対峙
シスターに別れを告げ、歩き続けることおよそ二時間。
小さな農村に辿り着いた。
「おお、ここが言うとった村か」
長閑でどこか懐かしいその景色は、祖国の原風景を連想させる。
湧いた感情は竜司の胸を切なく締めつけた。
「帰りたいのう……」
「見ねえ顔の兄ちゃんだな。どっから来たの?」
「ん?」
声のした方に視線をやると、一人の子供がじっとこちらを見つめていた。
さっきまで遊んでいたのだろう、体のあちこちに泥の跡が付着している。
「俺の生まれはな、日本ってところなんや。ボウズ、日本って知っとるか?」
「二ホン? 何それ?」
「あー、やっぱ知らんかぁ……ほな、この村から王都ってトコまで歩いたらどんくらいかかるんや?」
「うーん、オレ王都なんて行ったことないけど、多分半日以上かかるんじゃないかな?」
「半日かぁ、そらキツイな……」
詳しい時刻を確かめる術はないが、日は傾き始め、村を赤紅色に染め上げている。
おそらく数刻もしない内に夜の帳が下りることだろう。
「まあ、しゃあないか。ボウズ、ここは宿かなんかあるんか?」
先を急ぎたかった竜司だったが、流石に知らない土地で一人夜を歩くのは不用心かと思い、この村で一夜を過ごすことに決めた。
ここで路銀を使うのは勿体ないかと感じたが、用心するに越したことはないと割り切る。
「うん、あるよ。えっとね、あそこの二階建ての――」
「ザック! 早く帰ってきなさいって言ったでしょう!!」
「うおっ!」
「母ちゃん!」
突然大声を出されてビクッと身を震わせる二人。
反射的に声のした方へ振り向くと、そこにいたのは中年の女性が一人。
この子供の母親なのだろう。
彼女の表情には怒りというよりも、焦りや恐怖といった感情が色濃く出ていた。
「帰るよ!」
「あ、ちょっと待ってや!」
つかつかと竜司の前を横切り、子供の手を引いて去っていく。
聞きたいことはまだ山ほどある。
彼女の方に手を伸ばし、呼び止めた。
すると彼女はまた、さっきと同じ表情で竜司を睨んだ。
「あんた、よそ者だね?」
「お、おう」
「気をつけな。この辺、夜は危ないから」
「危ないって何がやねん?」
竜司のその質問には答えず、彼女は何かから身を隠すように足早に遠ざかっていった。
一人その場にポツンと残される。
「何なんや……」
空にはちらほらと星たちが存在を控えめに主張し始めていた。
「邪魔するでー」
「これはこれは、いらっしゃいま、せ……」
あの子供が指差していたであろう家屋を訪ねてみたが、憶測は正解だったようだ。
宿の主人なのであろう白髪の老人が歓迎の挨拶をするが、竜司を見るなり目を見開き体を強張らせた。
彼の容姿が怖がられるのは万国共通なのだろうか、その額には少々の脂汗が浮かんでいる。
ここにきて初めて正常な反応を頂いた気がする……。
「こ、こんな何もない村までお越しになるなんて、どういったご用件でしょう?」
しかし、やはり商売人である。一瞬の硬直を解き、接客モードに移行した。
そんな彼の内面の闘争など露知らず、竜司はお約束とばかりに問いを投げる。
「故郷を探しとってな。じいさん、日本って知っとるか?」
「ふむ、聞いたことございませんねぇ。なんせこの村から出たこともないもので」
「そうか、ええんや」
「お力になれなくてすみません」
何となく予想はついていた。
それにまだ数人程度にしか尋ねていないのだ。落胆するにはまだ早い。
気を取り直して宿の主人に向き直る。
「じいさん、ここは一泊いくらなんや?」
「いつもなら銀貨二枚なんですが、今は一枚でして……」
そう言うと彼は腕を組み軽く項垂れ、悩んでいるような素振りを見せる。
この値段設定はおそらく、彼としては不本意なものなのだろう。
「それはまた何でなんや?」
「いつもは食事付きだったんですが、今は害獣がこの村の作物を食い荒らいていてロクに収穫出来なくて……」
「なるほどなるほど……」
これは好機ではないかと竜司はピンと、いやティンとキた。
カウンターにドカッと体を預け、顔を主人の方へ迫らせる。
「ほな、交渉といきまひょか?」
「ヒッ……! な、なんでしょう?」
「俺の金も無限にあるわけやない」
「は、はい……」
「そこでや、俺がその害獣を始末したる代わりに宿代をタダにするっていうのはどうや?」
竜司本人的には交渉、のつもりらしい。
しかし、その絵面はどう見てもカツアゲの現場だ。
なんなら、彼の図体とその強面さ加減では、これから沈められるのではというくらいの迫力があった。
相対する主人の方は委縮して体をワナワナと震わせている。
幼い頃から組に属していた彼としては、交渉はこうするもんだと刷り込まれているのだ。
「どうや、悪い話やないやろ?」
「こ、こちらとしましても願ったり叶ったりですが……」
「よっしゃ交渉成立やな!」
「ですが相手は……」
「大丈夫や! こう見えても昔、下手打って山に捨てられたときに、この匕首一本でイノシシ獲ったこともあるんやで!」
「は、はあ」
懐から愛刀をチラ見せする。
何気に凄いことを言っていた。
主人もあまりに竜司が自信満々なため、頷く他なかった。
「で、ソイツはいつ来るんや?」
「最近は酷いですね。毎晩来ますよ。丁度このくらいの時間に――」
ブオォオォォ!
村全体が揺れるような獣の鳴き声がした。
「来たか! 任しとき!」
「あ! ちょ、ちょっと!」
声が聞こえた方へと奮って駆け出していく竜司。
主人が呼び止める声は彼の耳には届かなかった。
走り出してから一分足らず、村から少し外れた畑の真ん中にヤツはいた。
「おったおった! お前に恨みはないけど、その命頂く……で…………?」
竜司は絶句した。
のそっと動いたその影は、百八十センチを超える自分の身長を遥かに上回っている。
そしてヤツが竜司の存在に気付く。
彼の想像を遥かに凌駕したイノシシが。
ブオォォォオォオォォ!
「え、いや、こんなん聞いてへんって」
方言補足
「言うとった」→「言ってた」
「しゃあない」→「仕方ない」
「~といきまひょか?」→「~といこうか?」
「こんなん」→「こんなの」