勇者の証明
「その侮辱……万死に値する!」
「不敬ですわ。それ以上ナオミ様を穢さないで下さる?」
「何のことでしょう? 私は事実を申し上げただけでございますが……図星ですか?」
三人の口論は苛烈にヒートアップし続ける。
分かりやすいほどに憤慨する者、絶対零度の眼差しを向ける者、明らかにとぼけて煽る者とそれぞれであるが、全員が共通して自分が正しいと心から信じている。
「そもそもがおかしいのだ! なぜ貴様の趣味の悪い城にノア様が赴かねばならんのだ!」
「その点については私も不満でしたわ。ナオミ様を態々お呼び立てするなんて、何様のつもりかしら!?」
「最も歴史ある我が国が最も相応しいからに決まっているからではありませんか」
「たかだか二、三年の違いだろうが!」
「その程度で先輩面しないで下さいますか!?」
「年功序列ですわ、ウフフ……」
変遷する歴史の中で、クリオス王国が現在の形に落ち着いたのは、ここ百年ほどのこと。
それに追随するように数年後、ターブロス公国とイッスィーエス王国も今の形に落ち着いた。
ただ、少しばかり早くクリオス王国が一国として平定できたからといって、他の二国に外交的なアドバンテージがあるわけではない。
「な、なあ、ちょっと頭冷そうや……な?」
見かねた竜司が仲裁に入る。
直海はこの三人の怒気に中てられてひたすら怯え、乃蒼にいたってはセリアが出したお茶を嗜み、我関せずといった態度を貫いているのだ。
年長者として、そして唯一、冷静な判断が出来るものとしてこの場の決着をつける覚悟で挑む。
「うるさい! チンピラは黙ってろ!」
「チ、チンピラて……」
しかし、竜司の決断はシャムガルの一言に一蹴されてしまった。
意気消沈する竜司。
それとは裏腹に、突然燃え上がった人物がいた。
ヘレネーだ。
微笑みを湛えていたその顔は、シャムガルの一声を耳にした途端、一片の感情も読めない鉄面皮と化した。
その目の奥に怒りの炎を滾らせて。
「シャムガル殿、流石にそれは看過出来ませんわ……」
「ああ?」
「あろうことか勇者様に、リュージ様にそのような不遜な態度……貴方こそ万死に値しますわ!」
まるで聖女のような微笑を浮かべたヘレネーはもういない。
凄まじいまでの憤りを隠そうともせず抑えようともせず、目の前の男に容赦なくぶつける。
「フンッ! チンピラにチンピラと言って何が悪い?」
「恐れ多くもこのお方は勇者様であられます。それをたかだか一国の貴族風情が何を勘違いされているのかしら?」
「貴様……我を侮辱するか!?」
「侮辱……? はて、真実を述べることは侮辱になるのかしら?」
子供の喧嘩とは訳が違う。
ここまで熱を帯びれば、どちらかが落とし前をつけるまでこの諍いは続く。
背負うものが大きければ大きいほどそれは比例する。
「減らず口を……いいだろう、分からせてやろうじゃないか。どちらが上なのかをな!」
「どうなさるおつもりで?」
「知れたこと……。そこのチンピラを叩っ斬ってやる!」
「えぇ、何でや……」
ところ変わって城の中庭。
屈強な兵士や給仕達の人だかりが、とある男二人を中心に大きな円を作っていた。
「フン、勇者は三人もいらぬ。ノア様お一人で事足りる!」
一人はシャムガル。
精悍な顔立ちとその偉丈夫っぷりは女好きのしそうなものだが、そんなことが割とどうでもよくなるくらいに面倒くさい。
どうもこの男は自国の勇者に心酔しているようだ。
自国の勇者以外は認めないつもりらしい。
「申し訳ございません、リュージ様……貴方様を悪く言われてつい……」
「だ、大丈夫やって、気持ちはありがたかいから……」
先ほどまで怒りの炎をこれでもかというほど、滾らせていたヘレネー。
その姿とは打って変わって、青菜に塩のありさまだ。
なっていないフォローで何とか励まそうとする、シャムガルと対峙する竜司。
「男同士の決闘だ。使え」
「ん? これ……」
カラン
竜司の目の前に放られたのは一本の木剣。
叩き斬るというのはどうやら本気のようだ。
「貴様が終われば次はイッスィーエスの勇者、貴様だ」
「ヒッ……!」
手にした木剣の切っ先が直海に向けられる。
怯える彼をかばうようにデボラが肩を抱き、シャムガルを睨む。
「フッ、いいお笑い種だ。女に守ってもらわねばならん者が勇者だとはな」
「ナオミ様は貴方のような野蛮な輩ではありませんの。クリオスの勇者……今だけは貴方を応援します。」
「お、おう」
「だから決してナオミ様に剣を握らせないよう貴方が勝ちなさい!」
「ハ、ハイィ!」
思わぬ人物からの叱咤激励を受ける。
よく見るとデボラの額に青筋が浮かんでいた。
シャムガルの振る舞いはあまりに敵を作りすぎるようだ。
「それでは……」
竜司に向き直り、笑いかける。
しかし、その笑みは慈しみや情からのものではない。
獰猛な、まるで獲物を前にした獣のような。
「始めようか」
「ん? お、おう」
この世界の様式など全く分からない竜司はとにかく相手に合わせるしかない。
一方、そんな彼のことなど気にも留めないシャムガルは、胸に手を置き息をゆっくり吐き切った。
そして、吸い込む音が聞こえるぐらいに勢いよく肺を空気で満たし、
叫ぶ。
「ターブロス公国公爵、我が父、エフタ・ギデオンの名の下に尋常に勝負致す!」
「うえっ!?」
聞く者皆の鼓膜を強く振動させる彼の声。
真正面に立つ竜司に至っては驚きのあまり、手にしていた木剣を落としてしまった。
「隙ありィ!」
「うおぉっ!」
横薙ぎに払われた一閃の剣筋。
間一髪、それをしゃがんで躱した竜司。
立ち上がりざまに木剣を拾い、距離を取る。
「惜しいな、もう少しだったのに」
「おまっ……!」
「次は動くなよ!」
ブゥン!
飛び込みざまに横一文字。
太刀筋自体は至極単純だが、その体格ゆえのリーチとパワーは、常人とは桁違いだ。
「クソッ……!」
バックステップで回避する。
空振った木剣の風切り音が間近で聞こえた。
「は、速ぇ……」
「空振りの音しなかったか!?」
「格が違う……」
ギャラリーたちがざわめく。
驚愕する者、畏怖する者、愕然とする者と様々な反応。
シャムガルのあまりに人間離れした業に、戦う者としての格の違いを目の当たりにしてしまった故だ。
「動くなと言ったろうに。下手な所に当たれば木剣といえど死ぬぞ?」
「ハハッ、お生憎様やけど進んで打たれにいくほど倒錯しとらんのや」
シャムガルの言葉、これは冗談のつもりではない。
それは彼の剣閃を見れば明らかだろう。
軽口を叩く竜司も、その額には脂汗が滲んでいる。
(あんなん当たったら粉々になってまうわ!)
「もう一丁だ! ハァッ!」
素早く踏み込み、振り上げた木剣に全体重を乗せて叩き込む。
剣を使い、両手でそれを受ける竜司。
「クッ! ッ痛っつゥ……!」
ガギンッ!
木製の物とは思えないほどの衝突音。
折れなかったのが不思議なくらいだ。
真正面から剣を受けた竜司の手を、痛みに限りなく近い痺れが襲う。
「馬鹿め、正面から受け止めればそうなるに決まっているだろう」
「そんなもん知るかいな……」
「やはりただの素人か。そんな奴が勇者などと……嘆かわしい……」
口では嘆かわしいと言うものの、その表情には腹立たしさが含まれている。
言い捨てた後、体を低く落とし前傾姿勢をとる。
決着めるつもりだ。
「勇者を騙る者よ、今ここで貴様に引導を渡してやる!」
「勝手にせえや……」
「セイヤァァッ!!」
「スウゥ……フウゥゥゥ…………」
今まで以上の速度の踏み込み。
対して、深い呼吸に意識を向ける竜司。
「ここやッ!」
ブオォン!
唐竹割りの軌道で振り下ろされたシャムガルの一閃。
空を切る豪快な音が聞こえるも当たらず。
竜司は彼の側面へと跳ね、逃れていた。
「喰らえやっ!」
「羽虫のようにちょこま、ッッ!?」
避わされた方向へと転換したその時。
彼の顔面へ迫るものがあった。
それは持ち主を失った木剣。
それもかなりのスピード。
竜司は剣を投げたのだ。
「ぬおおっ!」
パシッ
しかし、それが彼の顔面を捉えることはなかった。
掴んだのだ。その木剣を。
超人的な反射速度を以てして。
だが、竜司の狙いはそれでよかった。
「オラァッ!」
カツッ
大きく曲線を描いた拳が、シャムガルの顎の先端を捉えた。
投げられた木剣はミスリード。
本命はその後の拳打。
見事に作戦は成功した。
かと思われた──
「クハハッ、よもやそんな戦法で来るとはな。虚を突かれてしまったわ」
全く効いていない。
膝が折れるどころか、痛がる素振りさえない。
「狙いは良かった。だが詰めが甘かったようだな」
カッ、カランッ
投擲された木剣を投げ捨て、もう一度向き直る。
丸腰と得物持ち。
ここに来て圧倒的優位に立ったシャムガルは口角を歪め、笑いを隠せないでいた。
しかし、この窮地に不自然なほど動じていない竜司。
「もう終わっとるわ」
「な、何だと!」
「ど、どういうことだよ……」
「分かんねぇよ……」
「まだ立ってんじゃん……」
勝負は着いている。
その言葉にシャムガルは勿論のこと、ギャラリー達も困惑する。
奇襲が失敗し、明らかに不利な形勢に立たされている竜司。
だが、彼の言葉には確信が込められていた。
「貴様、何が言いたい!?」
「今に分かるわ」
くるりと踵を返し、相手に背を向けて歩き出す。
シャムガルは直ぐさまそれを追いかける。
しかし、それは叶わなかった。
「貴様何──」
彼の視界は急激に回転し、竜司の姿を見失う。
「──をっ?」
そして彼は、
地面を叩きつけられた。
方言補足
「しとらん」→「していない、してない」
「~せえや」→「~しろよ」