狂いと揺れと慟哭と
天は二物を与えないというが、そんな言葉は慰めにもならない。ただの弱者の僻みだ。
シャムガル・ギデオン。二十歳。
彼は天に寵愛された男だった。
公爵家の長男としてこの世に生を受け、何不自由ない暮らしを約束された。
彼の数多ある才能の内、まず初めに開花したのは剣である。
六歳にして剣の道を志し、齢十一にしてアーニクシィ大陸の頂点を掴み取った。
そして十三歳にして、その武力は一個師団を遥かに上回るとさえ言わしめた。
学問においても彼の右に出る者はおらず、年中書斎に引きこもっているような頭でっかちの学者達さえも舌を巻く。
その知識の広さと深さはまるで湖のようだと称えられた。
その上、彼の容姿は眉目秀麗。その一言に尽きる。
母国では三大美男の一人として数えられるほど。
周囲はそんな彼を神の子として持て囃した。
そして彼自身もそれを受け入れた。
思い上がっていたのは否めない。驕り高ぶっていたのは否めない。
だが、そう思ってもいいほどの持っているものがあった。恵まれたものがあった。
しかし、その自負心は音を立てて崩れ去る。
一人の侠客によって。
魔術か、勇者の御業か、はたまた妖術か。
大地を叩きつけるなどという、人の域を越えた所業をシャムガルは受け止め切れずにいた。
(馬鹿な……これが勇者の力なのか……?)
思い切り顔面から叩きつけられたことにより彼の鼻孔からは血が滴っている。
しかし、それを拭うこともなくただただ茫然としている。
魔術は物質、現象に魔力を以て直接干渉する術だ。
干渉するものの規模が大きければ大きいほど必要とする魔力は当然莫大なものとなる。
大地を操作出来る魔術などまるで神話の世界だ。
彼がそうなるのも無理ないことだろう。
「はい、グサー」
地面に這いつくばったまま動けないでいる彼の頸を、木剣の切っ先で竜司が優しく突く。
丁寧に効果音付きでだ。
さっきまでの彼なら侮辱だと言い、憤慨していたに違いない。
だが、その感情が沸き上がる余地すらも今はない。
「これで終いや」
「ま、待て……貴様、私に何をした!?」
用は済んだとばかりに背を向けて去ろうとする竜司。
シャムガルがそれを呼び止める。
「何って、別に見た通りやけど……」
「地面を…………」
億劫そうな表情を隠すこともなく竜司は答える。
まだ何かあるのかと言いたげな面持ちだ。
しかし、そんな適当な返事で納得出来るはずもない。
思うように力が入らない四肢を必死に操作し、その上体をもたげ睨み問う。
「地面を叩きつけることがか!?」
「は?」
「はい?」
「へ?」
「え?」
「……」
何を言っているんだ。
口にこそしていないが、そこにいるシャムガル以外の者達全員の総意である。
そんな空気は露知らず、竜司を睨み続けている。
「ハハッ、そうかそうか、アンタにはそう見えてたんやな」
「なっ……! どういうことだ!?」
「別にどうということもないんよ、それはな……」
シャムガルを含め、全員の視線が竜司へと集中する。
次の言葉を聞き逃すまいと。
「脳震盪や」
人差し指で自分の頭をトントンと軽く叩き、指す。
直海と乃蒼は腑に落ちた顔をしているが、それ以外の全員が頭上にクエスチョンマークを浮かべていた。
「ノー……シントー……?」
「おう、脳ミソを揺すってグッチャグチャにしたんや」
脳震盪。
外傷性脳損傷とも呼ばれ、外力が加わることによって一過性ではあるものの、脳の機能に障害を及ぼす症状のことである。
軽度であれば目眩、頭痛程度の症状だが、重度になれば一瞬にして意識を断たれることもある。
彼の脳は竜司の一発の拳打により、未曽有の超高速震撼に襲われた。
結果的にそれは彼の認知を大きく狂わせ、地面が起き上がってくるという文字通り驚天動地の錯覚を起こさせたのである。
「その脳ミソ? とやらを揺らして何故大地が起き上がるのだ!?」
「何や、こっちの世界やと脳震盪は当たり前とちゃうんか」
「答えろ!」
「うるさい奴なあ……顎や、アゴ」
「顎がどうした?」
「俺らの世界やったら割と当たり前なんやけどなあ。まあ簡単に言うたら、顎打たれたら狂うんや。頭ン中がな」
数多くの急所が点在する顔面の中でも、顎は最も有名とも言える弱点の一つ。
格技の世界でもここを狙え、ここを守れと教えられる。
梃子の原理により、最も効率良く脳を揺らせるからという。
そして竜司は選んだ。
シャムガルの意識を断たないままに身体の自由を奪う幾千、幾万、いや、もしかすると幾億通りにも及ぶ可能性の中から。
「聞いたことがないぞ……」
「みたいやな」
魔術が発展したその代償か、この世界では人体に関する知見は産声を上げたばかり。
対して竜司がいた世界ではその学問体系を大きく成長させ、枝葉を四方八方に伸ばすまでに至る。
その差は歴然。
「それにな、知っとるか知らんかの問題は些細なもんや。知識だけじゃ虫も殺せへん。俺はアホやけど命の張り合いは何回もしとるんや。アンタがどんな人生を歩んどったかは知らんが、ここにいる誰よりもこと戦うっていう分野では負けへん自信がある」
「……クソッ!」
「まあ、純粋な剣の勝負じゃアンタが勝っとるわ。俺は隙を突いただけや」
競技者ではあっても兵法者ではなかった。その差が勝敗を分けた。
剣士として、戦士としての心根が敗北を認めてしまったのだ。
ぬけぬけと敗者に賛辞を贈る竜司。
力の入らない両の掌を恨めしげに見つめるシャムガル。
「クソッ、クソッ、クソオォォオォッ!!」
悔しさと悲しみが絡み合う不格好な慟哭が響く。
初めての敗北は血の味がした。
勝者、龍田竜司。決まり手、鉤突き(左拳)。
方言補足
「ちゃう」→「違う」