいた。
屋根が風で飛ばされない様に押さえていた岩が、焼け焦げて灰と共に勇者の身体を覆い隠していた。
辺りは火災があった様に焼けた岩と灰だけになっている。
母親の居た場所も、灰だけになって跡形も無い。
既に夜が明け、朝日が勇者の身体を照らしはじめた。
見ると、自分の手足は膨れ上がって赤黒くなり、爪は獣の様に延びている。
異様な渇きに耐えきれず、焼け残っていた外井戸で水を飲もうとした。
釣瓶で水を汲み上げて、水面に写った自分の顔に驚いて、勇者は水桶を落とした。
顔は歪み、牙がはみ出し、二本の角が生えていたのだ!
「俺は・・・魔王なのか?」
かつて倒した宿敵に似た姿が、そこには有った。